『トレたび』は、交通新聞社が企画・制作・運営する鉄道・旅行情報満載のウェブマガジンです。
国鉄へ就職するために上京した昭和33年の3月、初めて降り立ったのが上野駅でした。学生服姿で右も左もわからないでホームを眺めたものでした。昭和33年といえば、『三丁目の夕日』ではないですが、ちょうど東京タワーが建設中で、みかん色のタワーが日々伸びていくのがカマ磨きしている機関車の下から見えたものです。そしてこの年は上野駅が開業75周年を迎え、上野駅と同じ明治16年生まれの彫刻家・朝倉文夫氏から『三相 智情意』の像が寄贈され、今も中央改札内の地平ホーム終端付近に立っています。3体の裸婦からなるこの像は、石川啄木の歌碑の近くに立っています。この作品は、美術館にあってもおかしくないような非常に貴重なものなのです」。また、中央コンコースの『翼の像』も“東洋のロダン”と称された朝倉氏の作品。貴重な芸術作品が随所に飾られている上野駅は、実は“知られざる美術館”。東京藝術大学や美術館などがある土地ならではの文化の薫り高い駅なのである。
「上野駅といえば、急行『津軽』(平成9年廃止)も忘れられない存在です。奥羽本線経由で上野と青森を結んだこの夜行列車は“出世列車”と呼ばれ、出稼ぎで上京された人々に愛されました。暮れの帰省の時期になるとお昼頃からお客さまが集まりだし、ホームには東北訛りが響きわたったものです。上野駅ホームからもう故郷がはじまっている。私はその光景を見るのが大好きでした」
行き止まり式のホームが櫛形に並ぶ上野駅の地平ホーム。上野~札幌間を結ぶ寝台特急「北斗星」「カシオペア」も発着するこのホームには、いまなお郷愁の空気感が色濃く漂っている。
「上野は、山、上野、浅草の3つのゾーンに分かれています。山は東京国立博物館や国立西洋美術館などがある上野恩賜公園一帯の文化ゾーン、上野はアメ横を中心とした活気あふれる商業ゾーン、そして浅草はご存じ雷門と浅草寺の門前町です。この3つのゾーンはそれぞれに異なる個性を持ち、駅も地元と一緒になって町を盛り上げ、地元の皆さんも駅を大切にしてくださっています。東京のターミナルでもっとも“地元色”が強いのが上野駅かもしれません。コンコースで東北四大祭りの展示を行なったり、平山郁夫画伯の『昭和六十年春ふる里・ 日本の華』(中央コンコース自動券売機上のステンドグラス)や、猪熊弦一郎画伯の『自由』(中央改札口上の大壁画)といった絵画が昔のままに掲げられていたり。町を歩いていると自然と駅に入ってしまうような雰囲気も上野駅の魅力です」
上野恩賜公園一帯は散歩コースとして特におすすめで、上野は“東京の江戸”として魅力がいっぱいだと松本さんは胸を張る。
「桜の名所として有名な上野公園には、世界遺産登録を目指している国立西洋美術館や音楽の殿堂・東京文化会館、東京藝術大学奏楽堂など“日本遺産”にしたいものがたくさんあります。また、周辺には茶店があったり、老舗の料理店があったりとまさに“東京の江戸”が味わえるのです」
ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聽きにゆく 石川啄木
普段見慣れた人も、そうでない人も、“東京の江戸”を求めて上野散歩、行ってみませんか。
埼玉県大宮市の「鉄道博物館」。ヒストリーゾーンに昭和時代の上野駅ホームを情景再現したコーナーがある。ボンネット型の懐かしの特急車両が展示され、天井から列車の案内札が吊された昔ながらの改札口が再現されている。
この場所でボランティアの皆さんによる「上野駅改札再現実演」イベントを実施中。自動改札機しか知らない子供たちが目を輝かせる。そして、本物の元上野駅長の松本さんも改札鋏を手に「パチンッ、パチンッ」ときっぷに鋏を入れてくれるのだ。
「18歳から55歳まで、鉄道員として働いてきました。これまで鉄道を利用してくださったお客様へのお礼と思ってボランティアに参加しています。まさに手弁当での活動ですが、子供たちからは毎回元気をもらっています」と松本さん。
毎週土曜の11時と13時30分から30分間開催。大人気のイベントで行列必至だが、子供も大人もぜひ体験してほしい。鉄道博物館へ行くおトクなきっぷや旅行商品も各種発売中。
平成5年から7年まで上野駅長を勤める。現在、東日本鉄道OB会で鉄道OBの支援などを行ない、休日には「鉄道博物館」でボランティアとして活動。伝統と格式を誇る東京機関区にはじまり、運転士、尾久駅や川崎駅の駅長、鉄道管理局勤務など、さまざまな現場で安全・安定輸送という重責を全うされてきた鉄道員のプロ中のプロ。
取材・文:坂本達也
※掲載されているデータは平成22年4月現在のものです。