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2022.04.14鉄道さようならEF55形電気機関車! “栄光”の国鉄形車両

今回は一世を風靡した国鉄時代の特急用車両をクローズアップ。復活運転から引退に向けて最後の花道を飾ったEF55形電気機関車の雄姿も捉え、栄光の歴史を彩ってきた国鉄形車両の姿を紹介します。

489系急行「能登」&583系急行「きたぐに」


上野〜金沢間を結ぶ夜行の急行「能登」

上野〜金沢間を上越線経由で結ぶ夜行の急行「能登」は、レールファンに人気の高いボンネットスタイルの489系特急用電車で運転。

列車は9両編成で、1〜3号車が普通車指定席、4号車はグリーン車、5〜9号車は普通車自由席(多客時の5号車は指定席)。6号車にはフリースペースとなるラウンジが設置されており、夜行列車の旅を快適な空間で楽しめる列車となっていましたが、現在は運行中止となりました。

  • 写真:上野〜金沢間を結ぶ夜行の急行「能登」。華麗なボンネットスタイルの489系特急用電車で運転された

夜行の急行「きたぐに」

また、大阪〜新潟間を北陸本線経由で結ぶ夜行の急行「きたぐに」は、関西〜九州間などの寝台特急列車で活躍した583系特急用寝台電車で運転しており、2013年に引退しました。そのほか青森〜札幌間を結ぶ夜行の客車急行「はまなす」も運行されていましたが、こちらも2016年に引退となっています。

  • 写真:夜行の急行「きたぐに」。世界初の寝台電車である583系特急用電車で運転された(大阪〜新潟間)

元祖電車特急の151系が誕生


ボンネットスタイルでデビューした151系電車特急

1958(昭和33)年11月1日、東海道本線東京〜大阪・神戸間を結ぶビジネス特急「こだま」として華々しいデビューを飾ったのが、ボンネットスタイルの華麗な姿で一世を風靡した151系電車。直流区間用として161系や181系がボンネットスタイルを継承し、中央本線の特急「あずさ」や上越線の特急「とき」などで活躍。

  • 写真:ボンネットスタイルでデビューした151系電車特急。東海道本線のビジネス特急「こだま」で活躍した

上野〜新潟間を上越線経由で結んだ特急「とき」

1964(昭和39)年12月には北陸本線の特急「雷鳥」「しらさぎ」用として交直両用の481系(60Hz対応)、1965(昭和40)年10月には東北本線「ひばり」「やまびこ」用として483系(50Hz対応)、さらに交流50/60Hz共用タイプの485系が誕生。485系は貫通タイプの200番台や非貫通タイプの300番台、北海道用の1500番台などスタイルの異なる増備車が続々と誕生し、四国を除く北海道から九州までの交流区間を走る電車特急として活躍することになりました。

  • 写真:上野〜新潟間を上越線経由で結んだ特急「とき」。直流区間用の181系特急用電車で運転された

交流区間も走れる交直両用の485系特急「雷鳥」

また、すでに廃止となった信越本線横川〜軽井沢間の66.7‰の急勾配でEF63形電気機関車と協調運転ができる特急用電車が必要になり、485系をベースに碓氷峠越えの協調運転用機器を装備した489系が登場。一時期はオリジナルの「白山」色であった489系も国鉄色に塗り替えられ、約50年前にデビューした151系の雄姿を伝えていましたが、2015年を最後に引退しました。

  • 写真:交流区間も走れる交直両用の485系特急「雷鳥」。北陸本線経由で大阪〜富山間などを結んだ

世界初の寝台電車581系


583系特急「はつかり」(上野〜青森間)

昭和40年代の幹線電化の進捗にあわせて、昼間は座席車、夜間は寝台車として使用できる特急用電車が計画されました。そして、1967(昭和42)年10月改正で登場したのが、世界初となる画期的な寝台電車の581系。新大阪〜博多間の寝台特急「月光」と新大阪〜大分間の特急「みどり」で昼夜兼行の活躍がスタートしました。

1968(昭和43)年10月改正では交流50/60Hz共用の583系が増備され、東北本線の寝台特急「はくつる」や「ゆうづる」、特急「はつかり」などで活躍。その後は、山陽新幹線博多開業や東北新幹線開業によって夜行列車の需要が減り、昼夜兼行での活躍の場が少なくなってしまいました。

