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スペシャル企画 関西圏と新潟・青森を結ぶ歴史ある夜行列車 ありがとう! 寝台特急「日本海」&急行「きたぐに」(文=結解喜幸 写真=結解学)

寝台特急「日本海」 Sleeper Train NIHONKAI

運転開始
昭和43年10月1日
運転区間
大阪~青森
経由線区
東海道本線・湖西線・北陸本線・
信越本線・羽越本線・奥羽本線
所要時間
下り=14時間58分
上り=14時間56分
座席種別
開放式A寝台(客車二段式)
開放式B寝台(客車二段式)

急行「きたぐに」 Express KITAGUNI

運転開始
昭和57年11月15日
運転区間
大阪~新潟
経由線区
東海道本線・北陸本線・信越本線
所要時間
下り=9時間2分
上り=7時間51分
座席種別
開放式A寝台(電車二段式)
開放式B寝台(電車三段式)
グリーン車指定席
普通車自由席

What’s 583系交直流特急形電車?

九州鉄道記念館に展示されている581系寝台特急「月光」。昼夜兼行で使用できる世界初の寝台電車だった

 大阪駅と新潟駅を結ぶ夜行急行「きたぐに」に使用されている車両は、昭和42年10月1日改正で世界初の寝台電車としてデビューを飾った581系(583系)です。昼夜兼行で使用できる特急車両として開発され、昼間は座席指定の特急列車、そして夜間は寝台特急列車の効率的な運用ができるようになりました。新大阪駅と博多駅を結ぶ寝台特急「月光」および新大阪駅と大分駅を結ぶ特急「みどり」の2列車で活躍を開始しました。

 東北本線全線複線電化完成に伴う昭和43年10月1日改正では、上野駅と青森駅を結ぶ特急「はつかり」および寝台特急「はくつる」「ゆうづる」に運用されることになり、東北の50Hz区間でも使用できる直流・交流50/60Hzの3電源対応の増備車として583系が登場しました。昼夜兼行の経済性が高く評価されて増備が行なわれ、東北方面では特急「はつかり」「みちのく」「ひばり」、寝台特急「はくつる」「ゆうづる」、山陽・九州方面では特急「つばめ」「はと」「しおじ」「有明」、寝台特急「明星」「金星」「きりしま」「なは」「彗星」、北陸方面では特急「雷鳥」「しらさぎ」など、各地を走る名列車で活躍するようになりました。

 ところが、時代のニーズに合わせて二段式B寝台車が登場すると、上中段が狭い三段式B寝台車は敬遠されるようになり、さらに昼間の特急列車でも4人用ボックス席ではサービス低下になっていました。このため、特急運用から離脱した車両は715系および419系近郊形電車に改造され、残った車両は北陸本線の夜行急行「立山」などに使用されるようになりました。昼夜兼行という経済性に優れた名車でしたが、最後の定期列車となった急行「きたぐに」から引退し、今後は多客時の臨時列車に使用されることになりました。

戦後の復興期に登場 大阪駅と青森駅を結んだ夜行列車

 北陸本線や信越本線を経由して大阪駅と青森駅を結ぶ急行列車(一部区間は普通列車)は、大正13年(1924)7月31日の羽越本線全通時に設定されました。大正15年8月15日には全区間が急行列車となり、戦況が悪化した昭和18年2月1日の急行列車廃止まで大阪駅と青森駅を結ぶ列車として活躍しました。

 昭和22年7月5日、戦後の復興に向けて大阪駅と青森駅を結ぶ急行507・508列車が登場。昭和25年11月8日には列車番号が501・502列車となり、「日本海」の愛称が付けられました。501・502列車はその後の急行「きたぐに」の列車番号、そして「日本海」の愛称は寝台特急「日本海」に引き継がれるもので、まさに2つの列車のルーツとなる列車でした。

