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2022.04.19鉄道北陸本線を走った老舗電車特急 485系 特急「雷鳥」

1964(昭和39)年12月25日、北陸本線大阪~富山間を結ぶ電車特急「雷鳥」が登場。2011年に引退した485系電車の特急「雷鳥」にスポットを当てて紹介します。

交直流電車とは?

初期の電気鉄道の電化方式は直流電源を採用していましたが、長距離区間においては送電ロスが少なく、変電所などの地上設備のコストが低い交流電源が注目されていました。このため、欧州では交流電化の実用化が推進されてきましたが、我が国においても1955(昭和30)年から仙山線で交流電化の実用化試験を開始。交流電化の実用化の目処が立ったため、その後に推進された幹線の電化は交流電源方式が採用されることになりました。

まずは常磐線や東北本線、北陸本線、鹿児島本線などの幹線電化が交流電源方式で行なわれることになりましたが、すでに首都圏や関西圏エリアの主な路線は直流電化による電車運転が実施されていたため、両区間を直通できる交直流電車の開発が急務となりました。そこで直流電車に変圧器や整流器を搭載し、交流電源にも対応した交直流電車が開発されることになりましたが、日本の交流電源の商用周波数は天竜川を境に東日本が50Hz、西日本は60Hzと異なっているため、常磐線や東北本線は50Hz、北陸本線や鹿児島本線は60Hzに対応した車両を投入する必要がありました。このため、50Hz対応の401・451系、60Hz対応の421・471系と交流電源の周波数に対応した形式が登場しました。

交流電化区間の拡大に伴って特急用電車の投入も計画され、昭和33年の登場以来、国鉄を代表する人気車両となった151系直流特急用電車「こだま形」のスタイルをベースに、交流機器を搭載した2電源対応の481系が誕生することになりました。当初は北陸本線富山電化に合わせて1964(昭和39)年10月1日改正から運転を開始する予定でしたが、車両の落成が遅れたため同年12月25日から大阪〜富山間の特急「雷鳥」および名古屋〜富山間の特急「しらさぎ」でデビューを飾りました。

特急用車両は先に登場した60Hz対応車が481系、後から登場した50Hz対応車が483系となり、前者は北陸本線、山陽本線、鹿児島本線、後者は東北本線の電車特急として活躍。その後は50Hzと60Hzの両周波数に対応した485系をはじめとする、日本全国の電化区間で走行可能な3電源対応の交直流電車が誕生しています。

北陸本線富山電化にあわせ 特急「雷鳥」「しらさぎ」が登場


151系直流特急用電車「こだま形」と同様のボンネットスタイルで登場した481系交直流特急用電車

1964(昭和39)年8月の北陸本線金沢〜富山操車場間の交流電化完成に伴い、同年10月1日改正から大阪・名古屋〜富山間の電車特急を運転することになりました。ところが、151系直流特急用電車の交直流タイプとなる481系の落成が大幅に遅れ、第一陣の登場が10月27日となったため、同年12月25日の年末輸送から運転を開始することになりました。

1964(昭和39)年12月25日、北 陸本線の大阪〜富山間に特急「雷鳥」、名古屋〜富山間に特急「しらさぎ」が誕生。特急「雷鳥」の運転時刻は下りの2001Mが大阪発12時30分→ 富山着17時15分、上りの2002Mは富山発13時35分→大阪着18時20分となり、1961(    36)年10月改正から運転を開始した大阪 〜青森 間のキハ80系気動車特急「白鳥」とあわせ、同 区間は2往復の特急列車で結ばれるようになりました。

 なお、列車は4・5号車に一等車のサロ481を2両 、6号車に食堂車のサシ481を組み込ん だ11両編 成で、151系電車に組み込まれていた特別一等車やビュッフェ車は製造されませんでした。

  • 写真:151系直流特急用電車「こだま形」と同様のボンネットスタイルで登場した481系交直流特急用電車

大阪〜富山間の特急「雷鳥」と名古屋〜富山間の特急「しらさぎ」で営業運転を開始した481系

1966(昭和41)年10月1日改正では特急「雷鳥」1往復が増発となり、「第1雷鳥」「第2雷鳥」の2往復体制となりました。

さらに全国各地で特急列車の大増発やスピードアップが行なわれ た1968( 昭和43)年10月1日改正では特急「雷鳥」が「雷鳥1〜3号」(今改正 から号数表示に変更)の3往復に増強され、さらに米原〜金沢間で最高速度120km/h運転が行なわれるようになり、大阪〜富山間は4時間15分、大阪〜金沢間 は3時 間27分と所要時間が短縮さ れました。 

