東海道新幹線開業から6年後、1970(昭和45年)に大阪で日本万国博覧会が開催された。
3月14日から9月13日までの期間中、入場者は6421万人を数え、万博を訪れた人の3分の1が国鉄を利用したといわれている。なかでも新幹線は大幅に増発し、それまで1時間に「ひかり」3本、「こだま」3本だったダイヤを、「ひかり」3本、「こだま」6本に増やした。平均すれば、「ひかり」は20分ごと、「こだま」は10分ごとに発車する計算になる。
「こだま」が増発されたのは、自由席が設定され、気軽に利用できて人気だったためだ。いっぽうの「ひかり」は本数に変化はなくとも、12両編成から16両編成に徐々に増結されていった。また、在来線の東海道・山陽本線にも、「万博号」「エキスポ号」といった臨時快速が運行されたり、新幹線停車駅までの臨時列車が各地で走ったりした。
開業して6年目の新幹線が、東京オリンピック、大阪万博といった国を挙げての大イベントを経て、ようやく国民に浸透してきたといえるだろう。1969(昭和44)年に東名高速道路が全線開通し、ハイウェイバスの運行が始まったものの、まだ一般的には馴染みが薄かった。
万博以降、日本には旅行ブームが巻き起こる。万博時の“日本人大移動”の勢いに乗じて、すかさず「ディスカバー・ジャパン」という国鉄のキャンペーンが始まったのが大きな要因となっている。万博が閉幕してすぐ、10月から始まったこの一大旅行キャンペーンは、若い女性がメインターゲットで、今でこそ珍しくもないが、当時としては広告代理店の電通がプロデュースした斬新な手法だった。
駅貼りのポスターは幻想的な風景の中に若い女性の写真、具体的な観光地の名前は入れず、「DISC0VER JAPAN」のロゴと「美しい日本と私」というキャッチフレーズ。駅ごとにスタンプが設置され、スタンプラリー帳もあり、コレクション欲も刺激した。鉄道旅をレジャーとして根づかせた、最初の試みといえるかもしれない。さらには、『an・an』(1970年)『non・no』(1971年)といった女性誌の創刊にも後押しされ、「アンノン族」が鉄道旅へとくり出した。
旅のスタイルは、新幹線をメインに、新幹線停車駅から接続する路線へと広がった。特に人気だったのは長野県木曽周辺で、妻籠の観光客数は1970年からの5年間で10倍近くになったという。
そんな時流を反映してか、時刻表の表紙も70年代に入ると、日本各地の景勝地や祭の写真になってくる。さらに「観光ガイドつき」「旅行読物つき」といったキャッチフレーズが付いていた。時刻表には、鉄道ダイヤ以外の情報が増えてきた。
1972(昭和47)年3月、新幹線は岡山まで開通する。ちょうど日本に鉄道ができて100年目の年に、東京と岡山は最速で4時間10分で結ばれた。
この年の7月に内閣総理大臣に就任した田中角栄は、新幹線や高速道路といった高速交通網を整備し、過疎化がすすむ地方都市と首都圏を結んで格差をなくそうという「日本列島改造論」を展開した。この政策の是非はともかく、以降、各地で交通網整備が進められ、日本は「狭く」なっていく。
1975(昭和50)年3月には、新幹線は博多まで開通、その1年後には蒸気機関車がすべて引退する。石油の時代へ、急速に転換していこうといた。73年と79年の二度のオイルショックでの物価上昇はすさまじかった。紙が不足し、週刊誌などの雑誌のページ数が減らされたり、値上げが行われたりした。時刻表も例外ではなく、「ダイヤエース時刻表」70(昭和45)年1月号が180円だったのが、じわじわと値上げがすすみ、「大時刻表」74年6月号から350円、80(昭和55)年8月号からは600円となっている。10年で3倍以上の値上がりだ。
もっとも、インフレのために給与も上がっていて、大卒男子初任給の場合、70年から80年の10年間で3倍弱になっている。物価も上がり給料も上がり、時代は激しく変化していった。
新幹線の運賃も例外ではない。博多開業時の東京?新大阪間は5010円(運賃:2810、特急料金:2200)、1年後には一気に1.5倍になり、1980(昭和55)年4月には9900円(運賃:5700、特急料金:4200)に達している。
とはいえ、70年代の時刻表は巻末の旅行情報が充実していく。「大時刻表」76年7月号では、北海道特集を22ページにわたって掲載しているにも関わらず、読者からのお便り欄では「もっと旅情報ページを増やしてください」とある。「ディスカバー・ジャパン」が蒔いた種は確実に育ちつつあった。
新幹線が西へ伸びるに従って、走る本数も増えてきていた。75年3月のダイヤ改正では、1時間に「ひかり」4本、「こだま」4本が基本で、「こだま」は新大阪まで、新大阪以西の山陽新幹線区間を走るのは「ひかり」の役目だった。
「こだま」は相変わらず、東京と新大阪の間を各駅停車で律儀にコツコツと走っていたが、「ひかり」はいろいろなタイプが出てくる。山陽新幹線区間を各駅停車で走るもの、岡山・広島・小倉しか停まらない最速タイプ、のほか、停車駅のバリエーションが出てくる。山陽区間では、最速タイプが各駅タイプを追い越すという、自己矛盾な現象も起こった。誕生して11年、「こだま」は安定期に、「ひかり」は分裂期に入ってくる。
