鳴子温泉神社にある「啼子(なきこ)之碑」には「義経が奥州へ落ちる途で北の方(正室)が出産した赤ちゃんが、この地の温泉に浸かったところ、初めて元気な泣き声をあげたので『啼子』と呼ばれるようになった」と鳴子の地名の由来が伝えられている。
詩人で童話作家、深沢要氏がコレクションを寄贈したことをきっかけに開館した
「日本こけし館」。全国の系統別こけしの展示や工程紹介、実演コーナー、即売所などがある。 開館時間:8:30~17:00(4月1日~11月30日)、9:00~16:00(12月1~31日)休:なし 入場料:大人320円 TEL.0229-83-3600
尿前の関跡は現在、門や柵などが復元され、芭蕉像や文学碑、「おくのほそ道」復元図などが配置された小さな緑地公園になっている。実際の関所跡はここから少し離れた草地に見える石垣あたりだったという。
遊歩道「おくのほそ道」は、尿前の関跡を出発して約1時間30分の国道合流点までと、中山宿跡から約1時間30分の堺田の街道出口まで給水場や売店等がないので、飲食物の準備はして歩きたい。
鳴子温泉郷のひとつ
「中山平温泉」は、単純泉・重曹泉など5種の豊富な源泉を持つ。公衆浴場「しんとろの湯」のほか、鳴子峡谷から続く山々を望む露天風呂を持つ
「仙庄館」(写真)など11軒の宿があり、日帰り入浴もできる。
大谷川が形成する奇岩と山々が美しい渓谷。現在、鳴子峡遊歩道は閉鎖中だが、遊歩道「おくのほそ道」の大深沢と交差する大深沢遊歩道を行くと峡谷方面に至る。紅葉の見ごろは例年、10月下旬~11月上旬。
「なるごの湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越んとす」(『おくのほそ道』)。旧暦5月、平泉から南下して鳴子に至った芭蕉と曾良は、出羽仙台街道を西へ向かった。鳴子温泉の歴史は古く、承和4年(837)に潟山が大爆発して温泉が噴き出した時の轟音から「鳴郷の湯」の名が付けられたという。一方で、鳴子温泉駅近くの鳴子温泉神社には、逃避行中の源義経の北の方が産んだ赤ちゃんにちなむ伝承も残されている。
鳴子温泉街のはずれからJR陸羽東線(りくうとうせん)の踏切を越えて国道に出る。山々が織りなす絶景にため息しながら大谷川橋を渡ると、右手に「尿前の関跡」への小道が分かれていた。国道をさらに進めば、左手の丘の上には「日本こけし館」。鳴子の温泉街や、国道沿いにもこけし店が何軒かあるが、寄り道して鳴子の伝統工芸に触れてみるのも楽しい。
「尿前の関」は江戸時代、陸奥と出羽の国境に置かれた伊達藩の尿前境目番所だ。「此路、旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸(ようよう)として関をこす」(『おくのほそ道』)と書かれたように、通行手形を持っていなかった芭蕉らはここで厳しく取り調べられたらしい。関所跡の脇には往時の佇まいを偲ばせる石畳の坂道が復元されており、いよいよここから「出羽仙台街道中山越え」が始まる。
出羽仙台街道は、仙台藩の城下町と西廻海運の拠点である庄内藩の酒田湊を結ぶ道のりのうち、奥羽山脈を越える区間に付けられた呼び名で、中世から陸奥~出羽間の最短通路として軍用にも頻繁に利用されていた。現在では「出羽仙台街道中山越」と史跡指定されており、尿前の関から堺田までの約9kmが「おくのほそ道」として整備されている。その遊歩道はほとんどが、樹林の間を縫う歩きやすい山道だが、「小深沢・大深沢」の沢渡りは当時からの中山越えの難所であった。小深沢にある案内板には「芭蕉と曾良は谷底まで降りて沢を渡り、六曲がりの坂を上り下りした」と書かれている。遊歩道の急階段を息を切らしながら上っていると、木々の合間に、僧衣姿のふたりが四苦八苦しながら歩く様子が見え隠れするようであった。
清流の音が清々しい大深沢では、鳴子峡方面へ至る大深沢遊歩道と交わるので、絶景を楽しみに足を延ばすのも良い。大深沢を過ぎると、「おくのほそ道」はいったん国道に合流。中山平温泉駅入り口や中山宿跡を過ぎて、再び杉並木の旧道へと入る。ここからは周囲に山々を望む田園地帯や、穏やかな木漏れ日が気持ちの良い軽井沢、義経の伝承が残る甘酒地蔵尊などを経て、尿前の関跡から約3時間で旧街道の出口に辿りつく。
代々堺田村の庄屋を務めた旧有路家の住宅。江戸初期の建築と考えられ、馬の名産地であった小国郷(現・最上町)の、土間に馬小屋を持つ特色ある造りになっている。 開館時間:8:30~17:00(4~11月) 休:冬季 入館料:高校生以上250円 小・中学生120円 問合せ:封人の家管理事務 TEL.0233-45-2397
峠の頂上付近には子宝地蔵が祀られており、その傍らには「子持ち杉」と呼ばれ信仰されている老杉、俳人・加藤楸邨(しゅうそん)筆による『おくのほそ道』の記念碑や、休憩場所がある。近くに旧県道駐車場とトイレがある。
遊歩道として整備された「歴史の道」。山刀伐トンネル入り口手前の駐車場から、通称「山刀伐二十七曲がり」の旧県道を横切りながら約1時間で山頂。反対側の尾花沢登山口までは歩いて約1時間だ。