  • 写真:大阪〜富山間の特急「雷鳥」と名古屋〜富山間の特急「しらさぎ」で営業運転を開始した481系

北陸本線の特急列車が増発


1972(昭和47)年の増備車から貫通タイプのクハ481形200番台が登場

大阪発着の北陸方面への昼行特急列車は「雷鳥」「白鳥」の計4往復でしたが、1969(昭和44)年10月1日の北陸本線全線複線電化完成および信越本線全線電化完成に伴うダイヤ改正では、485系特急「雷鳥」が大阪〜富山間3往復と大阪〜金沢間1往復(増発)の計4往復に増強。さらに大阪〜新潟間に臨時特急「北越」1往復が設定され、大阪発着の北陸方面への特急列車は「雷鳥」4往復、「北越」1往復(1970〔昭和45〕年3月1日から定期列車)、「白鳥」1往復となりました。

1970(昭和45)年10月1日改正では、大阪〜富山間の特急「雷鳥5号」1往復が増発されましたが、下り列車は大阪発18時50分、上り列車は富山発17時30分となり、相互の日帰り滞在時間が大幅に拡大しています。

  • 写真:1972(昭和47)年の増備車から貫通タイプのクハ481形200番台が登場。後に「雷鳥」にも運用された

1978(昭和53)年10月2日改正からカラフルな絵入りヘッドマークが取り付けられた特急「雷鳥」

また、国鉄では「DISCOVER JAPAN」のキャンペーンを開始しましたが、これにより全国各地の観光地へ大勢の観光客が訪れるようになりました。このため、ビジネスと観光の両面に対応した特急列車の増発が急務となり、485系および信越本線碓氷峠対応の489系が増備されることになりました。

1972(昭和47)年3月15日改正では、大阪〜富山間に特急「雷鳥」3往復が増発されて8往復体制となり、北陸本線を代表する特急列車として輝かしい時代を迎えることになりました。車両の落成の関係から1往復は同年6月4日からの運転となりましたが、これはダイヤ改正における利便性を先にPRするという当時の手法でした。

特急「雷鳥」が2往復増発されて10往復体制(うち2往復は大阪〜金沢間)となった1972(昭和47)年10月2日改正では、大阪〜青森間の特急「白鳥」も485系電車化されてスピードアップが図られます。

  • 写真:1978(昭和53)年10月2日改正からカラフルな絵入りヘッドマークが取り付けられた特急「雷鳥」

北陸を短絡する湖西線開業 エル特急「雷鳥」が誕生


1978(昭和53)年10月2日改正で増発された4往復の「雷鳥」には583系寝台特急用電車が運用された

1973(昭和48)年3月1日改正では、大阪〜富山間の特急「雷鳥」1往復が大阪〜新潟間の特急「北越」となり、さらに大阪〜金沢間に毎日運転の臨時特急「雷鳥」1往復、金沢〜新潟間に毎日運転の臨時特急「北越」1往復を増発。これにより、大阪〜金沢・富山間の特急「雷鳥」10往復、大阪・金沢〜新潟間の特急「北越」3往復の計13往復体制(臨時列車は同年10月1日改正から定期列車)となりました。

1975(昭和50)年3月10日改正では、大阪と北陸方面を短絡する湖西線が開業したのに伴い、従来の米原経由の特急列車を湖西線経由に変更。急行列車2往復を格上げして、特急「雷鳥」は12往復体制になり、エル特急の仲間入りを果たしました。

大阪〜新潟間の特急「北越」が「雷鳥」に編入された1978(昭和53)年10月2日改正では、大阪〜金沢・富山・新潟間の特急「雷鳥」が16往復体制に増強。これまで485系や489系で運転されてきた「雷鳥」のうち4往復は583系となっています。

  • 写真:1978(昭和53)年10月2日改正で増発された4往復の「雷鳥」には583系寝台特急用電車が運用された

JR東日本の新潟色の485系も「雷鳥」に運用

1982(昭和57)年11月、北陸本線の475系昼行急行列車が全廃・特急列車への格上げが行なわれ、特急「雷鳥」は大阪〜金沢間6往復、大阪〜富山間9往復、大阪〜新潟間3往復の計18往復体制になりました。

