昭和39年10月、東京オリンピックが開催されることになり、これにあわせて東海道新幹線東京〜新大阪間の開業が決定しました。当時の国鉄技術者が英知を結集して世界初となる最高速度200km/hの高速鉄道を建設することになり、これまでに蓄積された技術を結集。昭和37年には鴨宮付近にモデル線が完成し、新幹線試作電車が2編成投入されました。
昭和37年6月に完成した新幹線試作電車のA編成は1001号+1002号の2両編成、B編成は1003〜1006号の4両編成で、鴨宮モデル線において各種走行テストが実施されました。高速運転に対する問題点をクリアして量産化のスタイルが決定し、昭和39年2月から各車両メーカーで製造された量産車が登場。12両編成が30本の計360両の新幹線車両が開業の日を目指して試運転を開始しました。
昭和39年10月1日、東京発6時の「ひかり1号」が新大阪駅に向けて出発し、世界の高速鉄道の歴史が始まりました。計画では東京〜新大阪間の所要時間を「ひかり」3時間10分、「こだま」4時間としていましたが、路盤が固まるまでの間は「ひかり」4時間、「こだま」5時間で運転。1年後の昭和40年11月1日改正から「ひかり」3時間10分、「こだま」4時間の運転が開始されました。
なお、開業時は「新幹線電車」と呼ばれていましたが、昭和55年に東北・上越新幹線用の200系が製造されたため、それ以降は0系と呼ばれるようになっています。