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ネーミングの妙と歴史、調べます『国鉄&JR列車名研究所』人と同じように列車にもそれぞれ名前がある。ネーミングが“キラリ”と光る列車たち。その名前に込められた想いと、その列車の歩んできた道のりを調べてみました。

第7回「みずほ」

日本の美称でもある「瑞穂の実る国」に因んで愛称が付けられました。新幹線化の際は「みずみずしい稲の穂を表し、直通運転を通じ(地元に)豊かな実りを提供したいとの思いを込めて」命名されました。在来線、新幹線共々、みずみずしい稲穂が頭を垂れる九州の穀倉地帯を走ります。

3月より運転開始の新幹線「みずほ」

第1章 不定期特急としてスタート

 昭和36年10月1日改正で、東京~熊本間に九州特急の混雑緩和のために増設された特急列車が「みずほ」です。

 デビュー当時は車両不足から一般客車が使用され、また不定期列車として運転が開始されました。翌37年10月改正では定期列車化されました。当時の編成は、熊本方からスハフ43、オロネ10、スロ54、オシ17、ナハネ11×2、スハフ43(基本編成)、オハネ17×5、スハフ43(博多回転付属編成)の13両編成で、最後尾には美しいテールマークが輝きました。しかし、冷房がオロネ10形、オシ17形にあるのみだったので、夏期には特急料金の割引が行なわれるなど措置がとられました。

 昭和38年6月1日にはようやく20系化が行なわれ、晴れ舞台に「みずほ」は立ちます。テールマークも水色のオリジナルのデザインで表示されました。また、従来博多回転であった付属編成を大分に延長し、熊本、大分間の特急列車となりました。

 この時の編成は、熊本・大分方からカニ22、ナロネ22、ナシ20、ナハネ20×4、ナハフ21の基本編成、ナロネ21、ナハネ20×4、ナハフ20の14両編成でした。

 分割運転される門司~大分間の付属編成には、オハシ30形、スハ32形を改造した簡易電源車マヤ20形が連結されました。

 運転時刻は東京18時20分発→熊本13時20分着・大分12時55分着、熊本16時30分発・大分16時50分発→東京11時30分着でした。

 昭和39年10月1日改正では大分編成を「富士」として分離独立させ、「みずほ」の運転区間は再び東京~熊本間に戻ります。

 この頃、博多~熊本間では熊本機関区のC59形蒸気機関車が「みずほ」を牽引し、輝くヘッドマークに20系ブルートレインの美しい姿が見られました。同機関区にはC59形のトップナンバーも在籍し度々牽引。レールファンに大いに注目されました。

 昭和43年10月からは増結が行なわれ、全区間を15両編成で走破するようになり、編成には個室のナロネ22形も連結されており、20系ブルートレイン時代のピークを迎えます。

第2章 14系客車化され活躍

 昭和46年に電源分散方式の新型の14系寝台客車がデビュー。翌年の47年3月15日改正から、「さくら」「あさかぜ2・3号」と共に「みずほ」に14系客車が投入されます。ゆったりとした70cm寝台幅の14系客車は好評をもって迎えられます。

 昭和50年3月10日改正からは、分割併合運転の14系客車の特徴を活かし、「はやぶさ」に代わって付属編成が長崎へ。「みずほ」は東京~熊本・長崎間の列車になります。

 昭和58年からは14系客車の三段式寝台を二段式に改造。居住性が向上され、翌59年7月20日からは4人用個室B寝台「カルテット」が連結され、好評を博します。

 しかし、利用客の減少が既に始まっており、元来、他の九州ブルートレインの中でも補完列車的な役割の強かった「みずほ」は、昭和59年4月から食堂車が軽食主体、紙皿、紙コップ使用の簡易営業となってしまいます。さらに平成3年6月には食堂車の営業が休止され、その後も体質改善が図られることなく衰退、平成6年12月3日。ついに「みずほ」は廃止されてしまいます。

 不遇の晩年を過ごした「みずほ」ですが、本年3月の九州新幹線鹿児島ルート全線開通と同時に始まる山陽新幹線との直通運転で、新大阪~鹿児島中央間の最速型列車としてデビューすることになりました。不定期特急に始まり、補完的役割の強かった「みずほ」にとっては大出世と言えましょう。

 新生「みずほ」は、新大阪~鹿児島中央間に朝夕に計1日4往復の運転が予定されており、所要時間は新大阪~鹿児島中央間が約3時間45分、新大阪~熊本間は約2時間59分。停車駅は新大阪、新神戸、岡山、広島、小倉、博多、熊本、鹿児島中央となります。車両には「さくら」と共通の新鋭N700系7000・8000番台が使用されます。航空機に対抗しビジネス客の利用時間帯に設定されており、運行本数のハンデはあるものの今後の活躍に大きな期待が寄せられています。

14系時代の「みずほ」は鳥栖で分割併合を行ない、東京~長崎・熊本間の列車として活躍した
14系のテールマークは電車特急のヘッドマーク同様の絵入りマークが用意された
昭和60年3月まではEF65形P・PF形機が先頭に立ち長く牽引機として任務に就いた

金・銀色のヘッドマークも鮮やかに、ED76形が牽引し鹿児島本線を快走する
「さくら」と共通のN700系7000・8000番台。白藍色のボディーカラーが新鮮だ
N700系7000・8000番台のグリーン車車内。木目調の落ち着いた内装になっている

輝く「みずほ」のヘッドマーク

 「みずほ」はみずみずしい稲穂をイメージした金色と銀色に輝くヘッドマークが、数あるトレインマークの中でも一際美しく、大変に特徴的でした。とりわけ蒸気機関車C59形によく似合い、その姿は多くのレールファンを魅了させました。電気機関車EF65形500番台やED73形など交流機に取り付けられた姿も秀逸でした。晩年のEF66形などには塗装によるマークも取り付けられましたが、九州内では最後まで(昭和59年にヘッドマーク取り付けが復活)金色と銀色に輝くヘッドマークが見られました。

金・銀色のほかクリームや黄色も印象的だった「みずほ」のトレインマーク

文・写真:斉木実 写真協力:交通新聞サービス
※掲載されているデータは平成23年3月現在のものです。

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