名古屋から東海道本線の快速電車に揺られること約30分。夜行快速「ムーンライトながら」の終着駅として知られる大垣駅に到着する。乗換駅として旅行者はほとんど通過してしまうことが多いが、関ヶ原越えのアプローチ駅として君臨し、往年の「つばめ」や「はと」など、かつてはほとんどの列車が停車していた。
また歴史的にも、関ヶ原の戦いにおいて西軍・石田三成の本拠地になり、寛永12年(1635)以降、戸田氏十万石の城下町として栄えた。4層の天守閣を持つ大垣城(昭和34年再建)は、城下町大垣のシンボルとして市民に親しまれている。
大垣駅前には水をイメージした広場が広がっている。古来、「水都」と呼ばれるほど地下水に恵まれた大垣では随所に湧水が見られ、今なお名水が街に潤いをもたらしている。「平成の名水百選」に選定されている湧水もあり、まさに現役の水の都だ。
夏になると、駅前の老舗和菓子屋には湧水に晒す「水まんじゅう」の屋台が出現する。水都の風物詩であり、夏の街歩きには欠かせない“涼”を感ずるスイーツといったところだ。
駅から南に15分ほど歩くと船町の水門川の水辺にたどり着く。この地は元禄2年(1689)の秋、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅を終えた結びの地で、「蛤のふたみに別れ行く秋そ」と詠んで桑名に向けて海路旅立った。
芭蕉よろしく大垣から美濃赤坂に向け“鉄路”旅立つ。大垣~美濃赤坂駅間は大正8年(1919)に全通した東海道本線の支線で、総延長5kmの路線には駅がたった2つ。特に終着駅の美濃赤坂は、郷愁を色濃く漂わせていた。
木造平屋建てのレトロ駅舎。構内には赤レンガ造りの小屋が残り、その傍ら、貨車を長く連ねた貨物列車が風を切りながら通過していく。美濃赤坂が石灰石輸送の中継地点になっているためで、このような光景に出会えるのは鉄道ファンにはたまらない。
赤坂は中山道六十九次の56番目の宿場町として栄え、皇女和宮の降嫁の折、古い家を建て替えさせた「嫁入普請」や当時の商家が街道沿いに残っている。
また、物資の搬入・搬出で賑わった赤坂港跡には常夜燈が立ち、鉄道共々、江戸から昭和にかけての往時を偲ぶことができる。
普段何気なく通り過ぎてしまっていた大垣だが、下車してみると見どころが多く、その懐の深さに驚くだろう。東海道本線の支線は、実は途中下車の穴場なのだ。
- アクセス
- 大垣へは、東京駅から東海道新幹線のぞみで約1時間40分の名古屋駅で東海道本線快速に乗換えて約30分。新大阪駅から東海道新幹線ひかりで約35分の米原駅で東海道本線に乗換えて約33分
- 主な昭和スポット
- 大垣城⇒大垣駅から徒歩10分
- 奥の細道むすびの地⇒大垣駅から徒歩15分
- 名水 大手いこ井の泉⇒大垣駅から徒歩10分
- 赤坂宿⇒美濃赤坂駅から徒歩10分
- 観光の問合せ
- 大垣市観光協会 TEL.0584-77-1535
- 1月7日
- 聖徳太子の肖像の千円札発行
- 1月30日
- 国鉄が80系電車(湘南電車)を完成
- 2月18日
- 第1回さっぽろ雪まつり開会
- 4月15日
- 公職選挙法公布
- 4月22日
- 第1回ミス日本に山本富士子が選ばれる
- 6月1日
- 日本放送協会(NHK)設立
- 6月25日
- 朝鮮戦争勃発
- 7月2日
- 金閣寺が放火により全焼
- 7月8日
- D.H.ローレンス作『チャタレイ夫人の恋人』が猥褻文書として摘発される
- 8月10日
- 自衛隊の前身「警察予備隊」発足
水都・大垣をシンボライズする大垣駅前の水のモニュメント
芭蕉も舟で下った水門川には船町港跡と住吉燈台が残り、風情が漂う
市内に点在する自噴井戸。大垣ではここかしこで美味しい水が味わえる
東海道本線の支線・美濃赤坂駅はレトロな木造駅舎で昭和のムード
新型電車とひなびた終着駅の対照が面白い (美濃赤坂駅にて)
赤坂宿のたたずまい。中山道の宿場町の面影をとどめている