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ネーミングの妙と歴史、調べます『国鉄&JR列車名研究所』人と同じように列車にもそれぞれ名前がある。ネーミングが“キラリ”と光る列車たち。その名前に込められた想いと、その列車の歩んできた道のりを調べてみました。

第6回「さくら」

日本を代表する桜の花に因んで命名されたのが由来です。昭和4年、鉄道に親しんでもらおうと日本で初めて列車に愛称が付けられることになり、運輸局旅客課が一般公募した結果、「富士」1007票、「燕」882票、「櫻」834票となり、この年、「富士」「櫻」が東京~下関間の特急列車に命名されました。新幹線化の際も平成20年に公募が行なわれ、総数16万8951通の中から7927通と最も多かった「さくら」が選ばれました。

「絵入り」も人気だったテールマーク

第1章 三等特急に「櫻」の愛称が付く

 昭和4年9月15日。我が国に愛称名を持つ列車が初めて誕生します。東京~下関間で運転されていた特急1・2列車に「富士」、3・4列車に「櫻」が命名され、日本を象徴する山と花の名前が与えられました。このうち「富士」は一・ニ等車で編成され展望車も連結された豪華編成であったのに対し、「櫻」は三等車主体の編成で展望車もなく、和食堂の食堂車が連結されたのみの大衆的な列車でした。

 時刻は1・2列車と3・4列車は常に続行運転をするダイヤで運転が行なわれていましたが、「燕」が登場した昭和5年10月改正では、「富士」と共に東京発の時間帯を午前から午後に変更し、車両を鋼製に置き換えてスピードアップが図られました。

 後の9年12月改正では、「富士」と分離されたダイヤになり、「櫻」にも二等車が連結されるようになります。編成は、二、ロネ、ロ、シ、ハ×5、ハネの10両となり、三等車時代とは見違えるほどの編成となり活躍をします。

 しかし、昭和12年に日中戦争が勃発すると、「櫻」は少なからず影響を受け、2列一方向固定座席だった三等車は一般客車に置き換えられ、三等寝台車の連結が廃止されてしまいます。関門トンネルが開通する昭和17年11月15日改正では「櫻」は鹿児島に延長されますが、同時に急行に格下げされ愛称も消滅してしまいます。

 戦後になり、「へいわ」(後に「つばめ」に改称)「はと」が運転されるようになると利用客も次第に増え、昭和26年4月からは混雑解消のため東京~大阪間に臨時特急「さくら」が運転されることになります。この列車は「つばめ」「はと」の3分後を走る列車として活躍をしていましたが展望車は非連結でした。昭和32年10月1日からは不定期列車に格上げされましたが、定期化さることもなく、電車特急「こだま」運転の昭和33年10月改正で廃止されてしまいました。

 昭和34年7月20日、東京~長崎間の特急「平和」(旧称「さちかぜ」)に、「あさかぜ」で好評の20系客車を投入することになり、これを機会に愛称を「さくら」とすることにしました。昭和36年10月1日からは列車番号にエースナンバー1列車・2列車が与えられ、トップを飾って颯爽と走ります。

 20系客車でデビューした「さくら」の編成は長崎方から基本編成カニ21、ナロネ22、ナロ20、ナシ20、ナハネ20×2、ナハフ21、付属編成(博多回転)ナハネ20×5、ナハフ21の13両編成でした。冷房完備で居住性はよく、たちまち指定券の入手は困難を極める人気列車となり、「さくら」は華々しく活躍をします。

テールマークも誇らしげにデビューした20系客車登場以前の「さくら」
戦後を走った臨時特急「さくら」。写真では珍しく展望車が連結されている
昭和47年からは14系客車がデビュー。寝台の2段化改造を行ない最後まで活躍した

第2章 ブルートレインで再デビューした「さくら」

 翌年の昭和35年にはパンタグラフを備えた電源車カニ22形が「さくら」に連結されます。この当時の「さくら」の牽引機関車は東京~岡山間がEF58形電気機関車、岡山~下関間C62形蒸気機関車、下関~門司間EF30電気機関車、門司~博多間C59形蒸気機関車、博多~長崎間C57形蒸気機関車でした。

 昭和40年10月1日、「さくら」の博多回転の付属編成が東京~佐世保間の運転となり、翌41年10月1日改正までに基本編成が佐世保発着、付属編成が長崎発着に改められます。

 昭和43年5月から利用率の低かったナロ20形がナハネ20形に変更されます。

 昭和33年以来、300両以上が製造され好評を博してきた20系客車は、寝台幅が急行並みの52cmと狭く、これを70cmに広げ、かつ寝台の解体、セットを自動化した電源分散式の新しい14系客車がデビュー。昭和47年3月15日改正では「さくら」を14系客車に置き換えられます。

 14系客車は好評でしばらく運転されましたが、東京口のブルートレインに二段式寝台の24系25形が昭和51年に導入されると、3段式寝台の14系客車は見劣りをするようになります。そこで、三段式寝台の二段化改造が昭和58年から実施されました。

 昭和59年2月1日からはサービス改善のため、「さくら」の3号車にB寝台4人用個室の「カルテット」が連結され、家族、グループ客の人気の的になります。

 しかし、ブルートレインはこの頃、既に利用客の減少により往年の輝きを失いつつあり、平成5年3月18日改正では食堂車が廃止され、大幅なサービスダウンが行なわれてしまいます。衰退は歯止めが利かず、過去の栄光はすっかり失われ、平成11年12月4日改正では佐世保編成を廃止し、東京~鳥栖間を「はやぶさ」と併結されてしまいます。そして平成17年3月1日改正では「あさかぜ」と共に「さくら」は廃止されてしまい。長いブルートレインの歴史に終止符が打たれてしまいます。

 平成23年3月12日改正。九州新幹線の全線開業にあわせ、「さくら」は新大阪~鹿児島中央間の直通列車、九州新幹線内の区間列車の速達タイプの列車として甦ることになりました。

 車両には専用に新製されたN700系7000・8000番台が投入され、木目調の豪華なインテリアの車内、伝統的な陶磁器の青磁をイメージした白藍色のボディの同車が走り抜けることになり(区間列車には800系も使用)、今後の「さくら」の新しい活躍に大いに期待が寄せられています。

ED76形に牽引される「さくら」。お椀型の九州独特のヘッドマークが美しい
昭和60年3月からEF66形が牽引。ヘッドマークも緑地にピンクの桜に変更された
試運転が行なわれ、間もなく山陽・九州新幹線を走り始めるN700系7000番台「さくら」

テールマークで始まった「さくら」のマーク

 日本で初めて列車に愛称名が付けられた「富士」「櫻」。これら列車の最後尾には愛称名を表示する「テールマーク」が取り付けられました。このうち「富士」は山を象った鋼製板のマークが展望車に取り付けられましたが、「櫻」には直径80cmの円盤状のテールマークが用意されました。マークは内部に照明を組み込んだ行灯(あんどん)式で、三等特急の三等車の赤を意識し、弱めの赤の花びらがデザインされ、平仮名で「さくら」と描かれました。

 このマークは気品ある秀逸なデザインで、後に機関車の先頭を飾るヘッドマークにも受け継がれ、ブルートレインの最終列車まで見ることができました。

EF66形に取り付けられた優雅な「さくら」のヘッドマーク

文・写真:斉木実 写真協力:交通新聞サービス、裏辺研究所(daikiti)
※掲載されているデータは平成23年2月現在のものです。

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