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『時刻表でふりかえる 新幹線とニッポンあのころ』一見すれば、運転時刻を淡々ととどめ、数十年変わらぬたたずまいかのように思える時刻表。でも、新幹線誕生の時代にさかのぼり、時代の変遷とともにそのページをめくっていくと、そこには、知っているようで知らなかった、日本の発展と常に共に歩み続けている愛すべき新幹線の姿がみえてきた。

Vol.3  北上と民営化、苦節とバブルの1980年代

東北新幹線が「暫定」開業

 1982(昭和57)年6月23日、大宮~盛岡間で東北新幹線が開業する。1971(昭和46)年から10年半かかった工事がようやく陽の目をみるのだが、同時開業を予定していた上越新幹線は11月に延期され、華々しいデビューとはならなかった。

 『大時刻表(82年6月号)』を見ると、表紙こそ岩手の伝統的な祭り「チャグチャグ馬コ」で盛岡をアピールしてはいるが、東北新幹線のダイヤは上り・下り合わせて見開き1ページのみ。列車は、速達タイプの「やまびこ」(大宮~盛岡、仙台より北は各駅停車)と、各駅停車タイプの「あおば」(大宮~仙台間の各駅停車)の2種類。基本的に、1日に「やまびこ」4往復、「あおば」6往復。夏休み期間中は増発されたが、盛岡までの列車が1日に4本では、ローカル線の、しかもかなりの辺境並みのダイヤである。

 また、始発駅が埼玉県の大宮というのも問題だった。東海道新幹線の運行で、徐々に表面化してきたのが、騒音・振動問題。東北・上越新幹線の始発を上野や東京にする場合、しばらくは都心から郊外のベッドタウンを走らなくてはならない。停車せずにただ走り抜ける新幹線に、沿線住民の反対運動が起きて用地買収が難航、上野開業に間に合わなかった。ちなみにこのとき、地元住民への補償のひとつとして「通勤新線(現在の埼京線)」と埼玉新都市交通「ニューシャトル」がつくられたという経緯がある。

 そこで、東北新幹線利用者のために上野~大宮を走る「新幹線リレー号」が運転された。特急「踊り子」と同じ185系の14両編成でノンストップで約25分。新幹線の乗車券をもつ利用者のみの専用列車で、接続で迷わないよう、“リレーガール”と呼ばれる女性たちが車内や大宮駅に配置された。東北新幹線の時刻表ページには、この「新幹線リレー号」と、接続に適した京浜東北線のダイヤも併せて記載された。

 “とりあえず”的な開業ぶりを書き連ねてしまったが、東北新幹線の開通は新しい時代の始まりにはちがいなかった。東京~盛岡間が、従来の6時間23分から3時間58分に短縮された。夏の帰省時期には大混雑となり、地元の人たちの期待をうかがわせた。

万博後の一大キャンペーン

 同年11月15日、大宮~新潟間で上越新幹線が開業した。速達タイプの「あさひ」が1日11往復、各駅停車タイプの「とき」が1日10往復。「あさひ」はそれまで3時間45分かかっていたところを1時間45分で結んだ。開業が遅れた最大の原因は、高崎と上毛高原の間にある中山トンネルの工事。建設中に大出水が発生、ルート変更して再び掘削。現在、トンネル内には半径1500mのカーブがあり、時速160kmに減速せざるをえない。線路の曲線は通常半径4000m以上とされているから、かなりの急カーブだ。

 この中山トンネルを筆頭に、上越・東北新幹線の工事は困難を極めた。東海道新幹線が雨や雪に弱かったこともあって、北国の気候にも対応できるよう、線路や車両設備に力が注がれた。新しく導入された200系は0系の改良型で、耐寒・耐雪の面でかなりパワーアップしていた。

 上越新幹線の開業とともに、東北新幹線もようやく本領発揮しはじめる。

 『大時刻表(82年12月号)』を見ると、東北新幹線のページは変わらず見開き1ページではあるが、1日に「やまびこ」17往復、「あおば」10往復と劇的に増発されている。併せて「新幹線リレー号」も増発され、約30分間隔で運転されるようになった。時刻表の下には、新幹線の各停車駅から在来線やバスへの乗り継ぎ時間まで書いてある。

5ヵ月後、待ちわびた上越新幹線が開業

 東北・上越新幹線が開業した初めての冬の、82年12月号はスキー一色に染まっている。表紙は白銀のゲレンデ(但し、ロケ地は信州青木湖スキー場)、広告の多くがスキー場や、ペンション、ロッジ。グラビアも、東北、上越をはじめとした各地のスキー場案内が充実している。それによれば、盛岡や秋田周辺には新しいスキー場が続々とオープンし、上越沿線は完全に日帰りスキーの対象となった、とある。

