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非電化区間の急行列車で活躍した「キハ28・58系急行形気動車」北海道から九州までの幅広いエリアにおいて、幹線やローカル線の急行列車として活躍したキハ28・58系急行形気動車の足跡を紹介します。
(文=結解喜幸 写真=結解学)

What’s 急行形気動車?

 昭和35年12月、新登場のキハ80系特急形気動車を使用した特急「はつかり」が上野〜青森駅間に登場し、非電化区間においても東海道本線の151系特急電車と同様のサービスが図られるようになりました。これに合わせ、急行形気動車も東海道本線の153系急行形電車と同様の客室設備を備えた車両にすることとなり、キハ28・58系が開発されることが決定。北海道から九州まで幅広いエリアで使用するため、エリアごとの気象条件や線路状況に応じた形式で製造されることになりました。

 普通車(当時は二等車)はキハ、グリーン車(当時は一等車)はキロで、エンジンを1台搭載した車両は20番台、エンジンを2台搭載した車両は50番台の形式となっています。寒冷地の北海道向けにはキハ27・56形とキロ26形、本州・四国・九州用にはキハ28・58形とキロ28・58形、信越本線横川〜軽井沢駅間のアプト区間に対応したキハ57形とキロ27形が製造されました。これまでの車両と比較するとより快適になった客室設備が好評を博し、8年間で約1800両が製造され、全国各地で急行列車から普通列車まで幅広く活躍。電化の進展により幹線から退いた後も、ローカル線の急行列車や普通列車の主力として運転されてきましたが、現在は観光列車やイベント列車を中心に最後の活躍をしています。

動力用エンジンを2台搭載した強力型のキハ58形を先頭に走るローカル線の急行列車

北海道の厳しい寒さに対応した専用車両 キハ27・56形&キロ26形

 北海道の厳しい寒さや雪に対応するため、客室窓を二重構造の窓とし、出入口ドアのレールにヒーターを取り付けるなど、耐寒耐雪構造を強化した車両。このグループでは一番早く誕生した車両で、昭和36年4月から根室本線札幌〜釧路駅間の急行「狩勝」に使用。その後は函館本線函館〜札幌駅間の急行「すずらん」をはじめ、道内各地を結ぶ急行列車として幅広く活躍しました。

 昭和44年10月改正で函館〜旭川駅間の特急「北斗」1往復が増発されましたが、車両の落成が間に合わず、昭和45年2月28日までキハ56形7両編成がピンチヒッターとして登場。ヘッドマーク付きの特急列車として運転されたこともありました。

 しかし、幹線の特急列車化によって活躍の場が少なくなり、昭和61年3月改正から片側に運転台を増設・改造したキハ53形500番台が誕生。根室本線釧路〜根室駅間の急行「ノサップ」などに使用されましたが、JR化後はキハ27・56形の老朽化が進んだため新型車両へと置き換えられています。

札幌〜稚内駅間を天北線経由で結んでいた急行「天北」。晩年はキハ400形編成の増結車として活躍した

北海道内各地の急行列車からローカル列車まで幅広く活躍していた寒冷地仕様のキハ27・56形

信越本線横川〜軽井沢駅間のアプト区間対応車両 キハ57形&キロ27形

 今は廃止となった当時の信越本線横川〜軽井沢駅間は、急勾配を克服するためアプト式電気機関車が連結されるアプト区間でした。このため、同区間を通過する列車の車両はアプト式に対応する必要があり、線路に敷かれたラックレールとブレーキ機器が接触しないようにするため、ディスクブレーキおよび空気バネ台車を採用したキハ57形&キロ27形が製造されました。

 まずは昭和36年7月から上野〜長野・湯田中駅間の急行「志賀」「丸池」に使用。同年10月改正から上野〜長野駅間の急行「とがくし」や大阪〜長野駅間の急行「ちくま」にも使用されました。しかし、昭和38年6月に長野までの電化が完成し、さらに同年9月にはアプト式が廃止となったため、キハ57形の本来の目的は失われてしまいました。上野〜長野駅間の急行は電車化され、その後は中央本線名古屋〜長野駅間の急行「きそ」や飯山線、小海線、中央本線の急行からローカル列車まで幅広く使用。初期製造の車両で老朽化が進んでいたため、ほとんどの車両が国鉄時代に廃車となり、今ではその姿を見ることができなくなっています。

信越本線上野〜長野駅間を結んでいた急行「丸池」。アプト式に対応したキハ57形のみが使用されていた

信越本線横川〜軽井沢駅間のアプト式に対応した空気バネ台車とディスクブレーキを採用したキハ57形

本州・四国・九州で幅広く活躍した標準タイプ車両 キハ28・58形&キロ28・58形

 昭和36年10月改正に向けて製造された本州・四国・九州向けのキハ28・58形が、このグループの標準タイプになります。当時は非電化であった幹線のDC急行列車のサービス向上を図るため、東北本線や中央本線、北陸本線、山陰本線、四国内各線、鹿児島本線、長崎本線などの長距離列車に使用。勾配区間が続く中央本線ではキハ55形で運転されていた新宿〜松本駅間の急行「アルプス」に投入し、スピードアップと快適性が図られました。

 最小の編成単位が2両となるため、幹線の電化後も非電化のローカル線などに直通する多層建て列車(行き先の異なる列車を3本以上併結・途中駅で分割)として、昭和50年代頃まで活躍を続けていました。しかし、幹線の特急列車化が推進されると、次第にローカル線の急行列車や普通列車に運用されるようになりましたが、JR化後は新型気動車の投入により活躍の場を失ってしまいました。

 なお、車両の基本は0番台ですが、昭和37年に修学旅行用としてキハ28・58形の800番台(列車の愛称は東北発が「おもいで」、九州発は「とびうめ」)が登場。また、ブレーキ制御の関係から最大11両編成に制限されていましたが、昭和38年度以降の車両は15両編成まで連結可能な制御回路などを装備。このため、キハ28形は301〜、キハ58形は401〜・1001〜、キロ28形は101〜と番台区分が分かれることになりました。ただし、中央本線の急行列車連結用として同時期に登場したキロ58形は1〜の基本番号のみです。

 さらに昭和43〜44年にかけて製造された最終グループでは、暖地向けのキハ28形は1001〜、キハ58形は1101〜、キロ28形は301〜、寒地向けのキハ28形は501〜、キハ58形は1501〜、キロ28形は501〜となり、すぐに冷房化ができるように準備工事が行なわれていました。特に先頭車両の運転台窓がパノラミックウインドウになり、ほかの番台の車両とひと目で違いが分かります。

仙台〜新潟駅間を仙山線・米坂線経由で結ぶ急行「べにばな」など、東北エリアで活躍したキハ58形

ヘッドマーク付きの急行列車が似合うキハ28・58系。本州・四国・九州の幅広いエリアで活躍した

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