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鉄道遺産を訪ねて vol.11

日本の傑作トンネル

  • 坑門の名称

 現在でこそ、新幹線など、数千m級のトンネルが掘削されるようになり、険しい山地なども長大トンネルで一気に貫けるようになりましたが、かつて長いトンネルは極力避けられ、峠などでは登れるところまでは勾配や曲線を利用し、限界に達したところでようやくトンネルを掘削して克服していました。
 鉄道黎明期から明治〜大正〜昭和と、時代と共に掘削技術が高まり、長大トンネルが次々に貫通するようになると、困難であった急峻な山脈などにも鉄道が開通できるようになり、トンネル技術の進歩は日本の鉄道輸送に大きな変革をもたらしました。
 しかし、トンネルは橋梁などと異なり、建設や設計に苦労や尽力がある反面、その存在の大半が地中と、地味で華やかさがありません。「坑門」と呼ばれるただ2カ所の出入口には、古いトンネルほどレンガや石積みの豪華な装飾が施されています。それらは建設者たちのせめてもの主張や誇りであったのではないかと思われます。
 今回は、明治〜昭和初期に完成した歴史的な「傑作トンネル」を訪ねてみましょう。

※見学に際しては、危険ですので線路内には絶対に立ち入らないでください

トレたび豆辞典

かなめいし【要石】
アーチの要となるくさび状の石。装飾的な意味合いも強い。
せりいし【迫石】
アーチを形成するための台形の石。
かさいし・おびいし【笠石・帯石】
坑門の最上部を飾るのが「笠石」、その下のアーチとの間にあるのが「帯石」。装飾的な役割や水切りなどの役目がある。
へきちゅう【壁柱】
ピラスターとも呼ばれる。坑門の強度を上げるための柱。装飾的な役割も大きい。
へんがく【扁額】
トンネルの最上部に設けられた銘板。トンネルの完成を祝した言葉やトンネルの名称が彫られている。

東海道本線の御殿場越えが解消 丹那トンネル

 東海道本線の熱海〜函南(かんなみ)駅間に横たわる全長7804mのトンネルで、昭和9年に開通。複線トンネルとしては当時、日本一の規模を誇りました。
 丹那トンネルの貫通により、それまでの25‰(パーミル)もの急勾配の連続する難所、御殿場線経由のルートを平坦な熱海経由に切り替え、距離も11.81kmも短縮することができました。
 明治42年(1909)に輸送力が逼迫し、早期改善が急務とされていた御殿場回りの東海道本線を代替えする路線の検討が行なわれました。鉄道院総裁・後藤新平の命を受け、辻太郎鉄道技師により行なわれ、大正2年(1913)に熱海経由のルートが決定、測量に着手。大正7年(1918)に工事費770万円が計上され、工期7年の予定で着工されました。
 しかし、トンネルの掘削は大量の湧水との闘いとなり、崩落事故、関東大震災、北伊豆地震なども加わり、難工事を極めました。
工期は16年に及び、総工費は2600万円と膨れましたが、幾多の困難を乗り越えて昭和8年に貫通。翌9年12月に開通しました。
 丹那トンネルの開通により、東海道本線は熱海経由となり飛躍的に改善。同時に電化も行なわれ、走行時間も40〜50分短縮されました。坑門は切り石積みの優雅なもので、飾られる「2578」「2594」の数字は着工年と開通年を「皇紀」(神武天皇即位の紀元前660年を元年とする起源)で表したものです。

