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伝統 自然 建築 風土 食|日本人なら行ってみたい あの場所へ|THE定番・極上旅|vol.16 徳川家康公400年に沸く愛知県岡崎市。生誕の地から、その生涯をたどる[愛知県岡崎市]
PARK
岡崎公園

TEMPLE
大泉寺

TEMPLE
大樹寺

TEMPLE
松応寺


TEMPLE
随念寺

SHRINE
若宮八幡宮


SHRINE
八柱神社


SHRINE
滝山(たきさん)東照宮


TEMPLE
真福寺

SHRINE
岩津天満宮


STREET
八丁蔵通り


A MARCH OF IEYASU
家康行列


TRAIN 
名古屋鉄道 岡崎市「徳川家康公顕彰400年記念事業」ラッピング電車


TRAIN
東海道新幹線
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PARK
岡崎公園

徳川家康公生誕の地である岡崎城址に整備された公園。岡崎城や「三河武士のやかた家康館」ほか、産湯の井戸(写真右)など家康公ゆかりの見所があちこちに。春の桜をはじめ、四季を彩る花々の美しさでも有名。

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TEMPLE
大泉寺

家康公誕生の翌年である天文12年(1543)、家康公の生母・於大により創建。於大の妊娠中、城下の名僧・俊恵蔵主が日々、安産祈願の祈祷を行っていた薬師如来が本尊とされている。
於大の墓も残され、遺髪を埋めたと伝えられている。

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TEMPLE
大樹寺

文明7年(1475)開山。松平家、徳川将軍家の菩提寺として、松平8代の墓や歴代将軍の位牌などが祀られている。
南に1kmほど離れた西光寺には、桶狭間の戦いに敗走した家康公のため、追っ手の織田方と戦い、命を落とした多くの僧を祀った大衆塚がある。

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TEMPLE
松応寺

永禄3年(1560)、岡崎城主となった家康公が亡き父・広忠が埋葬されている月光院の地に建立。今川へ人質として送られるとき、松平家再興を祈念し手植えた松が大きくなっていることに感激した家康が「我が祈念に応ずる松なり」として、松応寺と名づけた。
2年後には、現・岡崎市桑谷町に広忠寺を建立している。

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TEMPLE
随念寺

岡崎に拠点を移し、岡崎城を築城した祖父・松平清康とその妹・久子を弔うため、永禄5年(1562)、家康公が建立。久子は、生母・於大の離縁の後、家康を養育したと伝わる。徳川2代将軍・秀忠が寄進した本堂、山門は一見の価値がある。

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SHRINE
若宮八幡宮

創建年代不詳。家康の嫡男・信康の首塚が祀られている。信長の命により切腹となった信康。その死後、岡崎城ではさまざまな怪奇現象が見られ、「信康の祟り」と恐れた人々により、ここに祀られたという。

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SHRINE
八柱神社

創建年代不詳。境内には、息子・信康とともに内通の疑いをかけられ、殺害された築山殿の首塚が祀られている。浜松城への護送中、佐鳴湖のほとりで、家臣により命を絶たれたと伝わる。

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SHRINE
滝山(たきさん)東照宮

正保3年(1646)、徳川3代将軍・家光により創建。日光東照宮(栃木県)、久能山東照宮(静岡県)とともに「日本三大東照宮」とされている。

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TEMPLE
真福寺

白鳳時代(594年)、物部守屋の子である真福が聖徳太子の許しを得て、創建。霊験を得て山上に湧き出る泉を発見した真福が広く世の人々に分け与えようとしたと伝わり、井戸の水自体が本尊という珍しい名刹。
膳、器、箸まですべて竹細工でつくられた「竹膳料理」が味わえる(1296円~。写真は1512円)。

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SHRINE
岩津天満宮

古来、霊山として人々の信仰を集めてきた岩津山に、芭蕉の葉に乗った菅原道真公が降り立たれたのが由緒。その聖なる地に岩津天満宮が創建され、以来、厚い信仰を集めている。