2往復残っていた583系特急「雷鳥」が廃止となった1985(昭和60)年3月14日、485系で運転されるようになった16往復中7往復の485系編成に食堂車サシ481を改造した和風グリーン車「だんらん」を連結。14畳敷きの客室に7ブロックの和風テーブル席とビュッフェコーナーを設置した「だんらん」は、関西から北陸方面へのレジャー客に好評を博しました。

1986(昭和61)年12月27日からは大阪〜和倉温泉間に気動車特急「ゆぅトピア和倉」が運転を開始しましたが、大阪〜金沢間は特急「雷鳥」の後部に連結。電車と気動車を連結した珍しい編成で運転されることになりました。

  • 写真:JR東日本の新潟色の485系も「雷鳥」に運用。白と青を基調としたオリジナルカラーで活躍した

国鉄からJRへ 特急「スーパー雷鳥」が誕生


1989年3月11日から運転を開始した特急「スーパー雷鳥」にはパノラマグリーン車が連結された

1989年3月11日、7号車にパノラマグリーン車、6号車にカフェテリア&グリーン室(和風グリーン車「だんらん」を改造)を連結した神戸・大阪〜富山間の485系特急「スーパー雷鳥」4往復が登場しました。アコモデーションを改善したデラックスな車両が好評を博することになり、1990年3月10日改正からは9両編成に増強。1991年3月16日には1往復増発され、特急「スーパー雷鳥」は5往復体制となりました。

1991年9月1日には七尾線の電化完成に伴う改正が実施され、特急「スーパー雷鳥」3往復が和倉温泉まで直通。列車は7両編成+3両編成の10両編成となり、7両編成は和倉温泉発着、3両編成は富山発着のスタイルで運転されることになりました。

  • 写真:1989年3月11日から運転を開始した特急「スーパー雷鳥」にはパノラマグリーン車が連結された

基本7両編成と付属3両編成(先頭車両は貫通タイプ)の10両編成で運転される「スーパー雷鳥」

1992年12月26日、試作の681系9両編成が大阪〜富山間の臨時特急「雷鳥85・90号」で運転を開始。同車両は「ニュー雷鳥」として活躍することになりましたが、量産車が増備された1995年4月20日には特急「スーパー雷鳥(サンダーバード)」として運転を開始しました。

1997年3月22日改正では、特急「スーパー雷鳥(サンダーバード)」が「サンダーバード」に改称となり、681系特急「サンダーバード」8往復、485系特急「スーパー雷鳥」4往復、485系特急「雷鳥」11往復の計23往復となりました。

2001年3月3日の683系の登場により、富山・和倉温泉発着の681・683系が特急「サンダーバード」、金沢発着の485系が特急「雷鳥」となり、特急「スーパー雷鳥」の愛称は廃止となっています。

  • 写真:基本7両編成と付属3両編成(先頭車両は貫通タイプ)の10両編成で運転される「スーパー雷鳥」

最後の時を迎えた485系 平成22年度末まで活躍


2003年9月から大阪寄りに国鉄色のパノラマグリーン車を連結して走る485系特急「雷鳥」

1964(昭和39)年12月25日以来、北陸本線の老舗特急として活躍してきた485系特急「雷鳥」ですが、新世代の681・683系の特急「サンダーバード」の登場により、徐々に活躍の場が少なくなってきています。

2003年9月には初期の485系ボンネット車両が廃車となり、代わ りに「スーパー雷鳥」に連結されていたパノラマグリーン車が復活。国鉄色のパノラマグリーン車を先頭にした編成が運用されるようになりましたが、2009年10月1日改正で485系特急「雷鳥」3往復が683系特急「サンダーバード」となり、さらに2010年3月13日改正では485系特急「雷鳥」4往復が683系「サンダーバード」となりました。

  • 写真:2003年9月から大阪寄りに国鉄色のパノラマグリーン車を連結して走る485系特急「雷鳥」

引退した485系「雷鳥」とエースの座についた681・683系「サンダーバード」

晩年は、大阪~金沢間に1往復の485系特急「雷鳥33・8号」の運転や、臨時特急「雷鳥」として運行されました。

そして、2011年に走行を終了。多くのファンに惜しまれつつ、引退となりました。

  • 写真:引退した485系「雷鳥」とエースの座についた681・683系「サンダーバード」
  • 文:結解 喜幸
  • 写真:結解 学
  • 本記事は2010年5月初出のものを再構成しました
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