『トレたび』は、交通新聞社が企画・制作・運営する鉄道・旅行情報満載のウェブマガジンです。

  • mixiチェック

昭和39年12月25日、北陸本線大阪〜富山間を結ぶ電車特急「雷鳥」が登場。今も485系電車で活躍を続ける特急「雷鳥」にスポットを当てて紹介します。(文=結解喜幸 写真=結解学)

What's 交直流電車?

 初期の電気鉄道の電化方式は直流電源を採用していましたが、長距離区間においては送電ロスが少なく、変電所などの地上設備のコストが低い交流電源が注目されていました。このため、欧州では交流電化の実用化が推進されてきましたが、我が国においても昭和30年から仙山線で交流電化の実用化試験を開始。交流電化の実用化の目処が立ったため、その後に推進された幹線の電化は交流電源方式が採用されることになりました。
 まずは常磐線や東北本線、北陸本線、鹿児島本線などの幹線電化が交流電源方式で行なわれることになりましたが、すでに首都圏や関西圏エリアの主な路線は直流電化による電車運転が実施されていたため、両区間を直通できる交直流電車の開発が急務となりました。そこで直流電車に変圧器や整流器を搭載し、交流電源にも対応した交直流電車が開発されることになりましたが、日本の交流電源の商用周波数は天竜川を境に東日本50Hz西日本60Hzと異なっているため、常磐線や東北本線は50Hz、北陸本線や鹿児島本線は60Hzに対応した車両を投入する必要がありました。このため、50Hz対応の401・451系、60Hz対応の421・471系と交流電源の周波数に対応した形式が登場しました。
 交流電化区間の拡大に伴って特急用電車の投入も計画され、昭和33年の登場以来、国鉄を代表する人気車両となった151系直流特急用電車「こだま形」のスタイルをベースに、交流機器を搭載した2電源対応の481系が誕生することになりました。当初は北陸本線富山電化に合わせて昭和39年10月1日改正から運転を開始する予定でしたが、車両の落成が遅れたため同年12月25日から大阪〜富山間の特急「雷鳥」および名古屋〜富山間の特急「しらさぎ」でデビューを飾りました。
 特急用車両は先に登場した60Hz対応車が481系、後から登場した50Hz対応車が483系となり、前者は北陸本線、山陽本線、鹿児島本線、後者は東北本線の電車特急として活躍。その後は50Hzと60Hzの両周波数に対応した485系をはじめとする、日本全国の電化区間で走行可能な3電源対応の交直流電車が誕生しています。

北陸本線富山電化にあわせ 特急「雷鳥」「しらさぎ」が登場

 昭和39年8月の北陸本線金沢〜富山操車場間の交流電化完成に伴い、同年10月1日改正から大阪・名古屋〜富山間の電車特急を運転することになりました。ところが、151系直流特急用電車の交直流タイプとなる481系の落成が大幅に遅れ、第一陣の登場が10月27日となったため、同年12月25日の年末輸送から運転を開始することになりました。
 昭和39年12月25日、北陸本線の大阪〜富山間に特急「雷鳥」、名古屋〜富山間に特急「しらさぎ」が誕生。特急「雷鳥」の運転時刻は下りの2001Mが大阪発12時30分→富山着17時15分、上りの2002Mは富山発13時35分→大阪着18時20分となり、昭和36年10月改正から運転を開始した大阪〜青森間のキハ80系気動車特急「白鳥」とあわせ、同区間は2往復の特急列車で結ばれるようになりました。なお、列車は4・5号車に一等車のサロ481を2両、6号車に食堂車のサシ481を組み込んだ11両編成で、151系電車に組み込まれていた特別一等車やビュッフェ車は製造されませんでした。
 昭和41年10月1日改正では特急「雷鳥」1往復が増発となり、「第1雷鳥」「第2雷鳥」の2往復体制となりました。さらに全国各地で特急列車の大増発やスピードアップが行なわれた昭和43年10月1日改正では特急「雷鳥」が「雷鳥1〜3号」(今改正から号数表示に変更)の3往復に増強され、さらに米原〜金沢間で最高速度120km/h運転が行なわれるようになり、大阪〜富山間は4時間15分、大阪〜金沢間は3時間27分と所要時間が短縮されました。

151系直流特急用電車「こだま形」と同様のボンネットスタイルで登場した481系交直流特急用電車

大阪〜富山間の特急「雷鳥」と名古屋〜富山間の特急「しらさぎ」で営業運転を開始した481系

北陸本線の特急列車が増発 特急「北越」が誕生

 大阪発着の北陸方面への昼行特急列車は「雷鳥」「白鳥」の計4往復でしたが、昭和44年10月1日の北陸本線全線複線電化完成および信越本線全線電化完成に伴うダイヤ改正では、485系特急「雷鳥」が大阪〜富山間3往復と大阪〜金沢間1往復(増発)の計4往復に増強。さらに大阪〜新潟間に臨時特急「北越」1往復が設定され、大阪発着の北陸方面への特急列車は「雷鳥」4往復、「北越」1往復(昭和45年3月1日から定期列車)、「白鳥」1往復となりました。
 昭和45年10月1日改正では、大阪〜富山間の特急「雷鳥5号」1往復が増発されましたが、下り列車は大阪発18時50分、上り列車は富山発17時30分となり、相互の日帰り滞在時間が大幅に拡大しています。
 また、国鉄では「DISCOVER JAPAN」のキャンペーンを開始しましたが、これにより全国各地の観光地へ大勢の観光客が訪れるようになりました。このため、ビジネスと観光の両面に対応した特急列車の増発が急務となり、485系および信越本線碓氷峠対応の489系が増備されることになりました。
 昭和47年3月15日改正では、大阪〜富山間に特急「雷鳥」3往復が増発されて8往復体制となり、北陸本線を代表する特急列車として輝かしい時代を迎えることになりました。車両の落成の関係から1往復は同年6月4日からの運転となりましたが、これはダイヤ改正における利便性を先にPRするという当時の手法でした。
 特急「雷鳥」が2往復増発されて10往復体制(うち2往復は大阪〜金沢間)となった昭和47年10月2日改正では、大阪〜青森間の特急「白鳥」も485系電車化されてスピードアップが図られます。

昭和47年の増備車から貫通タイプのクハ481形200番台が登場。後に「雷鳥」にも運用された

昭和53年10月2日改正からカラフルな絵入りヘッドマークが取り付けられた特急「雷鳥」

次のページへ

バックナンバー

このページのトップへ