だが、博多開業時に「こだま」と「ひかり」の料金差が撤廃され、速度に関係なく距離に応じた料金設定となる。これは「こだま」に圧倒的に不利だった。
もうひとつ、「ひかり」には食堂車ができた。東京?博多は最速でも6時間56分、どうしても食事の時間が入る。そこで博多開業の前年から、調理室付きの食堂車を連結するようになった。食堂部分が通路と分かれ、通り抜ける乗客に邪魔されることなく、のんびりできるのが特長で、内陸側に通路、海側に窓があった。ところが、この気を効かせたはずの構造がたいそう不評で、乗客はみな富士山を見たかったのだ。のちに、内陸側にも窓をつくる改造を施すことになる。
このエピソードは、新幹線がビジネス仕様から観光仕様へと幅を広げていったことにも通じている。ちなみに博多が開業した75年3月号の『大時刻表』の表紙は、巨匠・土門拳の撮影。でもなぜかロケ地は九州ではなく、和歌山県の切目海岸である。また、同号巻末の時刻表編集部による記事「新幹線試乗記」には、“観光学的新幹線分析”と題して、海や城が見えるポイントを細かく紹介している。これは今読んでも乗って確認したくなるものだ。
新幹線が九州まで乗り入れたことによって、新幹線からの乗り継ぎで行ける北陸、山陰、南九州には、各種特急列車が増設される。北陸方面には名古屋・米原から「加越」が新設、山陰方面には大阪から「まつかぜ」「はまかぜ」、鹿児島方面には博多から「有明」、大分方面には「にちりん」がそれぞれ増設された。
「日本列島改造計画」は着々と進行中だった。西進を遂げた新幹線は次に「北」を目指すことになる。
(「vol.3 80年代」へつづく)
70年代の表紙には新幹線はおろか列車を使用した号がほぼなく、四季豊かな観光地の写真が彩る。船でアクセスするような離島まであり、12月号の表紙としては冬のレジャーとしてスキー場を飾った年も多かった。「1枚のキップから」「いい日旅立ち」といった「ディスカバー・ジャパン」の後続キャンペーンロゴも見ることができる。
- 1970
- 『an・an』創刊
- よど号ハイジャック事件
- ビートルズ解散
- 三島由紀夫、市谷の陸上自衛隊で割腹自殺
- 1971
- 『non・no』創刊
- 東京・銀座にマクドナルド1号店が開店
- 変動相場制へ移行 1ドル=360円時代の終焉
- 「日清カップヌードル」発売
- 1972
- 元日本兵の横井庄一さんがグアム島で発見
- 冬季オリンピックが札幌で開催
- 沖縄返還
- 日中国交回復
- 「太陽にほえろ!」「必殺シリーズ」放送開始
- 1973
- 第一次オイルショック
- 巨人・王貞治が三冠王を獲得
- 1974
- ユリ・ゲラーが来日、超能力ブーム
- 東京・丸の内の三菱重工ビルなど連続企業爆破テロ
- 日本初のコンビニエンスストアとして「セブンイレブン」が東京・江東区に開店
- 1975
- 沖縄国際海洋博覧会が開催
- 昭和天皇・皇后両陛下が初の訪米
- ベトナム戦争終結
- クイズ番組「アタック25」が放送開始
- 1976
- ロッキード事件、田中角栄前首相が逮捕
- 日本初の5つ子が鹿児島で誕生
- 「徹子の部屋」が放送開始
- 「およげたいやきくん」が大ヒット
- 1977
- 日本初の気象衛星「ひまわり」打ち上げ
- ダッカ日航機ハイジャック事件
- テレビのモノクロ放送が終了
- ピンクレディーが大ブーム
- 1978
- サンシャイン60が池袋に完成(当時日本一の高層ビル)
- 新東京国際空港が開港
- キャンディーズが解散
- 音楽番組「ザ・ベストテン」が放送開始
- 時代劇「暴れん坊将軍」が放送開始
- 1979
- 第二次オイルショック
- ソニーの「ウォークマン」発売
- アニメ「ドラえもん」、「機動戦士ガンダム」が放送開始
2010年12月号
2010.12.04
東北新幹線 延伸開業
東京~新青森間を直接運転 最速3時間20分!!
JR北海道・JR東日本ダイヤ改正
☆巻頭特別2大付録☆
●JR東日本の新幹線がわかる“新幹線車両之系譜図”
●新幹線ポストカード(800系つばめ)
文:屋敷直子
参考文献
『昭和三十九年の鉄道旅行 (鉄道タイムトラベルシリーズvol. 3』ネコ・パブリッシング
『鉄道黄金時代~「ディスカバー・ジャパン」の光と影~(図説日本の鉄道クロニクル7巻)』講談社
『新幹線誕生~超特急「ひかり」~(図説日本の鉄道クロニクル6巻)』講談社
『時刻表でたどる鉄道史』編著・宮脇俊三、企画執筆・原口隆行/JTBキャンブックス
『東海道新幹線パーフェクトガイド』JTB交通ムック
『昭和の鉄道〈30年代〉』JTB交通ムック
『図説 新幹線全史1・2』学習研究社
『復刻版 さらば日本国有鉄道』世界文化社
『東京人「特集 新幹線と東京」 2010年5月号』
『「ディスカバー・ジャパン」の時代 新しい旅を想像した、史上最大のキャンペーン』森彰英/交通新聞社