『トレたび』は、交通新聞社が企画・制作・運営する鉄道・旅行情報満載のウェブマガジンです。
文=屋敷直子
3日目。寒い。山田線の車内温度計は15度。宮古から釜石までの山田線は、ときどき景色が開けて海が見える気持ちよい路線だ。
宮古を出発すると、地元の高校生が次々に乗り込んでくる。通路をはさんで隣に陣取った彼女たちは、鏡をチェックする、朝ご飯のおにぎりをほおばる、友達が乗ってきて挨拶を交わす、トイレに行く、と乗車時間をとても有効に使っていた。未だ眠い当方は、思わず見惚れてしまう。途中の無人駅では、地元のおばあちゃんが金網にアサガオの蔓を丹念に巻きつけている。なんだかずっと人気(ひとけ)が少ない駅を通ってきたので、日々の生活を懐かしく感じた。
釜石で花巻行きと盛(さかり)行きの車両の切り離しがあり、高校生は仕度を済ませて降りて行く。代わりに新日鐵の社員とおぼしき男性がオロナミンCを手に乗ってきた。
上有住(かみありす)に到着。降りた瞬間に感じた。「あたしの駅だ」。とうとう見つけた。滝観洞(ろうかんどう)という洞窟があるほかは、民家もないようなところだが、生まれ故郷のようにしっくりくる。何時間でもいられる気がする。実際、2時間ほど駅でぼんやりしたのだが。
滝観洞は、岩泉の龍泉洞より本格的な洞窟で、受付でヘルメットと長靴を借りて、洞窟内の電気をつけてもらう。そうはいっても、電気は裸電球で、手すりは錆びて心もとない。行って帰ってくるのに、ゆうに1時間はかかる。暗いし足下は滑りやすいしで泣きそうになるが、なにより洞窟内でいきなり人と会うことが、いちばん怖い。
めったに探検者は来ないと見え、管理しているおじちゃんに親切にしてもらう。実はもうひとつ、奥に洞窟があると聞かされてこちらも探検。洞窟の廃墟という趣で、かなりヒンヤリする。冷えた体を、食堂の天ぷらそばで温め、上有住駅をじっくり味わう。ホームに腰掛けて足をぶらぶらし、ホームに寝転んで空を仰ぎ、枕木を数え、駅舎にある時刻表を暗記しようと試み、ホームの端から端まで何歩あるか数え歩き、下り電車を見送り、とやっているうちに、あっという間に2時間が過ぎた。今でも、あの空気を鮮明に思い出す。あたしの上有住駅。あのときは、もう二度と巡ってこないからこそ、忘れがたく尊い。