『トレたび』は、交通新聞社が企画・制作・運営する鉄道・旅行情報満載のウェブマガジンです。
文=H岩美香(編集部)
新宿の雑居ビルの一室で働いていたことがある。名称は「時刻表情報室」。JR各社から山のように届く資料を仕分けたり、『JR時刻表』のニュースページや営業案内などを作っていた。新宿といえば、京王百貨店で開催される、恒例の「駅弁大会」ですよね。クマさん(部長)も楽しみにしていたようなので、駅弁大会シーズンには、「いかめし」や「ますのすし」を買い込んで、テーブルを囲んで情報室のみんなで食べた。「駅弁っておいしいですねー」なんて盛り上がったけれど、今告白します、駅弁はやっぱ、駅や車内で食べたほうがおいしいに決まっている。
駅弁の立ち売りがある。しかも、女性が売っている。そんな情報を、夫がたれこんできたのは、今年の春先のことだった。場所は、原ノ町駅。常磐線の駅で、県でいうと福島県になる。本当においしい駅弁が食べられそうな予感が、ぷんぷんする。せっかくだから、青春18きっぷの有効期間に行くことだけを決めて、『JR時刻表』を駆使し(お手のもの)、まずは簡単なルートを設定した。
常磐線のいわき~原ノ町駅をつなぐ列車は驚くほど少ないが、私の腕があれば特急なんかを使わなくたって、途中、我孫子(あびこ)駅の『弥生軒』で駅そばが食べられるし、そのまま常磐線で仙台駅まで出て牛タンでビール、余力があれば帰りは東北本線を使って宇都宮駅まで出て餃子でビール、ということだってできそうだ。おなかがふくれたら、各駅停車の旅、車内でグーグー寝てしまえばいい。
前日に夫が「僕も行こうか?」と言う。いや、朝5時ちょいには家を出なくちゃいけないし、なんたって青春18きっぷの旅だもん、道中退屈だよ、とお断りの理由をあげるも、「大丈夫、一緒に行ってあげるよ」と笑顔の夫。行ってあげる、じゃなくて、行きたいのではないかとの間違いにはつっこみきれず、結局2人で二重に目覚ましをセットして、仲良く出かけることになった。
2007年9月2日。私の行程表は完璧で、順調に我孫子駅まで来た。7時に開店する駅そば屋さんへ一番のりだ。まずは、かけそば220円をいただく。『弥生軒』は以前は駅弁屋さんで、裸の大将・山下清画伯が20代前半から約5年間働いたお店なんだよ、と知ったかな私に、「えー、そうなんだ!」と、素直に驚いてくれる夫。いい、なんだか気分がいい。駅弁は、もう作っていないけど、昔の駅弁の包装紙はby山下清だったんだ、と追加情報もおまけしてあげた。
30分後に来た、下りの常磐線普通列車に乗り込み、おなかをさすっているところへ、夫。「行程表だと、勝田駅で乗り換えってことになっているけど、手前の水戸駅で乗り換えない?」。曰く、勝田駅より水戸駅のほうが面白そうだし、私が寒そうなので、水戸駅前でなにか羽織るものでも買ってはどうかというのだ。そんな心配全くご無用なのだが、争っても仕方ない。その機転とご好意をありがたく受け入れよう。
「で、でね、思ったんだけど、水戸駅から特急に乗って湯本駅の足湯に行こう。特急に乗ったら湯本に寄っても、行程表どおりの普通列車に追いつけるよ」。……足湯はいいとしても、特急は断固としていただけない。そんなの乗るくらいなら、最初っから特急の旅をしてるっつうの!
しかし、「湯本の足湯は、常磐線の旅には欠かせない」という強い意見を覆す力は私にはなく、結局水戸~湯本駅間の乗車券1450円+特急券1150円の2600円を払い(青春18きっぷ1回分より高い)、湯本の足湯に向かった。足湯は、ホームに唐突にあり、しかもホームの外側の壁に向かって座る形になるので、さびしく、でもそこがおもしろかった。確かに、一見、というか一風呂な価値はあるので、一応、連れてきてくれてありがとう。