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STREET
八丁蔵通り

岡崎城から西へ八丁(約870m)のところにあることからその名がついた八丁村。そこで造られていた味噌を「八丁味噌」といい、現在も「まるや八丁味噌」「カクキュー」の2軒がその味を守る。味噌蔵が続く町並みは「八丁蔵通り」と呼ばれ、旧東海道の面影を残している。

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A MARCH OF IEYASU
家康行列

岡崎の春の風物詩。公募で選ばれた家康公をはじめとする武士団、姫など800余名の時代行列が続く。今年の開催は4月5日。出陣式が行われる伊賀八幡宮は、松平家の氏神とされ、家康も合戦のときは必ず参拝したと伝わる。3代家光が社殿を再建。

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TRAIN 
名古屋鉄道 岡崎市
「徳川家康公顕彰400年
記念事業」ラッピング電車

名古屋鉄道では、名古屋本線や犬山線などで家康公400年記念祭のラッピング電車を運転。 車両は3300系4両編成2本で、1両ごとに岡崎の四季の風景がデザインされている。2015年11月15日まで運転。

詳しくはこちら

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TRAIN
東海道新幹線

岡崎市ヘのアクセスは東海道新幹線が便利。
東京・静岡方面からはJR豊橋駅で東海道本線に乗り換えて、大阪方面からはJR名古屋駅から東海道本線に乗り換えて岡崎へ。

※自動表示のほか、スライド左右にマウスを置くと表示される矢印をクリックすると前後の画像へ移動します。

徳川300年の礎を築いた家康公。その辛苦の日々を見つめた岡崎という地

 
 今年は徳川家康公薨去(こうきょ)から400年。これを記念して、家康公ゆかりの地である岡崎市、静岡市、浜松市ほか静岡県内周辺市町では、2015年12月までさまざまなイベントが企画されています。
 権謀術数渦巻く、過酷な戦国時代を生き抜き、徳川300年の繁栄の礎を築いた家康公。生誕の地である岡崎市を訪ねると、その生涯が決して幸せな光にのみ包まれたものではないことが伝わってきます。

 天文11年(1542)12月26日寅の刻(午前4時頃)、家康公は三河国岡崎城主・松平家の8代当主・広忠の嫡男として、岡崎城内にて誕生しました。復元された岡崎城が美しい姿を見せる岡崎公園内には、家康公の産湯の井戸や、えな(出産後に排出される胎盤など)を埋めた「東照公えな塚」なども残されています。

 母は、同じ三河国刈谷城主・水野忠政の娘、於大(おだい)。水野は松平に娘を差し出しながらも、松平と敵対関係にあった織田信秀(信長の父)にも協力する姿勢を見せていました。戦国時代ならではの婚姻は、当然ながら長くは続かず、水野が織田と同盟を結んだことで、於大は離縁されることに。大泉寺は、家康公誕生の翌年に於大が創建した寺。そこには、於大が安産を祈願した薬師如来が本尊として祀られています。そんな愛しい我が子のもとを去らなければならなかった母・於大の辛さはいかばかりだったでしょうか。
 家康公(幼名は竹千代)は3歳にして、母と引き離され、また4年後の天文18年(1549)には、父・広忠が城中にて家臣に斬られ、命を落とすという不幸に見舞われます。今川氏の人質として駿府に送られることになった家康公は、父が埋葬されている能見ヶ原の月光院を訪れ、父に松平一族の繁栄を祈願し、松を植えたと伝わります。

 今川義元の下、人質として成長した家康公の人生の転機は、永禄3年(1560)の桶狭間の戦い。義元が織田信長に討たれ、家康公自身も命からがら菩提寺である大樹寺に逃げ込み、自害を覚悟したといいます。それを諭したのが、住職である登誉上人。生き抜く決意をした家康公は今川が放棄した岡崎城へ入城。織田信長と同盟を結び、今川と決別をするのです。

