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時刻表でふりかえるニッポンあのころ 運転時刻や列車情報を整然ととどめ、幾年変わらぬ姿のような時刻表。そんな、正確・質実が身上の時刻表だからこそ、歴史をさかのぼり、一冊一冊ページをめくっていけば、今とつながるあのころの日本の姿が見えてくる。 第1部「新幹線」はコチラ

Vol.4 震災と時刻表

大震災発生から半年 鉄道の受難と復旧

 2011年3月11日の東日本大震災から半年が経つ。震災前の状態に戻ったところ、戻れはしないが新しい生活が始まりつつあるところ、復興の足がかりさえ見えないところ、各地の状況はさまざまだ。巨大な地震と、その後に襲った大津波で、死者はおよそ1万5000、いまだ4000超の人が行方不明となっている。

 鉄道の被害も甚大で、JRでは北は八戸線、南は常磐線までの7路線、第三セクターでは三陸鉄道(北リアス線、南リアス線)、仙台空港鉄道の3路線、貨物線が津波の被害を受けた。なかでも常磐線は福島第一原発事故による影響で、被害状況でさえ確認できていない区間がある。

 ひたちなか海浜鉄道、鹿島臨海鉄道、阿武隈急行線は、津波による被害はなかったものの、大地震で運休を余儀なくされ、復旧までに2~4カ月かかった。

 東北新幹線は、地震の早期検知システムによって本震がくる前に送電が停止され、非常ブレーキが作動、安全に停止した。だがそのまま不通になったため、車中泊を強いられた乗客もいて、翌12日には東北・秋田・山形新幹線はすべて運休。その後、部分的に運転が再開され、東北新幹線が全線再開したのは4月29日。徐行運転区間が解除され、震災前のダイヤに戻るのは9月23日の予定である。

95年「阪神・淡路大震災」の場合

 さかのぼって、1995年1月17日の阪神・淡路大震災のときはどうだっただろうか。

 高架の阪神高速道路が崩落している写真がまず目に浮かぶが、鉄道も同様で、20ヵ所で高架橋が落下し、4つの駅が倒壊している。発生が早朝だったため、乗客の被害はなかった。

 『JR時刻表』95年3月号を見ると、2月3日現在の運転状況が記載されている。新幹線では、山陽新幹線の新大阪〜姫路間が不通になり、福知山線〜山陰本線〜播但線を経由した迂回運転列車が運行されていた。在来線では、神戸線(芦屋〜神戸)が不通のため、代替バスが運行。合わせて「富士」「はやぶさ」「あさかぜ」といった寝台特急列車(いずれも現在は営業運転終了)も運休となっている。 

 時刻表の巻頭には毎号、「JR6社ニュース」というページがあり、各社がお得なきっぷやキャンペーンの情報をぎっしり掲載しているのだが、3月号のJR西日本のページはさすがにシンプルだ。山陽新幹線全線開通20周年を記念した各種イベントの中止、展覧会などイベント券の発売の中止、といった情報が箇条書きで書いてあるのみ。他の各社がいつもどおりのところ、JR西日本だけは非常事態であることが、この1ページから否が応でもうかがい知れる。

 翌4月号では、3月1日現在の運転状況が発表されているが、先月と大きな変わりはない。山陽新幹線の新大阪~姫路間の運転が再開されるのは4月8日、地震から81日後のことである。

04年「新潟県中越地震」の場合

 2004年10月23日、新潟県中越地方を震源とした地震が発生、最大で震度7を観測した。これは阪神・淡路大震災と同等の揺れの大きさだったとされている。

 このとき、営業中の新幹線が脱線するという日本初の事故が起こっている。東京発新潟行きの「とき325号」が長岡駅付近の高架区間で脱線、だが横転や高架からの転落はまぬがれて、けが人も出なかったのは幸いだった。その後、余震が長く続いたため車両が撤去されるまで約1ヵ月を要している。運転再開は12月28日で約2カ月後だった。

