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ネーミングの妙と歴史、調べます『国鉄&JR列車名研究所』人と同じように列車にもそれぞれ名前がある。ネーミングが“キラリ”と光る列車たち。その名前に込められた想いと、その列車の歩んできた道のりを調べてみました。第13回「自然現象名」の列車たち


第1章 「動くホテル」と賞賛された20系客車を使用した、夜行列車の代名詞

あさかぜ】「朝に吹く風」という爽やかなイメージに由来


 東海道本線の全線電化が完成した昭和31年11月19日。東京~博多間に特急「あさかぜ」が登場しました。東京~九州間の優等列車はいずれも東京~大阪間が昼行。大阪~九州間が夜行というのが定番でしたが、「あさかぜ」は、下り7列車が東京発18時30分~大阪発2時01分~博多着11時55分。上り8列車が博多発16時35分~大阪発2時29分~東京着10時と、関西圏を無視した大胆なダイヤでデビューしました。

 愛称も夜行列車は従来「天体」から名付けられ、また特別急行列車は「鳥類」や「日本を象徴するもの」に由来し、「富士」が候補となっていましたが、富士山麓を通過するのは夜間、早朝と愛称にそぐわず、「あさかぜ」と爽やかで新鮮な列車名に決まりました。

 しかし、編成は10系客車を中心とした二・三等、座席車の編成で、特急列車としては物足りない内容でした。

 昭和33年10月、集中電源方式による固定編成、全車冷房完備の斬新な20系客車が誕生し、「あさかぜ」に投入されることになりました。20系客車はブルーの車体にクリーム色の3本帯を配した優雅なスタイルで、個室寝台もあり、そのゴージャスな雰囲気から「動くホテル」と賞賛されました。

 昭和38年12月には「ルーメット」と呼ばれる1人用個室寝台ナロネ22形も組み込まれ、編成は1号車から8号車まで、ナロネ20、ナロネ22、ナロネ21、ナロネ21、ナロネ21、ナロネ20、ナロ20形と続く豪華なものとなり、「殿様あさかぜ」などと呼ばれました。

 昭和43年8月には臨時特急「第2あさかぜ」が登場。この列車は同年の10月1日改正から「あさかぜ2・1号」として増発されます。編成はナロネ21、ナロネ22形をそれぞれ1両づつ連結したハネ中心の列車でした。

 昭和45年10月1日改正では東京~下関間に、急行「安芸」の特急化により「あさかぜ3・1号」がデビュー。「あさかぜ」は3往復体制となります。

 昭和47年3月15日改正では、「あさかぜ2・3号」が新型の14系客車に置き換えられます。

 山陽新幹線博多開業による昭和50年3月10日改正ではブルートレインの見直しが行なわれ、14系化されたばかりの「あさかぜ2・3号」が廃止。2往復に減便されます。豪華な編成を誇った「殿様あさかぜ」もナロネ22形が2両、ナロネ21形が1両の3両のみの編成となり、2人用個室を備えたナロネ20形、座席車のナロ20形は廃車されてしまいました。

 昭和51年10月、東京口の九州ブルートレインに二段式寝台の24系25形が登場します。「あさかぜ」は伝統の20系のまま据え置かれましたが、翌年に「あさかぜ2・1」号が24系25形化されます。そして昭和53年1月31日。「あさかぜ1・2」号がナロネ22形ルーメットのA個室も誇らしげに最後の旅立ちをし、定期列車の20系客車に終止符が打たれ、24系25形と交代をしました。A寝台が並ぶ豪華な編成から特別感が無くなってしまいましたが、「あさかぜ」の人気はまだ高く、24系25形時代がしばらく続き、昭和61年11月には「あさかぜ1・4号」の食堂車にグレードアップが行なわれ、4人用個室「カルテット」を連結。平成2年3月からは「あさかぜ2・3」号にA個室、ミニロビー、シャワーが連結されます。しかし、ブルートレインは徐々に人気は衰え、航空機にシフトされる傾向が目立ちます。平成5年3月には食堂車が廃止。翌、平成6年12月3日。東京~博多間の伝統の「あさかぜ1・4」号が廃止されてしまいます。

