当時の新聞によると、明治32年(1899)10月に一部営業が始まったとされる。昭和9年に建てられた現在の駅舎は、炭鉱の町・夕張の繁栄を見てきた。昭和40年代後半から炭鉱が次々と閉山する中、昭和59年には無人化。かつての広い構内には草木が茂り、片隅には夕張鉄道の使われなくなった車庫が残っている。
住所●北海道夕張市鹿の谷3
- 活気があった構内は草木が生い茂っていた
- 駅舎は炭都夕張の栄枯盛衰を見てきた
- 駅舎内には訪れた人の感想が張られていた
開業は大正10年(1921)11月5日。水産資源に恵まれた土地にあり、最盛期は貨物輸送の要衝だった。昭和初期に建てられた駅舎は様々な改修を経て使われている。広い敷地の残る構内には、かつて多くの引き込み線があった。駅舎の横で線路は終わり、到着した1両編成の列車がそのまま折り返していく姿が見られる。
住所●北海道増毛郡増毛町
- 雪の舞う増毛駅。冬場の天候は変わりやすい
- 駅周辺ではレトロな建物が多く見られる
- 終着駅の雰囲気漂うホームはどこか郷愁を誘う
宗谷本線は樺太への連絡鉄道として建設された。抜海駅は、後に宗谷本線となる天塩北線の駅として大正13年(1924)に開業。年間平均気温は7度ほど、冬は激しい地吹雪にさらされるため、昭和15年に建てられた鉄板葺き切妻屋根の駅舎の外壁には、補修の跡が見られる。日本最北の無人駅としても知られる。
住所●北海道稚内市抜海村トクネベツ
- 厳しい寒さの中、到着した下り最終列車
- 風雪に耐えてきた最北の木造駅舎
- 駅舎のドアの縁は赤く塗られ洒落た感じだ
石狩と十勝を結ぶ幹線のJR石勝(せきしょう)線。鹿ノ谷(しかのたに)駅は石勝線の夕張支線にあります。駅のある夕張市は、北海道を代表する炭鉱町として栄え、昭和30年代には人口が10万人を超えていました。私がこの駅を初めて訪れたのは、昭和50年の春、同駅から栗山を経由して野幌(のっぽろ)まで延びていた私鉄の夕張鉄道が廃止になった直後のことでした。当時、国鉄夕張線にはSLが走っており、駅のホームからは夕鉄・鹿ノ谷機関区のSLを見ることができました。
かつては、駅から1kmほど夕張駅寄りのところに新夕張炭鉱がありました。戦後間もなく、秋田から叔父を訪ねて夕張に来た元炭鉱マンの笠島一さんは、「夕張で最初に降りた駅が鹿ノ谷駅で、たいへん賑わっていたことを今でも憶えている」と話してくれました。現在駅は無人駅となり、広い駅構内は草木に覆われています。補修されながら使われているこの駅舎は、これからも町の歴史を見続けていくことでしょう。
JR留萌(るもい)本線の終点が増毛(ましけ)駅です。映画『駅 STATION』の舞台となった駅としても知られています。駅舎は一部解体されましたが、一本のホームと共に終着駅の雰囲気が残っています。増毛町はニシン漁などで栄え、留萌に移されるまでは支庁も置かれていました。駅周辺には、重要文化財に指定されている旧商家・丸一本間家や、現存する道内最大規模の木造校舎など、数多くの歴史的な建築物が見られます。駅舎と共に町並みにも趣があります。
旭川市と稚内(わっかない)市を結ぶJR宗谷本線。終点・稚内駅の2つ手前が抜海(ばっかい)駅です。駅舎は日本最北にある木造駅舎で、厳しい気象条件の中、今も使われています。駅からは見えませんが、抜海駅と南稚内駅間の車窓からは、雄大な利尻富士が見えることで知られています。SL時代には多くの鉄道ファンが撮影に訪れました。現在、停車する列車は1日5往復のみで、あとは特急が通過して行きます。駅前には民家が数軒ありますが、少し歩くと広大な雪原が広がっています。最北の地を実感する木造駅舎です。
- 放送は終了いたしました。
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『にっぽん木造駅舎の旅100選』 - 発行元:平凡社