 グラビアページの下部には、その地域の宿やスキー場の広告がある。東北沿線は「御家族づれで楽しめる」「待たずに滑れるスキー場」「いろりのある民宿」とアットホーム感を押し出しているのに対し、上越沿線は「君は今 白の世界の旅人」「全コースナイター完備」の字が躍り、女子大生の華やかな写真と共に某女子大が選んだ越後湯沢、と、なかなかに煌めいている。82年にして、きたるバブル時代を先取りしている感がある。

新幹線開業がスポットをあてた、スキーというレジャー

 1984(昭和59)年、新幹線が開業して20周年を迎える。

 『大時刻表(84年10月号)』には、「新幹線20年のあゆみ」として4ページにわたって年表が掲載されている。1964(昭和39)年の開業時、「ひかり」「こだま」合わせて1日60本だった列車本数は、1980(昭和55)年10月時点で255本に。また、この年の4月で、開業以来20億人を運んだとある。平均して1年に1億人とすると、日本人が1年に1回は新幹線に乗った計算になる。

 翌年1985(昭和60)年3月14日には、東北・上越新幹線の上野駅がようやく開業、待望の都心乗り入れをはたした。「新幹線リレー号」は廃止され、東北新幹線「やまびこ」は最高時速240km運転を開始、上野~盛岡を2時間45分で結んだ。この最高時速は、当時の東海道新幹線よりも速い。

 東北本線や上越線をはじめとした北の玄関口・上野駅が、こと新幹線においては、いち通過駅として考えられていた側面がある。新幹線のような高速列車はスピードアップに停車駅を少なくするため、大宮~上野では駅間が近すぎると建設計画からはずされそうになったり、また、東京駅のホームが東海道新幹線で満杯だから仕方なく上野をサブターミナルとする、などといったいきさつもあった。東北・上越新幹線が東京駅に乗り入れるのは、1991(平成3)年のことだ。

この年のダイヤ改正で、東北・上越新幹線はほぼ、本来の力を発揮する運行に至る。一方の東海道新幹線は、翌年の国鉄最後のダイヤ改正(86年11月)で、時速220km運転を開始、東京~新大阪を2時間56分、東京~博多を5時間57分で結ぶようになった。

さようなら国鉄、こんにちはJR

 1987(昭和62)年3月31日をもって、国鉄は115年の歴史に終止符を打ち、翌4月1日から6社に分割民営化され、「JR(Japan Railway)」として新たな道を歩み始める。

 弘済出版社発行の『大時刻表』は、87年4月号は『JNR編集時刻表』、翌5月号から『JR編集時刻表』となる。4月号は国鉄からJRへの移行期のため「JNR(Japan National Railway・国鉄)編集」となっていて、時刻表の長い歴史のなかでも、この号だけの名称である。現在の『JR時刻表』の名称となるのは、1年後の88年5月号からだ。

 各新幹線の管轄は、JR東海が東海道新幹線(東京~新大阪)、JR西日本が山陽新幹線(新大阪~博多)、JR東日本が東北・上越新幹線となった。

 そして、『JR時刻表』の新幹線の時刻表部分は、この87年4月号から格段に見やすくなっている。新幹線のページをみると、それまで列車名は新幹線マークに「やまびこ」なら「や」、「ひかり」なら「ひ」という表記が、この号から列車名を四角で囲み、墨文字、白(ヌキ)文字で区別するようになり、ひと目で目的の列車がわかるようになっている。列車本数が増えて、より複雑なダイヤになってきたための工夫といえるだろう。

 個人的には、この時期「国電」の代わりに「E電」という、どっちつかずな呼称が設定されたが、いつの間にか「JR線」となっていたことが印象深い。結局は、なんのひねりもない名称の方が、定着するものである。

 国鉄解体・分割民営化と同じころ、日本はバブル景気がはじまっていた。87年は、不動産や証券の投機が盛んになり、日経平均株価の終値が2万円を超えた年でもある。翌88年には青函トンネルと瀬戸大橋が開通、新生JRは大規模なダイヤ改正を行い、幸先の良いスタートを切っている。そんな当時の時刻表の表紙には、若い男女や家族が列車旅を楽しむ風景、旅の計画を練るひとときを思わせる時刻表のイメージカットなど、時代がもたらすゆとりや高揚感をどことなく伝えている。

「vol.4 90年代」へつづく)

