昭和34年6月1日から形式称号が変更となった101系通勤形電車は、混雑率が300%を超える中央線の快速電車に使用されました。その乗り心地の良さや明るい車内、そしてオレンジ色の車体は、茶色一色であった国電のイメージアップが図られ、ほかの路線でも新性能電車の運転を望む声が上がっていました。そこで、中央線の101系化が完了した昭和35年から大阪環状線、昭和36年から山手線にカナリヤイエローの塗色で投入し、まずは東京と大阪の主力路線の101系化が進められました。
駅間距離の長い中央線では、快速や特別快速などで101系の高速性能を発揮し、快適性の向上と運転時間の短縮が図られました。しかし、全電動車による高速性能を狙った101系には技術的な無理もあり、駅間距離の短い山手線では高加速・高減速ができる車両の投入に期待がかかっていました。それでも、乗客にとっては茶色の旧形電車と比べると乗り心地もよく、快適な101系は各線で活躍を続けるようになりました。
なお、101系は昭和44年まで総計1,535両の製造が続けられ、中央線では201系が投入された後も昭和60年3月まで活躍。また、中央・総武緩行線や京浜東北線、南武線、鶴見線、関西本線、片町線など首都圏・関西圏を中心に活躍を続けましたが、平成15年11月28日の南武支線尻手〜浜川崎間の運転をもって定期運用が消滅し、戦後の名車のひとつとなる101系は全廃となりました。