尾花沢への旅の目的地であった鈴木清風宅跡に現在、建てられた資料館。『おくのほそ道』の関係史料を中心に、尾花沢の歴史や暮らしに関する資料が展示されている。 開館時間:9:00~16:30(11~2月は9:30~)、9:30~16:30 休:水曜、12月28日~1月4日 料金:大人200円 TEL.0237-22-0104
芭蕉らが7泊を過ごした寺で、清風宅からは700mほどの距離。芭蕉らが来る前年に大修理が行なわれた院内には新しい木々の香りが立ち込めていたという。境内には芭蕉が詠んだ「涼しさを・・・・・・」の句碑を収めた「涼し塚」と連句碑がある。
山形県で作付面積1位を誇る尾花沢の特産品、蕎麦の店がつくっている加盟店会。尾花沢市で古くから特別な日に出される「蕎麦ぶるまい」に受け継がれた手打ちの技が各店で堪能できる。加盟店問合せ:尾花沢観光物産協会 TEL.0237-23-4567
「大山をのぼって、日既に暮れければ、封人の家を見かけ、舎(やどり)を求む。三日、風雨あれて、よしなき山中に逗留す」(『おくのほそ道』)。日が暮れてから堺田に到着した芭蕉らは、「封人の家」(国境を守る役人の家)を見つけて宿泊させてもらうが、それから3日間、雨に降りこめられこの家に滞在することになる。その時に詠んだのが、有名な「蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕元」の句である。
遊歩道「おくのほそ道」出口から国道を10分ほど歩くと、JR陸羽東線の堺田駅のすぐそばに、400年前の姿をとどめた「封人の家」があった。解体復元工事によって、往時のままに保存された茅葺き屋根の家の中に入ると、芭蕉が寝ていたという囲炉裏端と馬屋は本当に目と鼻の先であった。その板の間に座り、パチパチと燃える火を眺めていると、芭蕉は決して不潔な所に寝かされたという不満を詠んだのではない。同じ屋根の下で暮らすほど馬が大切な土地柄の家に泊めてもらい、むしろ馬への親しみが生まれたことを伝えたかったのではないかという思いが込み上げてきた。
「封人の家」から、旅人の取り調べを行なっていた笹森口留番所跡、戦国時代の万騎の原古戦場跡、赤倉温泉を通過して、いよいよ「おくのほそ道」最大の難所といわれる山刀伐峠の山道へ差しかかる。
「さらばと云て人を頼侍れば、究竟(くっきょう)の若者、反脇指をよこたえ、樫の杖を携て、我々が先に立て行。(略)あるじの云にたがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜る行がごとし。(略)岩に躓(つまづい)て、肌につめたき汗を流して、最上を庄に出づ」(『おくのほそ道』)。芭蕉らは封人の家の主の「山深いので迷うといけない」という助言で若い案内人を雇うが、彼は屈強な上に刀を持ち武装しており、それがいっそう不安をかきたてる。覚悟して歩き始めると、そこは鳥の鳴き声さえ聞こえないような深い森の中で、谷川を渡り岩につまずきながらやっとの思いで峠を越したという。芭蕉らが歩いた山刀伐峠古道「歴史の道」は、勾配のきつい箇所もあるが、ブナなどの自然林の朽葉の香りが気持ち良く、芭蕉らの不安や辛さが信じられないほどだった。
尾花沢に至った芭蕉らは、旧知の友で「富るものなれども、志いやしからず」という鈴木清風を訪ね、この地で10泊して長旅の疲れを癒した。芭蕉らは日々、清風の周りの俳人たちの歓待を受け、「涼しさを我宿にしてねまる也」などの歌仙を巻いた。その清風宅跡に建てられた芭蕉・清風歴史資料館や滞在先の養泉寺を訪れ、名物の尾花沢そばを味わい、この旅の終わりとしよう。
写真提供:尾花沢市(山刀伐峠頂上、芭蕉・清風歴史資料館、養泉寺、おくの細道そば街道)
※掲載されているデータは2014年11月現在のものです。
鳴子のこけしは、江戸時代の文化文政(1804~1830)の頃、鳴子の椀や盆を挽く木地師達が温泉みやげに玩具として作ったのが始まりとされている。その後、東北各地で作られたこけし人形は、地域によって「こげす」「こうげし」「こけすんぼこ」「きぼこ」「でこ」「でく」などの様々な呼び名で呼ばれたが、こけしの注文をする時に意味が通じにくいことから、昭和15年、こけし工人などの関係者らによって「こけし」とひらがな3文字に統一された。
幕末の「髙橋長蔵文書」(1862)によると、こけしは「こふけし=こうけし」(子授けし)と記されており、こけしの頭に「水引手」(お祝いの意味を込めた描彩様式)が描かれていることなどから、こけしは子供の健康な成長を願うお祝い人形だとされている。日本こけし館や町内のこけし店では、こけし作りの実演見学や体験ができる店も多い。
JR東京駅から東北新幹線「やまびこ」で約2時間9分の古川駅下車、陸羽東線に乗り換えて44分の鳴子温泉駅下車(所要時間2時間53分)
文:風美紫紺(かざみしこん)
PROFILE
ライター。映像制作会社スタッフ。
風土と歴史や文化があいまって作りだす「風のいろ」と出合いに、自転車を抱えて電車に乗り、日本各地を旅する。五感で風を感じながら自分の足で「道」を往き、時空を超える旅の楽しさを伝えたい。
子育てとツーリングライフを描いた著書『ママはバイクを降りない』(潮出版)など。