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2022.04.15鉄道薫り高き昭和の記録 はやぶさ・富士物語

昭和30年代の登場以来、東京〜九州間を結ぶ寝台特急列車として活躍を続けた「はやぶさ」と「富士」。一世を風靡した東京〜九州間のブルートレインの伝統を一手に引き継いだ名門寝台特急も、2009年3月14日のダイヤ改正を機に現役を引退しました。

そこで今回は、寝台特急「はやぶさ」と「富士」にスポットを当て、栄光の歴史と誕生の物語を振り返ります。

東京~九州間の寝台特急列車


鹿児島本線博多駅を発車する下りの寝台特急「はやぶさ」

復興が順調に進んだ戦後の昭和30年代。日本経済は「神武景気」に続く「岩戸景気」に沸き、経済の好調は国鉄の輸送量増加に繋がっていきました。東海道本線の全線電化工事完成に伴う1956(昭和31)年11月19日のダイヤ改正では、東京〜博多間に特急7・8列車「あさかぜ」が誕生。

これまで東京〜九州間を結ぶ急行列車は、京阪神地区での乗降を考慮して東海道区間が昼行、山陽区間が夜行でしたが、この列車では京阪神地区を深夜に通過するという初のダイヤが組まれました。東京駅を夕方に発車して、翌日の午前中に博多駅に到着するダイヤは好評を博し、その後に登場する東京〜九州間の寝台特急列車の運転時刻の基本になったのです。

  • 写真:鹿児島本線博多駅を発車する下りの寝台特急「はやぶさ」。当時、非電化の鹿児島本線においてはSLがブルートレインを牽引していた。1965(昭和40)年4月20日撮影

東京〜鹿児島間の特急「はやぶさ」と上野〜青森間の特急「はつかり」の誕生を記念して発売された記念特別急行券

1957(昭和32)年10月1日改正では、東京〜長崎間に特急9・10列車「さちかぜ」が誕生し、東京〜九州間を結ぶ特急列車が2往復体制になりました。当時の列車は非冷房の寝台車や座席車を連結した旧形客車が使用されていましたが、1958(昭和33)年10月1日改正では「あさかぜ」が全車オール冷房という画期的な20系客車に置き換えられました。ブルーの車体にクリーム色の帯を巻いた華麗なスタイルから「ブルートレイン」と呼ばれ、一躍世間の注目を集める列車になったのです。オール冷房完備・個室寝台などの車内設備から“走るホテル”と絶賛されました。

  • 写真:1958(昭和33)年10月1日、東京〜鹿児島間の特急「はやぶさ」と上野〜青森間の特急「はつかり」の誕生を記念して発売された記念特別急行券(1958〔昭和33〕年9月28日付 交通新聞より)

寝台特急「はやぶさ」が登場


特急「はやぶさ」

20系「あさかぜ」の誕生と同じく、1958(昭和33)年10月1日の改正で登場したのが、東京〜鹿児島間を結ぶ特急9・10列車「はやぶさ」でした。当初、華やかな20系「あさかぜ」誕生の陰に隠れてしまいましたが、それまで最速を誇った急行「霧島」の所要時間が3時間10分も短縮され、東京〜鹿児島間は22時間50分で結ばれるようになったのです。

非冷房の寝台車や座席車を連結した列車でしたが、所要時間が24時間を切ったこともあって好評を博しました。

  • 写真:当初は一般形客車で運転された特急「はやぶさ」も、1960(昭和35)年7月20日から20系客車化されてブルートレインの仲間入りを果たした

EF65形1000番台が牽引する寝台特急「富士」

東京〜博多間の「あさかぜ」に続き、1959(昭和34)年7月20日には東京〜長崎間の「さくら」が20系客車となり、オール冷房完備のブルートレインは夏の暑さが厳しい九州で人気の的になりました。このため、鹿児島地区からは「はやぶさ」の20系置換えを望む声が一段と高まり、1960(昭和35)年7月20日、晴れてブルートレインの仲間入りを果たしたのです。

電源車を含む14両編成の「はやぶさ」は1〜7号車が東京〜西鹿児島間の基本編成、8〜13号車が東京〜博多間の付属編成でした。しかし、1968(昭和43)年10月1日の改正で、博多発着の付属編成が長崎発着に変更となり、1975(昭和50)年3月10日改正で熊本発着に変更となるまで「はやぶさ」の愛称は長崎エリアでも親しまれていたのです。

  • 写真:EF65形1000番台が牽引する寝台特急「富士」。東海道・山陽本線東京〜下関間の直流電化区間の牽引機はEF60形500番台、EF65形500番台を経て1978(昭和53)年10月からEF65形1000番台が担当した

寝台特急「富士」が登場


富士山をデザインした独特のヘッドマークを付けて走る上りの寝台特急「富士」

「はやぶさ」の登場からちょうど6年後。東海道新幹線の東京〜新大阪間が開業した1964(昭和39)年10月1日の改正で、東京〜熊本・大分間の寝台特急「みずほ」の大分編成が独立し、東京〜大分間を結ぶ寝台特急「富士」が登場しました。東京〜九州間を結ぶ寝台特急列車としては新参者でしたが、「富士」の列車愛称自体は日本初の由緒あるもので、1929(昭和4)年9月に東京〜下関間の1・2等特別急行列車に付けられたのです。

昭和30年代には東海道本線の151系電車特急に付けられましたが、東海道新幹線開業に伴う在来線特急列車の廃止によって東京〜大分間の寝台特急列車にその名が譲られることになりました。