 在来線も上越線、信越本線など複数の路線で、路盤が崩壊するなどの被害を受けている。この時期の時刻表を見ると、運休情報を記載するにとどまっている。

11年「東日本大震災」の場合

 東日本大震災の影響が時刻表に現れるのは、5月号からだ。4月号は、発売日が3月19日で制作作業が11日時点で全て完了していたため、当然ながら暗い影はなく、表紙は桜満開のなかを走り抜ける新幹線の写真、「春の臨時列車全掲載!」とある。

 だが、5月号の「JR東日本ニュース」には一転、臨時列車の運休がお知らせされる。合わせて、電力や燃料不足のため「GALA湯沢スキー場」が今期の営業を3月24日で終了した旨、報告されている(JR東日本のグループ会社の運営で、上越新幹線の「ガーラ湯沢駅」と直結している)。

 さらに、5月号では見開き2ページにわたって震災の影響による東日本エリアの運転状況が掲載。ただ、「一部の列車が運休となる」「大幅な時刻変更や臨時ダイヤとなる場合がある」「運転区間が変更となる場合がある」といった文言が並び、余震が続くなか刻一刻と変わる復旧作業の様子がうかがえる。

 また時刻表本文部分は、従来の平常ダイヤが記載されていて、不通区間にアミがかかっている。不通区間が長い常磐線や気仙沼線、3駅以外はすべて不通となっていた阿武隈急行など、まさにアミかけ多めの壊滅的な誌面となっていて、心つぶれる思いがする。そして、7月号の阿武隈急行のページからスミが消えたの見ると、いかに通常運行がありがたいものかと身にしみるのだ。

11年夏、非常対応の「特別ダイヤ」

 7月号の表紙には「東北・山形・秋田新幹線7月9日からの暫定ダイヤ収録」とあり、非常時なりの落ち着きが戻ってきた。時刻表本文を見ると、それまでぎっちりみっちり詰まっていたダイヤが、ところどころ空欄となっていて、本数を減らして運行していることがわかる。

 気の毒なのは、震災直前の3月5日にデビューした東北新幹線「はやぶさ」で、徐行運転が続いているため本来の高速運転ができず、「はやて」「やまびこ」の特急料金と同額で利用できるとある(考えようによっては、チャンスだ)。時刻表本文で確かめてみると、震災前の通常ダイヤを載せている4月号では東京発8時00分~新青森着11時22分(はやぶさ1号)とあるが、7月号の「はやぶさ1号」は、東京発8時00分~新青森着11時44分と、22分遅い。

 8月号になると、主に首都圏(東京電力管内)において「夏の特別ダイヤ」のお知らせがある。平日12~15時の間で運転本数を減らしたり、快速の運転を取りやめたりしており、震災の影響というより、福島第一原発の事故による節電対策の一環であった(「夏の特別ダイヤ」は前倒しで9月9日で終了、12日より通常ダイヤの運転となった)。

 とはいえ、やはり「暫定」や「特別」といった言葉には、震災前の状態に戻す、という意志を感じる。現状は通常ではない、という立場表明。そして、新幹線が通常運行になるのはもちろん大きな一歩ではあるが、在来線の復旧も必ず成し遂げてほしいと個人的には思う。被災地の人にとっては、在来線こそが生活の基盤ではないだろうか。鉄道は地元の人にとって大切な移動手段である以前に、昨日も今日も明日も風景の一部として走っていることが、心のよりどころであるはずだ。震災によって一瞬でなくなってしまった故郷に、まずは鉄道が戻ってくれば、それは一筋の光となるにちがいない。時刻表のアミかけ部分がすべて消え去る日が、できるだけ早くくることを祈っている。

(つづく)

阪神淡路大震災後の『JR時刻表』1995年3月号(2月20日発売)・4月号(3月18日発売)。表紙での震災関連の記述は、下部に「※阪神大震災に伴う東海道・山陽新幹線暫定ダイヤ掲載。」「※阪神・淡路大震災に伴う暫定ダイヤ掲載。」と小さく入れられているのみ。

ページをめくって振り返るあのころ


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文:屋敷直子

参考文献:
『よみがえれ! 線路よ街よ - 阪神・淡路大震災 JR西日本100人の証言』(交通新聞社)
『日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録』(新潮社)
『アエラムック 震災と鉄道 全記録』(朝日新聞出版)

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