 また、昭和36年10月1日改正で金沢駅と新潟駅を結ぶ急行「きたぐに」が登場し、昭和38年4月20日には運転区間を大阪駅~新潟駅間に延長しました。そして、昭和43年10月1日改正では、大阪駅~青森駅間の急行「日本海」を「きたぐに」に改称し、新たに20系ブルートレインを使用した寝台特急「日本海」が誕生したのです。

寝台特急「日本海」の誕生 20系ブルートレインを使用して

 「ヨン・サン・トオ」と呼ばれる特急大増発の昭和43年10月1日改正で、20系ブルートレインを使用した寝台特急「日本海」が誕生しました。大阪駅と青森駅を結ぶ長距離区間に20系ブルートレインが投入され、昼行のキハ80系特急「白鳥」とともに好評を博しました。

 昭和50年3月10日改正では、これまでの米原経由から湖西線経由に変更されるとともに、車両は14系客車に置き換えられました。さらに14系座席車を使用した「日本海」1往復が季節列車として登場。計2往復の「日本海」が活躍するようになりました。暫定的に14系座席車を使用しましたが、翌年には24系25形客車が落成して寝台特急化が図られました。

 昭和53年10月2日改正では、季節列車が定期列車となり、1・4号に24系25形客車、3・2号に24系客車を使用。昭和57年11月15日改正では2往復とも24系25形客車になりました。なお、青函トンネル開業に伴う昭和63年3月13日改正では、「日本海1・4号」が函館駅まで延長運転を開始しました。

 しかし、長距離夜行列車の需要が減少する時代となり、平成20年3月15日には「日本海3・2号」が廃止となり、さらに平成24年3月17日改正では残る1往復の「日本海」も廃止されることが決定しています。

20系ブルートレインでデビューを飾った寝台特急「日本海」
登場当時の非電化区間を牽引したDD51形ディーゼル機関車
白銀の世界が広がる青森県内の奥羽本線内を快走する「日本海」
珍しくトワイライトエクスプレス塗色の電源車を連結した「日本海」
全区間において交直流電気機関車EF81形が牽引する「日本海」
青森駅を目指してラストスパートする24系寝台車の「日本海」

夜行急行「きたぐに」が登場 一般形客車を使用して

 昭和43年10月1日改正で、大阪駅と青森駅を結ぶ急行「日本海」のダイヤを引き継いだ急行「きたぐに」が登場しました。列車は10系寝台車と一般形客車の編成で、寝台車は大阪駅と新潟駅の間で連結されました。昭和48年10月1日改正では、座席車が12系客車となり、長距離旅客へのサービス向上が図られました。

 昭和57年11月15日改正では、新潟駅~青森駅間の昼行区間を特急「いなほ」系統に分離し、14系寝台車+座席車を使用して大阪駅と新潟駅を結ぶ列車となりました。そして、昭和60年3月14日改正で車両が583系電車に置き換えとなり、現在の「きたぐに」のスタイルとなりました。

 寝台特急用としてデビューした583系にはA寝台車がありませんでしたが、「きたぐに」の運転開始に合わせて二段式A寝台に改造した車両も連結。二段式A寝台+三段式B寝台+グリーン車+座席車(自由席)の4タイプの客室が用意されています。

 しかし、航空機や夜行高速バスの充実により夜行列車の利用客は減少しており、急行「きたぐに」もその役目を終えて平成24年3月17日改正で廃止されることが決定しています。定期運転の583系寝台電車は消えますが、しばらくは臨時列車として運転される予定になっています。

大阪駅11番線ホームで発車の時を待つ583系急行「きたぐに」
登場当時の昼行特急列車のスタイルで運転される普通車自由席
「きたぐに」のB寝台車は車両中央に通路がある電車三段式
定期の夜行急行列車で唯一の連結となったグリーン車のサロ581形
「きたぐに」にはJR西日本のオリジナル塗色の583系を使用
早朝の富山駅に到着した「きたぐに」。関西~北陸間の利用客も多い

写真協力:裏辺研究所
※掲載されているデータは平成24年2月現在のものです。

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