 生誕の地にようやく戻ったとはとはいえ、家康公に安らぎの時は訪れません。三河一向一揆を鎮圧、今川を排除して、ようやく三河国を統一できたのは、永禄9年(1566)のことでした。しかし激しい戦いの日々の中、父が埋葬されている月光院に松応寺を、祖父・清康とその妹の久子のために随念寺などを次々に創建しています。蛇足ながら、清康の最期も陣中で家臣に斬られてのもの。親子二代、家臣の裏切りに遭う、それもこの時代ならではなのでしょうか。

 家康公の人生最大の悲劇といわれる事件も、岡崎城で起こりました。天正7年(1579)、信長より正室・築山殿と嫡男・松平信康に死罪の命が下ったのです。長篠の戦いなど死闘を繰り広げた武田氏と内通しているというのがその理由。家康は悩み抜いた後、この命を受け入れたといわれています。
 この一件、信康の嫁である徳姫が日頃より不和だった築山殿と信康の不行状を、父・信長に書き送ったことが原因というのが通説ですが、家康のいる浜松城派と信康のいる岡崎城派の派閥争いから家康親子にも深刻な対立が生まれたという説など諸説あり、事実は歴史の闇の中……。非業の死を遂げた信康の首塚は若宮八幡宮に、築山殿の首塚は八柱神社にそれぞれ残されています。

 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの後、征夷大将軍となり、江戸に幕府を開いた家康は、元和2年(1616)4月17日、73歳でこの世を去りました。そのとき、胸に去来したものはどのような景色だったのでしょうか。
 家康公にとって懐かしい景色に違いない岡崎の地は、その後も幕府から厚い待遇を受け続けました。特に、3代将軍・家光は滝山東照宮をはじめ、多くの寺社を創建、また松平氏ゆかりの寺社を再建しました。
 「人口当たりの神社仏閣の数は、京都や奈良よりも多い」ともいわれる岡崎市。家康公生誕の地としての威光もありますが、それよりずっとずっと以前から、矢作川流域に広がるこの地は交通の要衝として重要な地であり、鎌倉時代には政治的にも重要な地となりました。竹膳料理で有名な真福寺は、聖徳太子の許しを得て創建されたと伝わる古刹。この季節、神域に梅が咲き誇る岩津天満宮、霊山とされる天神山には古墳が数多く残り、この地が古来、栄えていたことを静かに伝えています。

 八丁味噌はもちろん、最近ではゆるキャラのオカザえもん、イエヤスコウとシテンニョーシカなど、何かと話題の岡崎市。4月5日には桜吹雪が舞う中、豪華絢爛な「家康行列」が市内を練り歩きます。

 最後に、松平・徳川家の菩提寺である大樹寺も、寛永13年(1636)から家光の手により伽藍の大造営が行なわれました。本堂から山門、総門から真っ直ぐに岡崎城が見られるように配置され、歴代城主は天守閣から大樹寺を毎日拝礼したと伝えられています。それから370年経った現在、ビルが建ち並ぶようになった岡崎ですが、大樹寺―岡崎城の眺望は変わりません。周囲の建造物によりこの眺望を遮ることのないよう、自発的な配慮がなされているといいます。今もこの地の人々に愛され続けている家康公を感じに、春の1日、岡崎を訪ねてみてはいかがでしょう?

写真協力:岡崎市、岩津天満宮、交通新聞サービス
※掲載されているデータは、2015年2月現在のものです。
※イベントや催事等は変更される場合があります。事前にご確認のうえお出かけください。
THE定番・極上旅

文= 秦 まゆな(はた・まゆな)

PROFILE
日本文化案内人・文筆家。歴史と伝統文化に裏打ちされた、真の日本の楽しみ方を提唱すべく、日本全国を駆け回り中。その土地ならではの食、酒、温泉、祭りが大好物。
著書『日本の神話と神様手帖 あなたにつながる八百萬の神々』(マイナビ)。
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