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明治37年(1904)に竣工し、現在では梅小路蒸気機関車館のエントランスを兼ねる山陰本線の旧二条駅2代目駅舎。山陰本線の一部を開業させた民営の「京都鉄道」が、本社社屋も兼ねて設計した木造2階建ての格調高い社寺風木造駅舎で、同時期に建てられた宇都宮駅を参考にしたといわれます。京都御所にも近いことから、天皇や皇族が山陰方面への行幸・行啓に利用する機会も多く、駅舎内には貴賓室も設けられていました。
嵯峨野線の高架工事に伴い、平成8年には新駅舎へ使命を譲り、梅小路蒸気機関車館へ移築・復元。平成9年から資料展示館として公開されています。
現役時代、日本最古といわれたその駅舎は大屋根の両端に鴟尾(しび)を据えた社寺建築。縦長に設計された2階の窓には洋風な一面も見られ、明治期の意匠の特徴である和洋折衷様式を端々に感じることができます。屋根の鬼瓦などにデザインされた京都鉄道の社章も見所です。
前身の京都鉄道本社屋を兼ねた駅舎は、同時期に建てられた宇都宮駅の設計を参考にした
駅舎内部は資料展示館。様々な資料や実物のカットモデルなど展示する「SLの殿堂」
四国を代表する駅のひとつである松山駅は、予讃線の延伸とともに昭和2年に開業しました。初代の松山駅は風格ある木造駅舎でしたが、松山市域が甚大な被害を被った昭和20年7月26日の松山空襲により焼失してしまいました。
終戦直後に仮設駅舎が建てられましたが、昭和28年に開催された「四国国体」に合わせ、本格的に建築されたのが現在の2代目駅舎です。機能性を重視して設計された2代目駅舎は鉄筋コンクリート造りの2階建て。1階は売店や旅行センター、観光案内所などに、2階は駅の事務室などに利用されています。駅ビルの基礎にもなったこの時代の駅舎は、戦後復興から高度経済成長を果たした昭和のターミナル駅の雰囲気を今に伝えています。
平成12年11月、初代松山駅と旧制松山中学をイメージして駅舎をレトロ調にリニューアル。印象的な三角屋根が駅舎正面に加えられました。
平成12年11月にリニューアルされ、駅舎正面に印象的な三角屋根が加えられた
格子窓がレトロな雰囲気を醸し出す松山駅構内のみどりの窓口。ハイカラさんが出てきそう
「採銅所」の地名は付近で銅を採掘していたことに由来します。大正4年竣工、開業当時の姿を残す駅舎は、大正ロマンを今に伝えます。
九州各地に鉄道が伸びた明治〜大正期には、民間により鉄道建設が進められました。日田彦山線の一部も民営の「小倉鉄道」により開かれたものです。当時の鉄道建設には、欧州から呼ばれた技師たちが多大な影響を与えていますが、中でも九州の鉄道建設ではドイツ人技師の影響を強く受けたといわれています。山間にたたずむ採銅所駅にもその影響が及んだのでしょうか。駅事務室部分の破風の装飾や待合室天井に見られる意匠などは、瀟洒な洋館の趣を呈しており、彼らの面影を感じずにはいられません。
昭和47年から無人駅となっているが、原形の面影が保たれた駅舎は大正期の建築様式を物語る
待合室天井も凝ったデザイン。石炭輸送が盛んだった優雅な時代の申し子である
写真協力:JR北海道(川湯温泉駅)/JR東海、岐阜県観光連盟(飛騨小坂駅)/梅小路蒸気機関車館(旧二条駅)/松山市東京事務所、JR四国(松山駅)
※掲載されているデータは平成21年3月現在のものです。