『トレたび』は、交通新聞社が企画・制作・運営する鉄道・旅行情報満載のウェブマガジンです。
文=神田ぱん
「いや、全然。大丈夫ですよ!」と中年女の無礼を明るく笑ってくれた心の広い男性は、羊蹄山へ登りに来た東京在住の公務員Tさん。テレビ番組で『ひらふ』のことを知り、「駅舎に泊まるなんて面白そうだなーと思って」やって来たという。今晩Tさんが泊まるのは、かつて実際に駅員が寝泊まりしていた部屋だ。押し入れっぽい作りつけの2段ベッドが、いかにも駅の施設って感じ。
といっても鉄ちゃんではなく、空路で小樽回り。「飛行機なら1時間半ですからね。もっと時間があればのんびり鉄道でもいいんですけど、忙しくて」。いま会ったばかりの人と、しみじみそんな話をして、バーベキューも山盛りでうまいしビールもある。世は統べて事もなし。
浮かれていたら猫が来た。白ベースの茶トラだ。待合室には「しまじろう」と書いてあったので「しまたん」と呼ぶと「ニャ」と短く鳴いてスリスリしてくる。よし、しまたんにおチャカナ焼いてあげまチュよー、おいちいでチュよー。などと媚びていたら「ニャ」とハナで笑ってホームを降り、線路脇の草むらに入っていった。その草むらには「売地」の立て看板。謎。こんな土地の広いとこで、わざわざ線路沿いに家とか建てるか?
楽しい食事のあとはお風呂。ここのお風呂は、巨大な丸太をタテにくりぬいた丸太風呂だ。しかも灯りはランプだけ。H岩は「も、ちょ~いいですよっ!」と大興奮。私も、あまりの気持ちよさに、風呂で眠りこけそうになった。
それにしてもオーナーさんは、なんでここに宿を造ったのだろう? もしかして鉄?
「いや、僕は自転車とかバイクの方が好きですね」。そっか。オーナーは京都出身の南谷吉俊さん。
「宿を造ったのは前オーナー。1982年から比羅夫(ひらふ)が無人駅になって、雰囲気のある駅なのに取り壊されたらもったいないとJRにかけあって、1987年にここができたそうです」
そして1989年。南谷さんが駅寝をしようと訪れた比羅夫駅ではホームでバーベキュー中。
「何やってるんやー? て思ったら宿になってるっていうから泊まって。その後、会社辞めてこっちへ仕事探しに来た時、前オーナーがコテージ造ったりする仕事を本格的にやりたいから、やってみないかって、12年前に僕が引き継ぎました」
登山客や旅人のみならず、駅舎に泊まれるということで訪れる鉄道ファンも多い。
「あの列車が1日でこっち行っていつどこでどう戻ってくるーとかよく話してますよ、すごいですよね。鉄道ファンの間では、ぜひ1回は泊まらなあかんみたいなこともいうてくれてる。でも去年、自宅を建てるまでは僕らが2階にいたんで、あんまりお客さんは通さなかったんです」
おー。今度来る時は、絶対あの部屋にしよう! でも、ですね、万一廃線になったら?
「新幹線が来たら廃線かな、30年後とか言ってますけど。長万部~小樽間はなくなりそう。江差線なくなるらしいし、ここも同じ運命でしょう」
翌朝は、6時35分の始発に乗ろうと、宿を6時35分に出た。夜のうちに宿代の精算は済ませてある。パッとホーム。パッと乗車。あり得なーい! 部屋は落ち着いたログコテージだし、夜はほとんど列車の往来がなく静かだったけど、私たちホントに駅で泊まったんだね! と実感。
しかし、始発列車は我々以外にお客は一人。運転士さんに聞くと「いつもこんなもんですよ」と言う。ローカル線は厳しいなあ。長万部駅の待ち合わせ時間に外へ出てみたら、「心ふれ愛おしゃまんべ ようこそドライブインの町へ!」という看板があった。ドライブインの町かよう。そこには「長万部駅“駅部調査”決定!」の文字も。駅部調査とは、新幹線建設の調査のことらしい。
北海道の鉄道旅は、時間がないと難しいが、いつか青春18きっぷで1ヵ月ぐらいじっくり乗ってみたい。だから、新幹線を造ってもローカル線は残してください! お願いJR。