東海道新幹線開業時から同じスタイルの0系が増備されてきましたが、国鉄では新幹線のサービス向上とイメージアップを図るため、0系に代わる次世代の新幹線車両を開発することになりました。特に外観のデザインや車内サービス設備のグレードアップが図られ、昭和60年にシャープなスタイルの先頭車に2階建て食堂車とグリーン車を組み込んだ100系の試作車が登場しました。大量高速輸送に重点が置かれた0系とは異なり、車窓の風景がワイドに楽しめる2階建て車両やプライベート空間のグリーン個室など、時代のニーズに合わせたサービス設備を装備。昭和60年10月から東京〜博多間の「ひかり」で営業運転を開始しましたが、新時代の車内サービス設備が人気の的となりました。
昭和61年から量産車が製造されることになり、同年11月から100系5編成が運用を開始して乗車チャンスが拡大しました。さらに0系も含めて最高速度220km/h運転を開始し、東京〜新大阪間は2時間52分、東京〜博多間は5時間57分にスピードアップされました。また、昭和62年3月には2編成が増備されて計7編成となり、東京〜博多間の速達タイプの「ひかり」を中心に運用されました。
なお、最初に登場した試作編成では平屋建ての10号車の博多寄りに1人用2室と2人用1室のグリーン個室が設置されましたが、昭和61年に量産化改造が行なわれ、10号車の個室は僅かな期間だけ使用されて終了しました。