1965(昭和40)年10月1日の改正では、運転区間を東京〜西鹿児島間に拡大。これまで鹿児島本線経由の「はやぶさ」が日本一長距離を走る特急列車でしたが、日豊本線経由の「富士」が日本一の座を獲得することになりました。日本一の座は運転区間が宮崎発着に短縮された1980(昭和55)年10月1日改正まで続いたのです。

  • 写真:富士山をデザインした独特のヘッドマークを付けて走る上りの寝台特急「富士」。1985(昭和60)年3月14日改正から東京〜下関間の牽引機は、高速貨物列車用として誕生したEF66形が使用されている

九州ブルートレインの新時代


単独運転区間となる門司〜熊本間では「はやぶさ」のヘッドマークが輝いている

1964(昭和39)年10月1日の改正から1・2列車「さくら」、3・4列車「みずほ」、5・6列車「あさかぜ」、7・8列車「はやぶさ」、9・10列車「富士」の5往復が運転されていましたが、1968(昭和43)年10月1日改正では東京〜博多間の11・12列車「あさかぜ(2・1号)」が増発され6往復体制となりました。

登場以来“走るホテル”として好評を博した20系ブルートレインでしたが、日本経済の発展にあわせて寝台設備のグレードアップが求められるようになってきました。1971(昭和46)年9月30日、B寝台車のベッド幅を52cmから70cmに広げた14系客車の試作車が誕生。1972(昭和47)年3月15日改正から「さくら」「みずほ」「あさかぜ(2・3号)」が14系客車に、1975(昭和50)年3月10日改正では「はやぶさ」「富士」が24系客車に置き換えられ、九州ブルートレインの新時代が到来したのです。

  • 写真:交流電化された九州内ではED76形などの交流電気機関車がブルートレインを牽引。単独運転区間となる門司〜熊本間では「はやぶさ」のヘッドマークが輝いている

1985(昭和60)年3月14日から寝台特急「はやぶさ」に連結されたロビーカー

また、B寝台車の2段寝台化も昭和40年代後半から始まり、1974(昭和49)年4月25日に2段寝台の24系25形客車が登場。1976(昭和51)年9月下旬から「はやぶさ」「富士」も24系25形に置き換えられ、長距離の旅でもゆったりと利用できるようになりました。さらに1985(昭和60)年3月14日改正では、「はやぶさ」にホテルのロビーのようなソファーを配置した自由空間のロビーカーを連結。日本一長距離を走る特急列車にふさわしいサービス設備がプラスされました。1986(昭和61)年11月1日からは「富士」にもロビーカーが連結されたのです。

  • 写真:1985(昭和60)年3月14日から寝台特急「はやぶさ」に連結されたロビーカー。ゆったりくつろげるフリースペースとして好評を博した

最後の九州ブルートレイン


ブルートレインの最後部を飾るテールマーク

JR発足後の1989年3月11日、時代のニーズに応えるためB寝台1人用個室「ソロ」を「はやぶさ」「富士」に各1両連結。A寝台1人用個室「シングルデラックス」とあわせて自由にくつろげる個室空間が人気の的になりました。しかし、新幹線の登場など、時代の流れの中で東京〜博多間の元祖ブルートレイン「あさかぜ」はその役割を静かに終えたのです。

  • 写真:ブルートレインの最後部を飾るテールマーク。写真は1976(昭和51)年10月から平成17年2月まで寝台特急「富士」に使用された24系25形客車の絵入りのもの

ヘッドマークには「はやぶさ」と「さくら」の2列車の愛称が並ぶ

1997年11月29日の改正では、東京〜南宮崎間の特急1・2列車「富士」が大分発着に、東京〜西鹿児島間の特急5・6列車「はやぶさ」は熊本発着に短縮されました。さらに、1999年12月4日改正では長崎発着の「さくら」と熊本発着の「はやぶさ」の併結運転が実施され、東京〜長崎・熊本間の寝台特急「さくら/はやぶさ」が誕生。そして、2005年3月1日改正で東京〜下関間の寝台特急「あさかぜ」と東京〜長崎間の寝台特急「さくら」が廃止になると、最後まで残った「はやぶさ」と「富士」は東京〜門司間で併結運転されることになりました。

  • 写真:1999年12月4日改正から寝台特急「はやぶさ」は東京〜長崎間の寝台特急「さくら」と併結運転。ヘッドマークには2列車の愛称が並ぶようになった

東京〜九州間のブルートレインで最後まで残った寝台特急「はやぶさ」と「富士」が併結運転

かつては鹿児島本線経由と日豊本線経由で東京〜西鹿児島間を結び、日本一の長距離を走る特急列車としてその座を争った2列車が、くしくも九州ブルートレインの掉尾(ちょうび)を飾る列車になりました。両列車ともA寝台1人用個室「シングルデラックス」1両とB寝台1人用個室「ソロ」1両および2段式B寝台車4両を連結するシンプルな列車ですが、夜行列車本来の旅を満喫できる列車として、勇退を迎えるその日まで活躍し、名門列車の歴史を刻み続けたのです。

  • 写真:2005年3月1日改正で寝台特急「さくら」が廃止。東京〜九州間のブルートレインで最後まで残った寝台特急「はやぶさ」と「富士」が併結運転されるようになった

寝台特急「はやぶさ・富士」路線図 寝台特急「はやぶさ・富士」路線図

  • 文:結解 喜幸
  • 写真:結解 学
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