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ネーミングの妙と歴史、調べます『国鉄&JR列車名研究所』人と同じように列車にもそれぞれ名前がある。ネーミングが“キラリ”と光る列車たち。その名前に込められた想いと、その列車の歩んできた道のりを調べてみました。

第5回「つばめ」

愛称は公募によるもので、前年の「富士」「櫻」の命名の際の公募で「富士」に次ぐ得票数でしたが、超特急計画が具体化していたため、スピード感のある「燕」が温存されました。後の新幹線化の際も公募が行なわれ、第1位「はやと」、第2位「さつま」、第3位「みらい」、第4位「さくら」、「つばめ」は5位でしたが、国鉄時代からの伝統列車名であり、南から速いスピードで飛来し初夏を告げるつばめが、九州新幹線に相応しいことから選ばれました。

九州新幹線800系に飾られた旧つばめマーク。3月までに新マークに移行される

戦前、戦後を駆け抜けた「つばめ」

 昭和5年10月1日。東海道本線に超特急「燕」がデビューしました。超特急(正式な種別は特別急行)は東京〜大阪間のスピードアップのために計画された列車です。同区間は「富士」が10時間40分をかけて走っていましたが、「燕」は東京発9時00分→大阪着17時20分→神戸着18時00分。神戸発12時25分→大阪発13時00分→東京着21時20分と8時間20分で結び、2時間20分も短縮しました。

 途中の機関車交換、補機の連結、給水時間などを短縮するため、東京〜名古屋間は水槽車付きのC51形による通し運転が行なわれ、要衝の箱根、関ヶ原では国府津、大垣、沼津で補機を30秒停車中に連結し、サミットを越えたら走行開放するといった特別運転が行なわれました。乗務員交代も走行中に行なわれ、乗務員は機関車、水槽車のデッキを通り客車へと行き来する離れ業をしていました。

 昭和9年12月1日には丹那トンネルが開通。所要時間はさらに8時間に短縮。表定速度は69.6km/hに達しましたが、後の昭和18年には戦局の悪化により「燕」は姿を消してしまいます。

 戦後の昭和24年9月改正で、特急「へいわ」が東京〜大阪間に運転を開始しますが、列車名は公募され翌年元日より「つばめ」の愛称に変更されます。所要時間は9時間で車両も不足気味でしたが食堂車、展望車も連結され、「つばめ」は国鉄を代表する列車として大いに君臨しました。

 昭和25年には特急「はと」が新設され、東海道本線の特急列車は2往復に増強されます。翌、26年からは、三等車が前方向固定のクロスシートのスハ44形、スハニ35形に置き換えられ、サービスアップが図られます。その後も座席車と食堂車は必ず最新の車両が投入されるなど、日本の代表列車として相応しい水準をもって成長していきます。

 昭和31年11月19日、東海道本線全線電化が完成しダイヤ改正が行なわれ、東京〜大阪間の「つばめ」の所要時間は7時間30分に短縮されました。蒸気機関車に代わり全区間がEF58形電気機関車牽引となり、これに併せ機関車と客車を淡緑色に変更。「青大将」のニックネームで親しまれるようになりました。

 昭和33年に特急「こだま」が登場すると設備面で古さが否めない「つばめ」「はと」の電車化が望まれるようになります。そこで昭和35年6月1日。パーラーカー、クロ151形を先頭にした12連が「つばめ」としてデビューします。「はと」は「つばめ」に統合され「つばめ」は2往復となります(「はと」は翌年に愛称復活)。

 昭和37年6月10日、山陽本線広島電化ダイヤ改正が行なわれ、「つばめ」1往復が広島発着となり、上り列車の広島〜八本松間には瀬野〜八本松間の急勾配に対応すべく後部にEF61形の補機が連結され、八本松ではEF61形の走行開放が行なわれ、戦前の「燕」の運転を彷彿とさせました。

 そんな「つばめ」も昭和39年10月1日の東海道新幹線開業により、長かった東海道本線での活躍を終え、新幹線接続の列車に転身することになります。

優雅だった「つばめ」の展望車。豪華な設備を誇り戦前、戦後を通して東海道本線を颯爽と走った
EF58形電気機関車牽引の「つばめ」。後に機関車と客車は淡緑色の「青大将」に変わる

