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『秘蔵記事から読み取る時代のカケラ プレイバック交通新聞』 交通・運輸業界唯一の総合専門紙「交通新聞」。そこには時代の流れが詰まっている。記者暦ウン十年の上地が当時を振り返りつつ、今を、そして未来の鉄道を考えていこうという連載です。

第2号 昭和19年5月11日付の記事より 省線電車區間に颯爽と女車掌

記事1 陸輸新報(交通新聞の前身)昭和19年5月11日付

記事2 陸輸新報(交通新聞の前身)昭和19年7月4日付

女性の社会進出は目覚ましいものがあるが、今から60年以上前の第二次世界大戦の最中に、鉄道の現場を守り続けた女性たちがいた。鉄道記者の草分けとして有名な故青木槐三氏(元毎日新聞社記者)著の『嵐の中の鉄路』によると、昭和19年の女性職員は4万9757人、そして終戦時には全職員の約2割の10万人を超えていたそうだ。職種はそれまでも女性が主役だった病院、電務関係に加え、車掌、出札、改札、小荷物から転轍手(てんてつしゅ)、線路工手、と幅広い分野に及んでいる。文字どおり「銃後の守りは私たちで」の活躍だったわけだ。

その花形が女子車掌で、昭和19年4月1日に名古屋車掌区に10人が採用され、6月から旅客列車に乗務したのがはじまりと言われているが、記事(1)は、京浜地区など首都圏を管轄する東鉄局が電車区間の車掌として採用した157人の実習訓練を伝えるものである。2カ月間の学科と実際の乗り込み実習を経て7月1日から乗務となった。記事(2)は身延線に乗務する国鉄女子挺身(ていしん)隊の実習訓練だが、いずれも20歳前後の若い女子で、モンペ姿と白襟の制服が凛々しい。

しかし、戦時下の勤務は女子には相当に厳しかった。例えば車内スピーカーもないので、列車が到着すればホームを駆け回って駅名を喚呼、警報が鳴れば避難誘導など、今では考えられない業務があった。勤務が終わればクタクタだった、と回顧している。

戦後、男性職員が復帰すると、女子車掌も職場を去り、現場は再びカタイ鉄道屋の職場が続くことになる。昭和40年代の後半だったと思うが、「職場の花」という、今では男女差別と言われそうなタイトルの連載を掲載したが、鉄道社会はそれほど女性の少ない職場だった。しかし、昭和60年に男女雇用機会均等法が制定されて以降、平成2年には秋田内陸縦貫鉄道に初の女性運転士が誕生、さらに平成12年にはJR西日本で2人、15年にはJR東海で10人の新幹線女性運転士がお目見えした。

もうひと声 運転士104人、車掌455人。女性の感性が今、必要とされている

東海道新幹線では姉妹の乗務が実現した。姉の山本美香運転士(右)と妹の山本麻美車掌(平成15年6月23日付)

 戦後の鉄道の世界は男の職場であったが、平成8年の男女雇用機会均等法の改正を契機に、門戸が一気に開放された。JR東日本の場合、現在、約5万8000人の社員のうち、女性は3300人を数え、在来線のみだが、女性運転士は104人、車掌は455人(「こまち」に3人)に達している。これからも運輸部門だけでなく、関連事業部門も含めこの数は増えるだろう。やはり旅行、ファッションなど消費を支える女性の感性が事業の発展には不可欠と言える。

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