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ひかり栄光の歴史 新幹線を象徴する愛称名であり、開業以来、常に時代の先頭を走り続けてきた「ひかり」。誰もがその名を知り、優雅で栄えある日本を代表する列車の歴史にスポットを当てて紹介します。

「ひかり」

「ひかり」は、東海道新幹線開業までは九州内の気動車急行であり、門司港、博多、小倉、別府、大分、熊本、西鹿児島を豊肥本線経由で結ぶ、雄大な九州横断列車でした。戦前には、朝鮮総督府鉄道と南満州鉄道の釜山?奉天・新京・ハルビン間に運転されていた急行列車の愛称にも使用されていました。また、「ひかり」は地名にもなり、鉄道総合技術研究所のある東京都国分寺市光町は、当地で新幹線研究開発が行なわれたことにより「光町」と名付けられたのです。

東京・浜松町付近を走る0系新幹線「ひかり」(昭和41年)

第1章 超特急「ひかり」の誕生

 日本の鉄道は欧米の技術により建設が行なわれ、とくに軌間は1067mmの狭軌が採用され、これを欧米並みの広軌(標準軌=1435mm)に改築する計画がありましたが、実現しませんでした。昭和10年代に東京?下関間の「弾丸列車計画」が広軌路線として一部着工されましたが、太平洋戦争により中止になってしまいます。

 昭和30年代に入り、東海道本線の輸送力増強が求められ、広軌による「新幹線」計画が具体化されます。しかし、欧米では鉄道は斜陽産業化が進み、世間は「万里の長城、戦艦大和に新幹線」と揶揄。苦難のスタートになりましたが、当時の十河(そごう)信二国鉄総裁をはじめ、多くの関係者の努力により、世界銀行から8000万ドルを借り入れるなど困難を乗り越えていきます。技術も既存のものを工夫応用し、一歩一歩結実させ、未知の速度200km/hの高速鉄道の開発に果敢に挑んでいきました。

 昭和37年には鴨宮モデル線にスマートな試作車両が登場。テスト走行が繰り返され。ついに256km/hを記録します。「新幹線」は、いつしか国民の期待する「夢の超特急」へと変わっていました。

 昭和38年10月、東海道新幹線が開業。速達型の超特急「ひかり」、各駅停車型の特急「こだま」が誕生しました。「ひかり」は東京?新大阪間を、徐行区間の関係から当初4時間で結びましたが、後に3時間10分で運転。1時間毎に「ひかり」「こだま」各1本のダイヤも、列車の本数を徐々に増やし大いに飛躍をします。国際的にも「SHINKANSEN」としてその優秀さが証明され、「ひかり」はその代名詞となり走ります。

 「ひかり」は大阪万博を控え、12両編成を16両に。さらに、「ひかりは西へ」のキャッチコピーとともに、昭和47年3月には岡山、昭和50年3月には博多へと、山陽新幹線が開業。編成も「ひかり」にはビュフェ車に加え食堂車が連結され、ますます活況を呈していきました。

鴨宮モデル線で試運転を行なう「B編成」。流線型のスタイルで先頭に輝く光前灯が優美だ
昭和39年10月1日の「ひかり1号列車出発式」。乗客数はこの日だけで3万6128人を記録
食堂車ではハンバーグやフライ類、各種アラカルトメニューが本格調理されていた

第2章「2階建て新幹線」デビュー

 「ひかり」は開業以来、車両はすべて0系車両(0系と系列呼称されたのは昭和55年から)が使用されてきました。昭和54年に一方向固定のリクライニングシートを設置した改造車が登場。以降、このシートへの交換が普及し、昭和56年の2000番台からはシートピッチがそれまでの940mmから980mmに拡大されますが、0系の製造は3216両をもって終了されます。

 昭和60年、0系の後継車両として100系車両がデビューします。100系は2階建て車両を連結し、シャープなフロントマスクで大きくモデルチェンジ。0系に比較し大幅に居住性が向上され、普通車の掛け心地のよいリクライニングシートには、航空機のような背面テーブルを備え、リクライニング角も最大31度、3列座席も回転可能な構造となりました。シートピッチも1040mmと快適に広がりました。注目の2階建て車両は、グリーン車(1階=1?3人グリーン個室)、食堂車の豪華で優雅な設備を誇り、後に食堂車に代わってカフェテリアを営業する車両も製造されます。