第2章 山陽・九州特急の活躍と新幹線デビュー

 東海道新幹線開業の同日、特急「つばめ」は新大阪〜博多間に1往復設けられ、交流区間の下関〜博多間では、電源車のサヤ420形が連結され、EF30、ED73形電気機関車に牽引されて運転が行なわれました。

 昭和40年10月1日には481系交直流特急形電車が投入され、「つばめ」は運転区間を名古屋〜熊本間に拡大。東海道本線にデビュー以来、「つばめ」史上もっとも長距離を走る列車となりました。

 昭和43年10月改正では車両を583系化。所要時間は30分短縮され、下り12時間21分、上り12時間16分となりました。運用は583系の昼夜兼行スタイルの特色を活かし夜行の「金星」と組まれました。

 昭和47年3月15日改正では新幹線が岡山延長。「つばめ」は岡山接続列車となり、583系4往復、485系2往復の6往復になり、ゆっくりと走り続けます。翌48年10月1日改正では1往復が西鹿児島に延長、ついに「つばめ」が鹿児島に到達します。

 昭和50年3月10日。山陽新幹線が博多開業を迎え、山陽〜九州方面の在来線昼行特急が全廃。「つばめ」も廃止され、長かった伝統の「つばめ」の歴史に一旦幕が下ろされます。

 しかし、後に国鉄が民営化された平成4年7月15日。「つばめ」の愛称は奇しくも最終の地であった九州で甦るのです。

 JR九州では同日のダイヤ改正から特急「有明」の西鹿児島発着14往復を「つばめ」と改称し、7往復に最新型の787系電車を投入しました。787系はグリーン個室、ビュッフェ車を連結した斬新で豪華な車両であり、その独特な外観はもとより「つばめレディ」の乗務などクオリティーの高いサービスも相まってたちまち大評判になりました。

 平成5年3月には夜行急行「かいもん」を787系電車化した「ドリームにちりん」も登場。平成8年3月16日改正ではすべての「つばめ」が787系になりました。「つばめ」は大好評のまま、夜行を含め15往復が成長していきました。

 平成16年3月13日。九州新幹線一部開業により「つばめ」の愛称は新幹線に譲ることになり、在来線列車は新八代へ新幹線と接続する「リレーつばめ」として存続することになりました。これに伴いビュッフェの普通座席化など787系電車のリニューアルが行なわれています。

 新幹線「つばめ」は新鋭の800系車両を使用し、新八代〜鹿児島中央間を結びます。800系は普通車のみですが2+2配置で、座席モケットは西陣織、ロールブラインド、座席の肘掛け等は木製で、787系に劣らない大変意欲的な車両となっています。「リレーつばめ」とは新八代駅の同一ホームで乗換えができるなど利便性も図られていましたが、平成23年3月12日に九州新幹線が全線開業する予定で、「つばめ」は各駅停車タイプの列車として活躍することになりました。これにより「リレーつばめ」は引退します。

新製された151系電車が投入されて電車化。ヘッドマークは灰色に塗り分けられた
鹿児島本線を快走する787系「つばめ」。大胆なデザインは多くの人々を魅了させた
九州新幹線でデビューした800系「つばめ」。ゴージャスな接客設備を有して今も活躍中だ

C62形とつばめマーク

 「つばめ」牽引で顕著に活躍した機関車のひとつに蒸気機関車のC62形があります。C62形はハドソン型の軸配置を持つ我が国最大の旅客用蒸気機関車です。昭和25年10月改正では、「つばめ」「はと」の8時間運転が行なわれ、宮原、浜松機関区に強力なC62形が集結。性能を発揮し、同機たちは当時非電化だった浜松〜大阪間を華麗に駆け抜けました。

 電化の進展と共に活躍の幅も狭まり、昭和31年11月の東海道本線全線電化完成で「つばめ」から引退しました。活躍したC62形のうち2号機、18号機の除煙板には栄光のつばめマーク(写真)が取り付けられ、とくに2号機はスワローエンゼルと愛称され、引退後、他線区に渡っても長く親しまれました(現在、梅小路蒸気機関車館にて動態保存中)。

除煙板につばめマークが輝くC62 2号機

文・写真:斉木実  写真協力:交通新聞サービス
※掲載されているデータは平成23年1月現在のものです。

書籍紹介

国鉄型車両コレクション

  • ●定 価 1,680円(税込)
  • ●仕 様 A4変型判 160ページオールカラー

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