 残された東京~下関間の「あさかぜ」は名ばかりの列車となり、利用客も低迷を続け、残念ながら平成17年3月1日に最後の「あさかぜ」がひっそりと消えていきました。

「動くホテル」と賞賛された20系「あさかぜ」。24系25形後も臨時列車として長く活躍した
EF65 1000番台が牽引する「あさかぜ」。EF65 P形に代わって東京機関区に新製配置された
九州島内、鹿児島本線はED76形が牽引。赤い電機と白いヘッドマークがよく似合っていた

第2章 波穏やかな内房線で活躍。高速バスに対抗し孤軍奮闘

【さざなみ】水面に細かに立つ波「小波」「漣」に由来


 房総西線(現、内房線)には戦前から海水浴客を乗せた臨時列車として「漣(さざなみ)」「小波」「さざなみ」が運転されていましたが、定期列車として「さざなみ」の愛称が確立したのは昭和38年10月1日のことです。キハ58系を投入した全車座席指定準急で、房総東線の「くろしお」に対し、波穏やかな房総西線準急には「さざなみ」の愛称が与えられました。キロ28形を使用した準急列車でしたが昭和40年10月改正では自由席車が連結され、愛称も「内房」に変更されてしまいました。

 房総西線が千倉まで電化した昭和44年7月。電化開業と共に始まった夏ダイヤでは、101系電車による臨時快速「さざなみ」が新宿・両国・千葉・館山・千倉間に運転されます。トイレの無い通勤車両が遙か千倉まで運転、と話題になりました。

 昭和47年7月15日には内房・外房線電化、総武本線東京駅地下乗り入れが行なわれ、東京からの内房・外房線への特急電車の運転が開始されました。房総特急用として新たに183系電車が新製されました。183系電車は前面貫通型、簡易リクライニングシート、片側2ヵ所の出入り口と、その後の特急列車の大衆化へ導いた車両で、内房線には特急「さざなみ」が東京~館山間に8往復を設定。2往復は千倉まで乗り入れを行ないました。

 183系電車の評価は様々でしたが、内房線特急の「さざなみ」は好調で、利用客も増加し順調に走り続けました。昭和57年11月15日改正では急行「内房」が格上げされ、「さざなみ」に編入。12往復運転となります。

 平成3年3月16日からは、「成田エクスプレス」の運転開始により、東京~蘇我間が京葉線経由に変更されました。

 新製デビューした183系電車も登場から20年を経つと設備の陳腐化が見られ、房総特急用の置き換え車両として平成5年に最新の設備を整えた255系電車が誕生します。255系電車はリクライニングシートを備え窓もワイドで、JR東日本の特急車両としては初のVVVF制御の車両となりました。255系電車は7月から新たに「ビューさざなみ」の列車名で「さざなみ」と区別され新型車をアピール。東京~千倉間に2往復が運転されました。また、「ビューさざなみ」の運転にあわせ、183系電車による「おはようさざなみ」「ホームタウンさざなみ」の運転も開始されます。

 翌年にはさらに255系電車が増備され、東京~千倉間3往復、東京~館山間2往復の5往復運転となりました。

 平成16年10月16日、中央本線の特急に導入されていたE257系電車の房総特急版E257系500番台が登場し、「さざなみ」に導入。183系電車を置き換えます。また「ホームタウンさざなみ」「おはようさざなみ」が廃止されます。E257系500番台は座面スライド機構を持つリクライニングシートを有し、短編成列車にも使用でき好評でした。

 翌、平成17年12月10日。列車名を「さざなみ」に統一し、「ビューさざなみ」の愛称が廃止されます。

 平成9年の東京湾アクアライン開通により、マイカーや高速バスに乗客を奪われるようになると「さざなみ」の乗車率も減少し、日中の列車が臨時列車化され、「さざなみ」は縮小傾向となり寂しくなります。その後も列車の減便、土休日運休化などが行なわれ、明るい話題が少なくなります。

 東京湾アクアラインの交通機関の発達は距離、時間を短縮し、遠回りをする「さざなみ」は不利なのですが、しかし「さざなみ」は内房線における貴重で快適なアクセス特急であり、E257系500番台を中心に、ビジネスに観光に今日も活躍を続けています。

房総特急のために新製された183系特急形電車。東京地下駅乗り入れのため貫通路を備えている
「ビューさざなみ」でデビューした255系電車。房総特急の新風として大きくイメージを変えた
現在の「さざなみ」の主力はE257系500番台。分割併合に優れ、短編成でも軽快に走れる

文・写真:斉木実 写真協力:裏辺研究所(リン、デューク)
※掲載されているデータは平成23年8月現在のものです。

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