なお、JR東日本には国鉄色の583系6両編成があり、上野〜青森間の夜行特急「ふるさとゴロンと号」(寝台を普通車指定席で使用)などの臨時列車に使用され、2010年に終了しました。

また、583系自体も2017年に運用終了となっています。

  • 写真:583系特急「はつかり」(上野〜青森間)。夜行の「はくつる」「ゆうづる」とともに昼夜兼行で活躍

キハ181系気動車特急「はまかぜ」


大出力エンジンのキハ181系で運転される特急「はまかぜ」

大阪〜香住・浜坂・鳥取間を播但線経由で結ぶ特急「はまかぜ」は、1961(昭和36)年10月1日改正で登場したキハ80系(先頭車両はキハ82形)気動車をパワーアップしたキハ181系気動車で運転。列車は4両編成で、1号車が普通車指定席、2号車はグリーン車、3・4号車は普通車自由席。

車体塗色はJR西日本オリジナルの特急色に変わっていますが、運転台にパノラミックウィンドウを採用したキハ82形の華麗なデザインはそのままで、古くからのレールファンにも親しまれていました。現在は、181系の運用が終わり、189系に置き換えられています。

  • 写真:大出力エンジンのキハ181系で運転される特急「はまかぜ」。JR西日本オリジナルの塗色

日本初の特急用気動車が誕生


ボンネットスタイルのキハ81形を先頭に走るキハ80系特急「はつかり」

1960(昭和35)年10月、東京で開催された第2回アジア鉄道首脳者会議(ARC)において、日本の鉄道車両製造の技術力を示すために製造されたのが、新開発のエンジンや151系電車と同等のサービス設備を備えたキハ80系特急用気動車。

同年12月から上野〜青森間の特急「はつかり」で営業運転を開始。さらに改良を重ねて登場したキハ80系(先頭車両はキハ82形)は、1961(昭和36)年10月1日から全国の非電化幹線のエースとして活躍するようになりました。

  • 写真:ボンネットスタイルのキハ81形を先頭に走るキハ80系特急「はつかり」。気動車特急の元祖だった

貫通タイプのキハ82形を先頭に走るキハ80系特急「おおぞら」

1968(昭和43)年10月改正では、キハ80系の車体スタイルをほぼ継承し、新たに開発された大出力エンジンを搭載した181系気動車が中央本線名古屋〜長野間の特急「しなの」用として登場。

その後は山陰・四国エリアの非電化区間において活躍を続けていましたが、電化区間の進展や新型車両の登場により活躍の場が少なくなり、2009年には廃車となりました。

  • 写真:貫通タイプのキハ82形を先頭に走るキハ80系特急「おおぞら」。全国の非電化幹線のエースとして活躍した

昭和初期の流線形ブームで誕生したEF55形


独特のフォルムを持つEF55形

昭和初期に世界各国で流行していた流線形ブームは日本にも押し寄せ、電気機関車や電車などの車両スタイルにも流れるようなデザインが取り入れられました。

1936(昭和11)年に誕生したEF55形電気機関車1〜3号機は、当時の優等列車牽引用として独特な流線形スタイルになりました。しかし、流線形による列車走行時の空気抵抗軽減が小さく、片運転台という特殊な構造から方向転換の必要性もあり、製造されたのはわずか3両だったのです。

  • 写真:多くのレールファンを魅了してきた独特のフォルムを持つEF55形

「ムーミン」の愛称で親しまれたEF55形

東海道本線の急行列車の先頭を飾っていた後の昭和30年代は高崎線で活躍していましたが、1964(昭和39)年12月に廃車が決定。1978(昭和53)年には準鉄道記念物に指定されて高崎第二機関区で保存されていましたが、同機関区や関係者の熱意と努力によって1986(昭和61)年6月に車籍復活。高崎線や上越線で運転されるイベント列車の牽引機として使用され、多くのレールファンを魅了してきました。

しかし、製造から70年以上を経た現在は部品の補修も限界となり、2009年1月18日のファイナル運転をもって惜しまれつつも引退となりました。

  • 写真:アニメのキャラクターに見た目が似ていることから「ムーミン」の愛称で親しまれたEF55形
  • 文:結解 喜幸
  • 写真:結解 学、(株)交通新聞クリエイト
  • 本記事は2008年12月初出のものを再構成しました。
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