『トレたび』は、交通新聞社が企画・制作・運営する鉄道・旅行情報満載のウェブマガジンです。
秘境とは「外部の人が足を踏み入れたことのない場所」という意味で、本来鉄道の駅にそのような場所はない。駅とは、街の中心にあり、多くの人々が利用する交通の要衝というイメージだろう。しかし、断崖絶壁、深い山中、無人の原野……このように、およそ人がたどり着けそうにない場所にも駅は存在する。そのような駅を『秘境駅』と呼んでいる。
言葉そのものは造語だが、誰もが感じるミステリアスな響き。いったいどんな場所なのだろう?と興味を抱き、冒険心をくすぐられながら、いつもなら通り過ぎてしまいそうな駅に降りてみる。誰もいない、何もない。場所によっては携帯電話さえも通じない。いったいどうすれば良いのか? 便利な都会で暮らす人は困ってしまうかも知れない。
しかし、普段の私たちは雑務に追われながら神経をとがらせ、気が付けばため息ばかりの毎日。子供の頃、遊びに夢中になっていた時はどうだっただろうか?
秘境駅の旅は、そこに行くことだけが目的ではない。都会の時間に縛られた空気から解放されるのだ。広大な大自然、澄んだ空気、清流のせせらぎ。そこには、何もないからこそ感じられる旅の原点がある。そして、たくさん遊びまわり疲れてしまっても、帰りの列車は時刻通りにやって来る。こんな誰もいない山奥でなんと奇蹟的なことだろう! 「当たり前の有り難さ」に、つくづく日本の鉄道の信頼と偉大さを感じる。
険しい峡谷を走る飯田線には、魅力的な秘境駅がいくつも存在し、全国的にも類を見ない「秘境駅銀座」の路線といえる。ここでは代表的な6駅を紹介しよう。
まず起点の豊橋から列車に揺られることおよそ2時間半、「小和田駅」に到着する。所在地は静岡だが、愛知・長野との3県の境界付近にある深山幽谷の駅。古い木造駅舎は何とも味わい深く郷愁を誘う。昭和31年に下流の佐久間ダムが建設され、天竜川の水位が上昇したことから人家と車道が失われ、一帯は無人化されてしまったのである。
隣の「中井侍駅」は長野県に入って最初の駅。急峻な地形に広がる緑鮮やかな茶畑を眺望できる。そして、沿線の中心町となる平岡を過ぎ、1つ目の「為栗駅」は、その昔、大きく蛇行した天竜川を筏で下ろうとすると、筏が信州側へもどろうとしたため“信濃恋し”と呼ばれるようになった名勝地にも近い。
極めつけは、断崖絶壁にある「田本駅」。人家も車道もなく、まるでコンクリート擁壁にホームが張り付いているような状態。最寄りの集落までは鬱蒼(うっそう)とした林のなか、急坂の登山道をたどるしかない。次なる秘境駅「金野駅」にも人家はなく、狭い車道が林のなかに消えていくだけ。ここは清流の音しか聞こえない。
そして最後は、天竜峡の手前にある「千代駅」。たった一軒の人家のために存在するような駅だ。人家から聞こえて来る演歌がほのぼのとした雰囲気を醸し出している。こうした数々の秘境駅はどれも個性的で、飯田線の旅をよりいっそう魅力的なものにしているのだ。
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1967年東京都生まれ。少年時代から時刻表に親しみ、鉄道ファンとしての素地を固めていたが、99年頃、列車以外の手段で到達困難な駅を『秘境駅』と命名。全国に存在するこのような駅を調べ上げ、そのすべてを訪問。同年、WEBサイト“秘境駅へ行こう!”を開設。 これを基に01年、『秘境駅へ行こう!』(小学館文庫)を刊行。その後、3巻に渡る秘境駅写真集(メディアファクトリー刊)、CS旅チャンネルによるTV放送とDVDの制作、携帯サイト「携帯秘境駅」(ファーストビット)の監修など多くを手がける。さらに近年は秘境駅ブームによりJR各社から臨時列車が運行され、鉄道趣味界の一ジャンルを築いた。「秘境駅訪問家」の肩書きを持つが、本業は電機関係のサラリーマンである。
文・写真=牛山隆信
※掲載されているデータは平成22年8月現在のものです。