『トレたび』は、交通新聞社が企画・制作・運営する鉄道・旅行情報満載のウェブマガジンです。
文=屋敷直子
3日目。願いむなしく、ぽつりぽつりと雨が降っている。チェックアウトぎりぎりの時間までねばってみるが、事態は好転せず、カサを持って温泉街を歩く。国宝の八角形の三重塔がある安楽寺、北向観音をお参りするうちに、雨が上がる。これも信心だろうか。雨上がりできらきらとまぶしい道を歩いて駅に向かう。
念願の保存車両は、肝心の丸窓ガラスにヒビが入っていたりして、すこし残念なのだが、くすんだ配色といい、車内に飾ってある古い駅名表示や看板などといい、愛しい車両だった。1927年製造とは思えないモダンなつくりだと思う、会えてよかった。
加えて、別所温泉の駅舎が驚くほどよく保存されていて、入り口の扉、ベンチ、窓枠など、すべて木造で深い歴史を刻んでいる。時間がそのまま経ってしまったのか、温泉地の駅として意図的に残しているのか、判断がつきかねるが、どちらにしても、とても風情のあるよい駅だった。ここに置いてもらって、丸窓保存車両もさぞうれしいだろうと思う。
上田行きの電車は、復古調ではなく、ステンレスカーだった。発車時刻を過ぎても出発せず、しばらく待っていると、足がいくぶん不自由なおじいちゃんが、お風呂セットを抱えて慌てて乗り込んでくる。飛び乗ったのは、2両目の中ほど。でも、別所線はワンマンカーで、出入り口は先頭のいちばん前のドアのみ。そこでおじいちゃんは、電車が駅に停車するたびに、出入り口へ近づくべく、ちょっとずつ前進してくる。降りるまでに出入り口にたどりつけるだろうかと心配でたまらず、心の中で勝手に激しく応援する。路線の半分を過ぎたところで、ようやく出入り口に近い席までたどりつき、寺下駅で降りていった。湯治だったのだろうか。
上田から、しなの鉄道で長野。しなの鉄道は、すべるように走り、とても乗り心地が良く、正体なく眠ってしまう。
長野からは、長野電鉄に乗る。ここには、小田急ロマンスカーが走っている。本家ではプラチナチケットとなっている展望席に陣取って、長野電鉄の線路と車道が平行して走るところを見てみたい。だからこの場合も、終点の湯田中温泉が目当てというよりは、展望席に乗ることが目当て、というほうが正しい。どんどん欲求が細かくなっていく。
長野電鉄、通称ながでんには、特急が走っていて、それが旧小田急ロマンスカー10000形(HiSE)を譲渡された「ゆけむり号」。通常料金に100円プラスするだけで特急に、しかも運が良ければ展望席に乗れる。なんて良心的な路線だろう。指定席はないから、展望席も早い者勝ちだ。ここはひとつ、気合を入れて並ばなくては。
発車30分前に地下ホームへ行くと、すでに老夫婦が1組、先頭車両付近にいらっしゃる。でも最前列はふたつあるからだいじょうぶ。あぶないところだった。ドアが開いて、意気揚々と最前列右に陣取る。
長野から終点湯田中まで、特急で45分ほどの旅だ。しばらくは地下を走り、地上へ出て、村山駅の手前、千曲川を渡る鉄橋のところがハイライト。線路と車道が同じ目線で並走する。しかも電車はロマンスカー。ちょっと見られない情景である。身を乗り出して、不思議感覚を堪能する。小布施を過ぎると、沿線は、りんご畑、ブドウ畑、ソバ畑と、実りの風景が続く。正面を見ると、2本のレールがまっすぐ山のふもとに向かって延びている。ああほんとに気持ちいい。ほぼ180度の眺望。ひょっとすると空も飛べるかもしれない。ロマンスカーに乗って長野で鳥になる。妄想は果てしなく天をかける。