80年代前半の『大時刻表』表紙は、70年代に引き続き、全国観光地・郷土芸能や祭りの写真が多かった。東北・上越新幹線開業前後の81~82年頃も然り。

国鉄からJRへ移行した87年4月号からの約1年間は時刻表も大きく様変わり。表紙も、新旅客会社の各カンパニーカラーを打ち出したデザインから、サロンカーでのパーティースナップ、馴染みある日本の風景バージョンと目まぐるしい。判形も、『大時刻表』のA4版から、『JNR編集時刻表』以降は現在と同じB5版になった。

バブル全盛期の89年の時刻表の表紙より。ちなみに、80年代全体を通しても新幹線メインで表紙を飾ったのはわずか4号だった。

ページをめくって振り返る新幹線とあのころ

80年代クロニクル

1980
モスクワ五輪開催、日・米・西独などはボイコット
山口百恵が日本武道館で引退
ジョン・レノンが射殺される
日本の自動車生産台数が世界1位に
「ルービックキューブ」大ブーム
1981
ピンク・レディーが解散
アメリカ大統領にレーガンが就任
「ポートピア‘81」神戸で開幕
千代の富士が横綱に昇進
フランスで高速鉄道TGVの営業運転が開始
「オレたちひょうきん族」放映開始(~89)
『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子・著)刊行
『ルビーの指輪』(寺尾聰)大ヒット
1982
ホテルニュージャパン火災、33人死亡
羽田空港沖に日航機が墜落、乗客24人死亡
500円硬貨が発行
反核運動が世界的に盛り上がる
第一次中曽根内閣成立
映画「E.T.」大ヒット
「笑っていいとも」放映開始
テレホンカード発売開始
1983
NHK連続テレビ小説「おしん」放映開始
東京ディズニーランド開園
戸塚ヨットスクール事件
三宅島大噴火
インターネット誕生
ファミリーコンピュータ発売
「キン肉マン」が放映開始
1984
グリコ・森永事件
ロサンゼルスオリンピック開幕
インドのインディラ・ガンディー首相暗殺
新札発行(1万円・福沢諭吉、5千円・新渡戸稲造、1千円・夏目漱石)
「風の谷のナウシカ」劇場公開
「ドラゴンボール」が連載開始
1985
科学万博「つくば‘85」開催
「NTT」「JT」が民営化
豊田商事事件
「ロス疑惑」三浦和義氏が逮捕
いじめ問題が深刻化
日本航空123便が御巣鷹山に墜落、死者520人
阪神タイガース、初の日本一
バブル景気はじまる(~91)
1986
スペースシャトル・チャレンジャー爆発事故
男女雇用機会均等法が施行
歌手・岡田有希子が自殺
チェルノブイリ原子力発電所で爆発事故
イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が来日
社会党で史上初の女性党首に土井たか子氏就任
伊豆大島三原山が大噴火
「ドラゴンクエスト」発売
ハレー彗星が大接近
1987
ゴッホの「ひまわり」、安田火災が53億円で落札
朝日新聞社阪神支局襲撃事件
東北自動車道が全線開通
竹下登内閣が発足
大韓航空機爆破事件
マイケル・ジャクソンとマドンナが初来日
1988
ソビエト連邦でペレストロイカが始まる
後楽園球場跡地に東京ドームがオープン
イラン・イラク戦争、停戦
ソウルオリンピック開催
リクルート事件
1989
1月7日昭和天皇崩御、翌日より「平成」に
マンガ家・手塚治虫が死去
女子高生コンクリート詰め殺人事件
消費税3%が導入
ベルリンの壁崩壊
美空ひばり死去
連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤が逮捕
東証日経平均株価が史上最高値3万8915円

JR時刻表

2011年1月号

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文:屋敷直子

参考文献
『昭和三十九年の鉄道旅行 (鉄道タイムトラベルシリーズvol. 3』ネコ・パブリッシング
『鉄道黄金時代~「ディスカバー・ジャパン」の光と影~(図説日本の鉄道クロニクル7巻)』講談社
『新幹線誕生~超特急「ひかり」~(図説日本の鉄道クロニクル6巻)』講談社
『時刻表でたどる鉄道史』編著・宮脇俊三、企画執筆・原口隆行/JTBキャンブックス
『東海道新幹線パーフェクトガイド』JTB交通ムック
『昭和の鉄道〈30年代〉』JTB交通ムック
『図説 新幹線全史1・2』学習研究社
『復刻版 さらば日本国有鉄道』世界文化社
『東京人「特集 新幹線と東京」 2010年5月号』
『「ディスカバー・ジャパン」の時代 新しい旅を想像した、史上最大のキャンペーン』森彰英/交通新聞社

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