●交通 伊東線 来宮(きのみや)駅から徒歩10分

坑門は複線トンネルの立派なアーチを描いている。派手さを控え落ち着きのある装飾に一級幹線の風格が感じられる

燦然と輝く数字は着工と開業の皇紀年。挟まれて鉄道大臣・内田信也揮毫の「丹那隧道」の扁額がある

トレたび豆辞典

パーミル
トンネルなどの勾配を表す単位。例えば、1000m進んだとき25m上がる(または下がる)場合は「25‰」と表記。

明治期に完成した近代的長大トンネル 笹子トンネル

 中央本線、笹子〜甲斐大和(かいやまと)駅間にある全長4656.2mのトンネルで、明治35年(1902)の貫通当時は日本一の長さを誇りました。
 中央本線は、第2の東海道ルートとして鉄道敷設法を機に建設されますが、急峻な笹子峠を当時、碓氷峠などと同じアプト式で越える予定でした。しかし軍部の強い反対があり、トンネルが掘削されることになり、笹子トンネルが計画されたのです。
 笹子トンネルは、明治29年(1896)に着工され、日本で初めてトンネル工事用の発電所を設けて、坑内に電話や電灯を設置。ズリ(岩石や土砂)を運搬するための電気機関車とトロッコも運転され、空気圧搾機を使用するなど、最新の工事・掘削技術を先進的に導入しました。
 そのため、8年を予定していた工期もわずか6年で終了し、硬い岩盤や湧き水に苦慮しながら五街道時代から難路で知られる笹子峠に見事なトンネルが貫通しました。外国人の手を借りず、日本人技術者のみによる設計のトンネルでもあり、その掘削工法は後の日本のトンネル技術の布石にもなりました。
 完成を祝し、トンネル東口(笹子側)の坑門には当時の内閣総理大臣・伊藤博文の揮毫による「因地利」(地の利に因んで)、西口(甲斐大和側)には山縣有朋による「代天工」(天に代わって工事)の扁額が飾られています。坑門は迫石が尖った意匠を持つ勇壮なもので、山腹に誇らしげに存在しています。

●交通 中央本線 笹子駅から徒歩10分

伊藤博文による扁額が悠然と残る。建設の苦労や完成の重みが扁額を通して今に伝わってくる

石積みで重みのある笹子側の坑門。近寄ることはできないが、壁柱には建設者の名を刻んだ「碑板」(ひばん)もある

トレたび豆辞典

アプト式鉄道
左右のレールの中央に櫛の歯のようなラックレールが設置され、そこに車両の歯車をかみ合せて走行する鉄道形式。

関東と新潟を結んだ国境の長いトンネル 清水トンネル

 上越線の土合(どあい)〜土樽(つちたる)駅間に存在する全長9702mのトンネルで、昭和6年の貫通から、このトンネルも長く日本一の長さを誇りました。
 上越線はこの清水トンネルの貫通により全通しますが、関東から新潟方面への鉄道路線はそれ以前、アプト式の碓氷峠のある信越本線、または東北本線の郡山駅から磐越西線を経由するルートしかなく、清水トンネルの貫通は関東と新潟方面を一気に短縮させ、人や物の流れを飛躍的に変化させました。
 大正11年(1922)に着工され、険しい谷川連峰の中腹を貫いた清水トンネルは、当初より電化され、勾配も低く抑えられ、最急で15.2‰になっています。中間地点のサミットには交換設備の「茂倉(しげくら)信号場」が設けられ、単線時代は列車交換で活躍。暗いトンネル地中に係員が常駐した時代もありました。清水トンネルは、川端康成の小説『雪国』の舞台にもなり、「国境の長いトンネル」の一節で、多くの人に知られるようにもなりました。
 トンネルは山岳路線ですが、開通時から電気機関車運転であったため、煤煙もなく近代的な輸送が行なわれました。
 清水トンネルは複線化のため、昭和42年に新清水トンネル(全長13490m)が開通すると上り線専用となりました。現在は、脇腹に上越新幹線の大清水(だいしみず)トンネル(昭和54年完成、22221m)が貫通しており、トンネル技術の進歩が垣間見られます。

威風堂々と構える土合側の坑門。扁額がないのが特徴。また、土樽側の坑門は装飾が少なくあっさりとしている

新清水トンネルには2つのトンネル駅が存在。土合はモグラ駅として有名だが、湯檜曾(ゆびそ)も下りホームが地中にある

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