 100系は「ひかり」を中心に運転され、「ひかり」のニューフェイスとして大活躍をします。平成元年3月には、2階建て車を4両(2階=グリーン車・1階=普通車指定席×3両、食堂車×1両)連結した「グランドひかり」が登場。豪華さを極めます。

 100系「ひかり」は魅力的な「2階建て新幹線」として知られるようになり、「シンデレラエクスプレス」などメディアにも登場し社会現象になるなど、その存在は大きな影響を与えました。

 この頃、国鉄は既に100系に代わる高速運転が可能な車両「スーパーひかり」を計画。一旦中止されるも、JR東海が引き継ぎ、試作車両300系9000番台を完成。東京?新大阪間を最高運転速度270km/h、2時間30分で結ぶ「スーパーひかり」を実現。平成4年3月に営業運転が開始されますが、列車の愛称は新たに「のぞみ」と命名されることになりました。

 「ひかり」はその使命を新登場の列車に譲ったものの、変わらず主力列車として君臨します。従来の0系「ひかり」は山陽新幹線の「ウエストひかり」で元気に活躍しますが、全体的には退役をしていきました。

パールホワイトにブルーの2本線でデビューの100系。N700系まで継がれる車体色だ
「2階建て新幹線」は、休日はいつも見物客でホームが賑わうほどの人気ぶりだった
100系の後を受け「ひかり」の主力となった300系。270km/h運転が可能になった

 第3章「ひかりレールスター」の活躍

 昭和63年3月、航空機に対抗して山陽新幹線にデビューしたのが「ウエストひかり」です。0系車両を使用し、普通車の座席は2+2配置の横4列のリクライニングシートを配置。シートピッチを980mmに統一するなどグレードアップが行なわれました。ビュフェは拡大され椅子とテーブルが設けられ、一部の車両は映画が上映されるシネマカーとなるなど、大変好評な列車でした。

 「ウエストひかり」の最高運転速度220km/hを285km/hに引き上げ、到達時間を短縮し、設備をより豪華にした後継列車が700系7000番台を使用した「ひかりレールスター」です。

 普通車のみの8両編成で、指定席は2+2配置のゆったりとした「サルーンシート」を配置。100系以来の1040mmのシートピッチも相まってグリーン車並みの設備を誇ります。車体はグレーとイエローのオリジナルカラーの装いで、乗車率の高い常に人気のある列車で、現在も運転中です。

 山陽新幹線の「ひかり」には、ほかにも平成7年から0系車両で臨時運転された「ファミリーひかり」などがあり、この列車の遊具が設置された「こどもサロン」は家族連れに好評でした。

 また、平成15年6月には長く活躍した100系「ひかり」が名古屋?博多間でラストラン。300系など高速運転車両と交代をします。前年7月には新大阪?博多間で「グランドひかり」のさよなら運転が盛大に行なわれました(休止中だった食堂車がこの日のみ復活)。

 このように「ひかり」は常に時代を先駆け、人気を誇り、新幹線列車の代表として君臨をしてきました。現在「ひかり」は、「のぞみ」の停車しない主要駅に停車する「のぞみ」補完型ダイヤで、300系、700系、N700系により変わらず重責を担っています。今後は九州新幹線「さくら」の運転も予定されていますが、「ひかり」はその栄光の歴史と名誉とともに末永く走り続けていくことでしょう。

700系7000番台「ひかりレールスター」は、高いグレードと速さで航空機を圧倒した
N700系で運転される現在の「ひかり」。「のぞみ」をサポートし快適な高速運転を実現
0系臨時列車「ファミリーひかり」の「こどもサロン」は子供たちが大喜びだった

文:斉木実 写真協力:結解学、交通新聞サービス
※掲載されているデータは平成22年4月現在のものです。

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