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ネーミングの妙と歴史、調べます『国鉄&JR列車名研究所』人と同じように列車にもそれぞれ名前がある。ネーミングが“キラリ”と光る列車たち。その名前に込められた想いと、その列車の歩んできた道のりを調べてみました。

第2回 「こだま」

愛称は公募され、応募数9万3000の中から374名が提案した「こだま」が、“行って帰る日帰りスピードのイメージにピッタリ”という理由で採用されました。同時に先頭部を飾る逆三角形の特急シンボルマーク、側面のJNRマークも公募されました。新幹線化の際も公募で選考され、「ひかり」の光速、「こだま」の音速の速さの対比として命名されたと言われています。

誕生直後、国鉄フォトニュース紙面を飾る

第1章 ビジネス特急「こだま」デビュー

 昭和30年代、東京と大阪を結ぶ東海道本線は輸送量不足に陥り、全線電化の完成した昭和31年11月では、同区間を6時間台で結ぶ新たな特急列車の新設が急務とされていました。

 特急列車は従来からの機関車牽引の動力集中式が有力でしたが、昭和32年登場の新性能電車モハ90系(後のモハ101系)の成功もあり、電車方式の動力分散式で開発されることになり、翌年の昭和33年に20系特急形電車(後の151系)が誕生します。

 20系は前後のボンネットスタイル、赤とクリームの明るい色彩、固定窓にユニットクーラーの並ぶ斬新な車両で、車内外ともに時代の先端をいく設計で、先頭部には愛称の「こだま」のプレートが輝きました。

 昭和33年11月1日、2往復の「こだま」が東京〜大阪・神戸間にデビューし、東京〜大阪間を客車列車より40分も早い6時間50分で結びました。編成は二等車2両、三等車4両、半室ビュフェ車2両の8両編成でした。新しい「こだま」はビジネス特急として大好評で、当初から座席指定券の入手が困難な列車になります。翌、昭和34年9月改正では所要時間が6時間40分になり、慢性的な混雑緩和のため同年12月からは二等車、三等車各2両の増結を行ない12両化されます。

「こだま」は大変な人気で、ボンネットスタイルの特急電車は「こだま形」として親しまれます。「こだま」は大成功を収め、このため、従来からの機関車方式の「つばめ」「はと」の電車化が昭和35年6月改正に行なわれました。一等展望車の廃止には反対の声も上がりましたが、検討の結果、パーラーカー(クロ151形)と呼ばれるデラックスな展望電車を連結することになり、共通運用になる「こだま」でも運転されることになりました。

 また、編成には食堂車も連結されます。パーラーカーを大阪方先頭に二等車3両、食堂車、半室ビュフェ車が連なる優雅な編成は東海道本線の華でもあり、圧巻でした。東京〜大阪間では110km/h運転が行なわれ、同区間の所要時間は6時間30分に短縮されました。

 昭和36年10月改正では特急列車の大増発が行なわれ、151系特急は8往復体制となり、「こだま」はその代表列車として成長します。しかし、昭和39年10月東海道新幹線開業により、東海道本線の特急列車は全廃され、151系「こだま」は新幹線に列車名を譲り惜しまれつつ引退するのです。

東海道本線を快走。後部では列車防護のため前照灯に赤色フィルタが取り付けられた
東京駅で公開される20系(151系)「こだま」。ピカピカのボンネット車体が初々しく美しい

第2章 「こだま」は新幹線で再び

 昭和39年10月11日。待望の東海道新幹線が開業。速達型の超特急「ひかり」とともに「こだま」は各駅停車型の特急として再び活躍を始めます。所要時間は「こだま」が開業時は5時間でしたが、翌年から4時間に短縮されます。編成は半室ビュフェ車を2両連結した12両編成で全車指定席でしたが、多客に対応し、同年12月から「こだま」に限り自由席を導入しています。

 運転本数は開業当初、1時間に「ひかり」1本「こだま」1本の12往復でしたが、ダイヤ改正毎に増加され、大阪万博開催では観光客の大量輸送を行ない、輸送力の力強さを見せました。また、万博輸送を前にビュフェ車の1両を売店にし、座席定員を増やした編成が登場しました。

「こだま」は「ひかり」を補完する列車として活躍し、昭和48年7月からは16両編成化され、発展していきます。

 昭和50年3月10日改正では山陽新幹線が博多まで開業。「ひかり」を補いながら「こだま」は常に運転。列車の増発、車両の増備が行なわれ、この年、0系の車両数が2000両を突破しました。昭和62年4月に国鉄の分割・民営化が行なわれますが、国鉄末期の昭和60年6月から輸送需要に合わせ、山陽新幹線区間で6両編成の「こだま」が運転され、平成9年に博多付近では4両編成も登場します。同年には100系が「こだま」でデビュー。この間、「のぞみ」の登場により、速達、直行列車は「のぞみ」「ひかり」が担い、「こだま」はその補完列車として運転が行なわれていきます。

 車両の世代交代は激しく、平成11年9月に0系16両編成が東海区間から引退、平成13年に300系がデビュー、平成15年8月に100系16両編成が同様に引退していきます。平成20年には700系が登場、同年11月には開業以来の0系車両が「こだま」定期運用から勇退。代わって「のぞみ」運用から離脱した500系8両編成が投入されます。そして平成22年からはN700系も一部列車で運転されています。

 現在、「こだま」は100系からN700系まで、まるで歴史をなぞるかのようなラインナップで運行されています。しかし、「のぞみ」「ひかり」を補完し、主要都市を連絡する幹線鉄道の重責のある列車の貫禄は衰えず、その使命を果たしながら日々多くの輸送をこなしています。

疾走する0系車両。「ひかり」とともに平成20年11月まで長きに渡り活躍をした
短い6連でグレーのJR色を纏った0系「こだま」は、新塗色もよく似合っていた
現在の主力は300系。さらに700系、500系やN700系も加わるが同形式の運用がまだ多い

豪華なクロ151形「パーラーカー」

「つばめ」「はと」に連結していた展望車を電車化し、「こだま」と共通運用にするため誕生した展望車の後継車両がクロ151形です。従来の展望車に恥じない豪華な車両となりました。 定員はわずか18名。運転室後方には4名の区分室があり、ゆったりしたソファが並びます。照明は光天井が試みられています。扉を挟んで迎える開放室には、1人用の回転リクライニングシートが並び、ココア色の濃淡格子縞の「輪奈(わな)織り」モケットが優雅です。

 側窓は当時、世界でも例のない、厚さ22mm、幅2m、高さ1mという大型の複層ガラスを使用し、豪華に車体を飾りました。クロ151形はアメリカの展望車の呼び方にならって「パーラーカー」と呼ばれました。

 パーラーカーは、大阪方1号車に連結され憧れの車両として輝きました。給仕が乗務し、乗客には紅茶やクッキーのサービスもありました。VIP用のため、区分室の窓を防弾ガラスにした車両も用意されていました。

デラックスなパーラーカーの車内設備は展望車の後継に相応しい

文・写真:斉木実  写真協力:交通新聞サービス、FUZZY
※掲載されているデータは平成22年10月現在のものです。

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