トレたび JRグループ協力

2008.10.01鉄道鉄道遺産を訪ねて―タウシュベツ川橋梁、碓氷第三橋梁、半田駅跨線橋、旧津山扇形機関車庫、坪尻駅のスイッチバック、矢岳駅駅・矢岳第一トンネル

未来に伝えたい鉄道遺産

1872(明治5)年の新橋駅~横浜駅間開業以降、全国にその網を広げ続けてきたに日本の鉄道。厳しい地理的条件を克服するために、さまざまな技術が施された場所も少なくありません。できあがった当時の社会や先人たちの苦労を、無言で語っているかのような鉄道遺産。そんな、未来にも伝えていきたい名建築を訪ねる旅に出てみませんか。

タウシュベツ川橋梁

北の湖に沈む、幻のアーチ橋


第1回「北海道遺産」にも選ばれた美しい橋

上士幌町の糠平(ぬかびら)湖にある、かつての国鉄士幌線で使われたコンクリート造りのアーチ橋。タウシュベツとは、アイヌ語で“樺の木が多い川”を意味しています。

古代ローマ遺跡のようなその姿は、糠平湖の水かさが増える6月頃から湖中に沈み始め、10月頃には姿が見えなくなるため、幻の橋といわれています。1月頃から凍結した湖面に再び姿を現します。北海道遺産「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」の1つです。

●交通 根室本線帯広駅から糠平温泉スキー場行き十勝バス約1時間33分の糠平温泉下車、タクシー約30分。

碓氷第三橋梁

明治時代の面影をたどり、廃線跡を歩く


下から見上げるとその迫力に圧倒される

井沢駅間。この区間には明治時代に開業したアプト式鉄道の廃線跡を活用した遊歩道「アプトの道」があり、アプト時代の面影を伝える鉄道遺産が残っています。

その代表的な遺構となっているのがアプトの道の終点にある「碓氷第三橋梁」。レンガ造りの4連アーチ橋で、その形から通称「めがね橋」と呼ばれています。この橋梁は昭和38年には用途廃止されましたが、現在は国の重要文化財に指定されています。

●交通 信越本横川駅からバス約13分(季節運行)

半田駅跨線橋

日本最古・明治生まれの跨線橋


そこかしこに設置当時の面影を残す跨線橋

武豊(たけとよ)線は1886(明治19)年3月に武豊駅〜熱田駅間が開通し、翌年の東海道線建設にともない現在の武豊駅〜大府(おおぶ)駅間になりました。その主要駅・半田駅の跨線橋は1910(明治43)年11月に設置された全国でもっとも古い跨線橋です。

通路には簡単な説明版があり、橋の支柱には「明四十三鐵道新橋」と鋳込まれています。レンガ造りの油倉庫(ランプ小屋)も同時に設置され、夜間信号機の火に使う灯油が保管されていました。油倉庫は現在でも駅の横に残っており、明治の雰囲気を漂わせています。

●交通 武豊線半田駅下車すぐ。


トレたび豆辞典

【跨線橋】こせんきょう:鉄道線路の上にまたがってかけた橋のこと

旧津山扇形機関車庫

今も現役の巨大な鉄道文化遺産


見学の際は事前に予約が必要

車両の方向転換時に回転する転車台を中心に、扇形に配置された車庫。全国13カ所にあり、岡山県では唯一の存在です。1936(昭和11)年に完成し、京都梅小路に次ぐ、国内2位の規模を誇ります。

1930(昭和5)年に設置された転車台は今でも現役。また、機関車庫には、1970(昭和45)年に誕生した、当時国内最大・最強のエンジンを積んでいたディーゼル機関車「DE50形」の第1号機「DE501」や、「デデゴイチ」の名で親しまれたはじめての純国産・本線用大型液体式ディーゼル機関車「DD51」が保管されています。

●交通 姫新線・津山線津山駅下車すぐ

坪尻駅のスイッチバック

現存する数少ないスイッチバック駅


奥に見えるのが勾配のきつい本線と折返線

山あいにポツンと存在する木造の駅舎

起伏の多い土讃線。中でも、坪尻駅は徳島県と香川県の県境付近にあり、「秘境駅」として知られています。ホームに下りて線路を望むと、勾配の険しさがよく分かります。

坪尻駅に設置されているのが、スイッチバック式の停車場。この駅のスイッチバックは、急な勾配の途中に水平に停車場をつくるために設けられたものです。列車は、一旦、坂の途中に設けられた水平の折返線に入り、進行方向を変えてホームに入ります。

機関車牽引列車の減少などで、廃止される傾向にあるスイッチバック。往時に思いを馳せながら、坪尻駅を訪れてみてはいかがでしょうか。

●交通 土讃線坪尻駅下車すぐ

矢岳駅駅・矢岳第一トンネル

トンネルを抜け、山あいの名駅舎へ


古くからのたたずまいを残す矢岳駅舎

「天険若夷」の扁額が見える矢岳第一トンネル

標高536.9メートルに位置する矢岳駅。重厚なたたずまいが今も残っています。駅構内には、D51形蒸気機関車を展示している展示館があります。

矢岳駅の近くにあるのは、全長2096メートルにもおよぶ矢岳第一トンネル。このトンネルは1909(明治42)年に完成しました。トンネル入口の上部には、「天険若夷(てんけんじゃくい)」の扁額。これは工事の最高責任者であった逓信大臣の山縣伊三郎(やまがたいさぶろう)が書いたもので、天険の難所を平地のようにしたという意味があります。反対側の入口には鉄道院総裁、後藤新平の「引重致遠(いんじゅうちえん)」の扁額があり、工事の苦労が語られています。

●交通 肥薩線矢岳駅下車すぐ

  • 写真協力:斉木実(坪尻駅)/結解喜幸(矢岳駅・矢岳第一トンネル)
  • 掲載されているデータは2008年10月現在の情報です。変更となる場合がありますので、お出かけの際には事前にご確認ください。
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