太平洋戦争の戦況悪化に伴って昭和19年4月1日から連結を中止した食堂車ですが、戦後は占領軍専用列車で連結を再開しました。戦後は食糧事情も悪く、さらに荒廃した一般の車両整備に重点が置かれていたため、一般の列車への食堂車の連結は不可能な状況でした。昭和24年9月15日、東京〜大阪間に特急「へいわ」が復活したのを機に、同列車と東京〜鹿児島間の急行列車で食堂車の連結が復活しました。
戦後の混乱期から順次復興を果たした国鉄では、寝台車や食堂車の連結など旅客サービスの向上に力を注ぐようになります。昭和30年代に入ると主な特急・急行列車には食堂車が連結され、長距離列車の旅の楽しみが増加。食事時間帯になると食堂車の空席待ちの列ができるようになりました。
昭和33年10月1日、元祖ブルートレインとなる20系客車を使用した東京〜博多間の寝台特急「あさかぜ」が誕生しました。編成中にはナシ20形食堂車が連結され、長い旅路の中で夕食と朝食を提供。オール冷房完備の最新設備を備えた列車の登場により、食堂車の利用もより快適なものになりました。車内は中央通路を挟んで4人用テーブルを配置し、車端に厨房と窓側に通路という食堂車の基本スタイルで、その後に登場する食堂車も同様のスタイルになっています。