昭和30年代から40年代にかけては幹線電化の延伸に力が注がれ、昭和37年6月10日の信越本線長岡新潟間の電化完成により、上越線経由の上野新潟間の電車運転が可能になりました。上越線には急勾配区間があることから153系ではパワー不足となるため、昭和38年3月に上越線用として登場したのが165系です。153系の主電動機の出力を20%増強し、勾配対応の抑速ブレーキを備えているほか、冬の厳しい気象条件に対応するため耐寒耐雪構造の車両となっています。
勾配区間を走ることから153系よりも電動車比率を高めるため、クモハ165+モハ164+クハ165の3両ユニットと一等車のサロ165形やビュッフェ車のサハシ165形を組み合わせる編成となりましたが、基本を3両ユニットにしたことで分割・併結による地方線区への乗り入れなどがしやすくなっています。
昭和38年3月26日から上野新潟間の下り急行「弥彦」、上り急行「佐渡」で運転を開始しましたが、同年6月には一等車2両を組み込んだ8・11両編成がビュッフェ車2両を組み込んだ13両編成となり、新たに夜行急行「越後」にも使用を開始しました。上越線では上野新潟間の急行「佐渡」として長年活躍しましたが、昭和60年3月14日の上越新幹線上野開業で役目を終えています。
昭和40年代に入ると直流急行形電車の基本スタイルとなった165系は増備が続けられ、その活躍の場も東北本線・高崎線、信越本線、中央本線、山陽本線と広がっていきました。東北本線・高崎線では急行「なすの」「日光」「ゆけむり」「草津」「あかぎ」「わたらせ」、信越本線では急行「信州」「妙高」「志賀」「とがくし」、中央本線では急行「アルプス」「かいじ」「こまがね」「かわぐち」、山陽本線では急行「鷲羽」「山陽」など、名だたる急行列車に使用されていました。