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[153系・165系・169系 直流急行形電車]昭和33年11月、東海道本線に登場した153系急行形電車。ここからはじまる直流急行形電車の歴史にスポットを当てて紹介します。(文=結解喜幸 写真=結解学)

What's 準急行列車?

 JRや私鉄各社の列車種別には、特別急行列車(特急列車)から普通列車までいろいろとありますが、かつての国鉄には準急行列車(準急列車)が運転されていました。大正15年(1926)8月15日改正で東海道本線東京〜名古屋間および名古屋〜神戸間に設定されたのが、日本の鉄道における「準急行列車」のはじまりです。当時は急行券不要の快速サービスが行なわれ、主要都市間の移動や観光地を結ぶ中・短距離の列車で好評を博しました。

 戦後は昭和21年11月10日、上野〜金沢間および上野〜秋田間に「準急行列車」が再登場し、この時から「準急行料金」が設定されました。戦前は料金不要の快速タイプの列車種別でしたが、その後に復活する特別急行列車・急行列車とあわせて「特別急行券」「急行券」「準急行券」の3種類の料金券が設定されるようになりました。

 当時の準急行列車は急行列車を補完する役割でしたが、昭和30年代に入ると競合する私鉄線に対抗する俊足の列車も登場。中でも東武鉄道と競合していた上野(東武は浅草)〜日光間においては、昭和31年10月から最新鋭のキハ55形気動車を投入し、日光への旅客争奪合戦がはじまりました。昭和34年9月には特急列車と同等のサービス設備を備えた157系電車「日光形」が登場し、急行列車を凌ぐスピードと車内サービスで好評を博しました。

 また、昭和33年10月に落成した153系急行用電車は、同年11月1日から東海道本線東京〜名古屋間の準急「東海」で運転を開始。当時は長距離区間が急行列車、中・短距離区間は準急列車として運転されていました。しかし、昭和35年6月1日改正で東京〜大阪間に153系を使用した初の電車急行が登場して以来、当初は準急運用のみであった153系も急行運用が増加していきました。

 なお、昭和41年3月5日に実施された運賃改訂では、走行距離が100km以上の列車はすべて「急行」に格上げされました。そして、昭和43年10月1日改正では準急列車が全廃となり、国鉄から「準急行列車」の列車種別が消滅しました。

昭和33年11月1日改正で153系準急「東海」が登場

 国鉄の車両近代化計画に伴う新系列の車両開発が進められてきましたが、昭和32年に電車近代化の第一陣となる101系通勤形電車(登場当時はモハ90系)が登場しました。電動車を2両1ユニットとしたMM’方式やカルダン駆動の採用など、高速運転および乗り心地の向上に寄与する新機軸が盛り込まれた新系列の電車で、翌年9月から10月にかけて101系開発で培われた最新技術をベースとして151系特急形電車(登場当時はモハ20系)と153系急行形電車(登場当時はモハ91系)が相次いで誕生しました。

 昭和30年代に入るまで「優等列車=客車列車」が当たり前でしたが、昭和31年11月19日の東海道本線全線電化完成は中・長距離区間における「電車」運転を実現させる契機となり、東京〜大阪・神戸間の151系特急「こだま」の誕生が実現。この当時の特急・急行列車に使用された最新鋭の10系軽量客車と同等の車内設備を備えた153系でしたが、まずは昭和33年11月1日から東海道本線東京〜名古屋間の準急「東海」1往復で運転を開始しました。

 最初に登場した車両は三等制御車のクハ153形、三等電動車のモハ152+モハ153形、三等付随車のサハ153形、二等付随車のサロ153形で、当時の80系準急列車の仕様にあわせたモノクラス中心の編成となりました。先頭車両は80系非貫通の「湘南スタイル」とは異なる貫通タイプとなり、編成の中間に先頭車両が組み込まれても通り抜けができるようになりました。また、80系湘南電車と同じくオレンジとグリーンのツートンカラーが採用され、東海道本線の新系列の準急列車として好評を博すことになりました。なお、最初に運用された列車が準急「東海」であったことに因み、153系は「東海形」の愛称で呼ばれるようになっています。

昭和33年11月の登場当時の153系は東海道本線東京〜名古屋間の準急「東海」で運転を開始した

愛称の付いた大型ヘッドマークを取り付けて東海道本線東京〜大阪間の電車急行で活躍した153系

東海道本線東京〜大阪間に初の電車急行「せっつ」誕生

 東京〜名古屋間の準急「東海」や名古屋〜大阪間の準急「比叡」の運転実績を踏まえ、東京〜大阪間の急行列車にも153系を運用することになり、昭和35年6月1日改正では国鉄初の電車急行となる「せっつ」が誕生しました。当時の客車急行「なにわ」よりも約1時間早い7時間46分で走破した153系電車急行は好評を博し、客車急行「なにわ」の電車化が望まれるようになりました。そこで、急行列車にふさわしいリクライニングシートを備えた一等車のサロ152形およびビュッフェ車のサハシ153形を組み込むことになり、同車両が落成し一等車2両とビュッフェ車2両を組み込んだ12両編成が登場。昭和36年3月1日から客車急行「なにわ」の電車化、急行「せっつ」のグレードアップ、153系夜行急行「金星」の新設が実施されました。

 最初に登場した153系の先頭車は運転台の位置が低いタイプでしたが、昭和36年の増備車からは踏切事故対策として運転台の位置を高くした「高運転台」となり、このスタイルはその後に登場する急行形電車の基本となりました。

 昭和36年10月1日改正では、東京〜大阪間の153系電車急行が大増発され、従来からの「なにわ」「せっつ」に加え、「やましろ」「よど」「いこま」「六甲」の4列車を新設。東京〜大阪間を7時間30分で結ぶ昼行電車急行は6往復、夜行電車急行は3往復となり、153系電車急行は黄金期を迎えることになりました。

 しかし、昭和39年10月1日の東海道新幹線開業により元祖電車急行「せっつ」2往復は廃止となり、さらに昭和40年10月1日改正では「なにわ」2往復を残して廃止。そして昭和43年10月1日改正で急行「なにわ」2往復も廃止となり、東海道本線東京〜大阪間の153系電車急行の歴史に終止符が打たれました。

東海道本線の電車急行用として誕生した153系高運転台の先頭車の顔部分はオレンジ色のみであった

先頭車のスタイルが異なる低運転台で登場した153系の初期車は房総エリアの電車急行で活躍

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