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気になるあの人のいとしの路線|コラム|トレたび - vol.3 小海線

故郷のローカル線

 小海線は私の故郷の鉄道である。かつて父は中込駅、母は小諸駅に勤務していた。やがて二人は結婚し、生まれてきたのが私である。両親とも元国鉄職員という恵まれた環境ゆえ、何よりも鉄道好きな私が誕生した。けれども、少年時代の私は、小海線のことがあまり好きではなかった。なぜなら、鉄道少年にとっての憧れの的は、ローカルな小海線などではなく、時代の最先端を行く新幹線であり、華やかな特急列車が走る本線にあったからだ。


生家近くの三岡駅を発車するC56形(昭和42年頃)

 当時の小海線といえば、黒煙もうもうたる蒸気機関車と機械油臭いヂーゼル(当時はディーゼルカーではなく、ヂーゼルまたはジーゼルと呼んだもの)が主力であった。蒸気機関車は国鉄で一番小型で非力なC56、ヂーゼルはバスのような窓のキハ11だ。非力な機関車や、バスのような列車を僕は好きにはなれなかった。
 さらに小学校の授業で物事の優劣を上から順に、甲、乙、丙と教えられ、鉄道にもランク(路線等級)があって、東海道本線は特甲線、東北本線は甲線、信越本線は乙線と習った。小海線はそのどれにも入らない簡易線だった。子供心に、大きくなったら簡易線にだけはなりたくないと思ったものだ。

都会で知ったローカル線の温もり

 小海線沿線に暮らしたのも中学校を卒業するまでだった。私は鉄道員になることを目指し、東京・池袋の昭和鉄道高校に進学した。何より驚いたのは東京の鉄道のすごさだった。わずか2分間隔で、10~15両編成の列車が複線どころか複々線、3複線区間をきびすを接して走る姿に私は感動した。新幹線のスピードも夢見心地だった。都会の近代的な鉄道は何もかも素晴らしかった。田舎のローカル線のことなどすっかり忘れかけていた。

 ところが、ある日突然、両親からの手紙が届いた。そこには、小海線のC56が間もなく引退するという新聞の切り抜きが入っていた。蒸気機関車といえば、小型で非力なC56などには目もくれず、大型で強力なD51やC62ばかり追いかけていた私の目から涙がこぼれた。


八ヶ岳をバックに颯爽と駆けるキハ110系ディーゼルカー(野辺山~信濃川上間)

 私にとって、どれほどローカルな小海線とC56が大切な存在だったか、その時、ようやく気がついた。少年時代は小海線よりも信越本線に憧れた私だったが、信越本線は一部がもう廃止されてしまい、当時とは姿を変えてしまっている。その点でも、小海線は今も変わらず存続している。いつ帰郷しても温かく迎えてくれる故郷の両親のような存在なのだ。


世界初のハイブリッド・トレイン、キハE200形(清里にて)

 しかも、2007年の夏には、世界初のハイブリッド・トレインがどの線区よりも早く小海線に導入された。それが何とも嬉しくて誇らしくて、マイカーも小海線に合わせてハイブリッドカーに買い換えたほどである。小海線を故郷にもって本当によかったと、感謝の気持ちでいっぱいの今日この頃である。

プロフィール|フォトジャーナリスト●櫻井 寛 Kan Sakurai
1954年長野県生まれ。昭和鉄道高等学校、日本大学藝術学部写真学科卒業後、出版社写真部勤務を経て90年よりフリーのフォトジャーナリストとして活躍中。93年、航空機を使わず陸路海路のみで88日間世界一周。94年第19回交通図書賞受賞。海外渡航回数228回、取材した国は91カ国。『日本経済新聞』『毎日小学生新聞』などで連載中。著書91冊。日本写真家協会、日本旅行作家協会会員。

※「小型全国時刻表」2015年11月号より掲載しました。

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