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ニッポン“道の記”草子 歴史とロマンを求めて 古道てくてく歩きの旅|第3回 春到来 開国史に触れて 下田の町歩き」

我が国初の開港場、下田をめぐる旅
宝福寺(下田奉行所跡・唐人お吉記念館)
幕末期、外国船の来航に備えて下田奉行が宝福寺に置かれ、外国との交渉の窓口となった。境内には、初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスの奉公人で悲壮な人生を送った唐人お吉の記念館がある。
下田開国博物館
わが国最初の開港場となった下田の開国に関わる資料・遺品を見ることができる下田開国博物館。常時、約1000点を入れ替え展示している。開館時間:8:30~17:30(入館~17:00)  休:なし 入場料:大人1000 円 TEL.0558-23-2500
了仙寺
嘉永7年(1854)3月、日米和親条約(神奈川条約)が締結された後、同年6月に了仙寺で同条約の細則を定めた下田条約が結ばれた。本殿は日本開国の国指定史跡として「開国殿」とも呼ばれている。
なまこ壁民家
下田の町中には黒と白のなまこ壁(防火や防湿のために土壁に瓦をはめ込み漆喰を盛り上げて固めたもの)の民家や土蔵が至るところで見られ、独特の風情を醸し出している。写真は「雑忠」という屋号の家。
日新堂菓子店
毎夏、下田に滞在していた三島由紀夫が「日本一のマドレーヌ」と絶賛し、ごひいきだった日新堂菓子店。味、パッケージとも当時と変わらぬ伝統を守り続けている。マドレーヌ1個170円。営業時間:9:30~19:00 休:なし TEL.0558-22-22632
ペリーロード
下田に上陸したペリー一行が、了仙寺まで行進した道。ペリーロードはかつて花街があった所で、昔は坂下町、弥治川町などと呼ばれていた。平滑川に沿う約700mの石畳の小路には、なまこ壁や石造りの古い家並みが続いて風情がある。
ペリーが黒船を率いてやってきた!
「泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たつた四杯で 夜も寝られず」
 嘉永6年(1853)、東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーは蒸気船2隻を含む艦船4隻を率いて浦賀に入港し、日本の開国を要求する大統領の親書を幕府の役人に手渡した。これはその時の幕府のうろたえぶりを風刺した狂歌で、上喜撰(宇治の高級茶)を「蒸気船(黒船)」と、「四杯」を「四隻(杯とも数える)」と掛けた実に良くできた歌なのだ。 
 この時は、ペリーは幕府から1年の猶予を求められて引き返すが、嘉永7年(1854)2月、再び旗艦サスケハナ号など軍艦7隻を率いて江戸湾へ入港する。そして、現在の神奈川県庁付近に設置された応接所で約1カ月にわたる協議の末、同年3月、全12カ条からなる日米和親条約を締結したのである。当初、ペリーは浦賀の開港を要求したが、将軍のお膝元の近くに外国船が出入りするのを認めるわけにはいかず、幕府側は江戸から遠からず近からずの「下田」を開港場に推薦したという。この条約によって日本は下田と箱館(現在の函館)を開港し、ここに約250年続いた鎖国体制は終わりを告げたのである。前置きが長くなってしまったが、これが今回の「下田歩き」の序章である。
開国ゆかりと日本純文学の舞台も
 東京発、特急「スーパービュー踊り子号」の大きな車窓いっぱいに広がる早春の海を楽しみつつ、伊豆急下田駅に降り立つ。駅から延びるメインストリートを南へ歩くこと数分。ほどなく右手には、幕末期に下田奉行所が置かれた宝福寺が現われる。ソテツが植えられた南国ムードの境内には「唐人お吉記念館」が併設されている。下田一の芸者であったお吉は、日本の初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスに仕えたことが原因で村人に疎まれ、晩年は酒に溺れて悲壮な死を遂げた。入水後も捨て置かれていたお吉を、当時の宝福寺住職が境内の一角に葬ったのだという。メインストリートを突き当たりまで歩くと下田条約締結の地であり、ペリー一行の応接所にもなった了仙寺。古い木造の伽藍が、日本開国の最初の証人たる威風を感じさせる。5月になるとジャスミンが異国の香りを放つ参道から、下田湾にそびえる「ペリー上陸地の碑」まで続くペリーロードは、柳が揺れる石畳の道に沿って、なまこ壁や重厚な伊豆石造りの古民家を利用した店が並び、そぞろ歩きが楽しい。港に出たら大川端通りを行き、『伊豆の踊子』のラストシーンに登場する山善河岸や、下田名物のなまこ壁の民家、三島由紀夫ごひいきのお菓子屋さんなどを訪ねてみよう。
ペリー上陸で、下田の町は大騒動!?
伊豆クル―ズ
幕末に来航した黒船を再現した「黒船サスケハナ号」で、日本開国の舞台となった下田港を約20分で1周する伊豆クルーズ。乗り場は「道の駅 開国みなと」隣の下田港外ヶ岡岸壁。乗船運賃:大人1200 円 TEL.0558-22-1151
まどが浜海遊公園
港を望む公園には、芝生広場をはじめ、24時間無料開放の足湯、人工磯、休憩所などがあり、1日のんびりできる。3月15日~4月5日は、下田市内の子供たちが作る1万6000本の風車が回る「風の花祭り」が行なわれる (風車の展示は~5月6日) 。
弁天島(吉田松陰踏海の地)
ペリー来航に際し、吉田松陰が金子重輔と密航を企てた地。隣接した公園に「踏海の朝」と題した二人の銅像がある。
爪木崎野水仙群落地
須崎半島の最先端、爪木崎の丘に広がる300万本の野水仙の群落。灯台まで続く遊歩道を歩きながら、青空の下で揺れる可憐な花と香りを楽しむ。水仙まつりは毎年、12月半ばから2月初旬まで。
工房 桜子
日本の伝統的なちりめん細工の工房 桜子では、伊豆の伝統工芸でもある「つるし雛飾り」や和布の人形、小物を創作している。予約制の体験コーナーもあり、古民家カフェも併設。営業時間9:00~18:00 不定休 TEL.0558-25-3301
玉泉寺(アメリカ領事館跡)
初代の米国領事館が置かれた玉泉寺。境内奥には、米国総領事タウンゼント・ハリスが当時愛用した品々や関連資料、吉田松陰の遺品、日本最古の銀板写真などを展示したハリス記念館がある。ハリス記念館入場料:400円 TEL.0558-22-1287
小舟を漕ぎ出し、密航を嘆願した日本男児
 嘉永7年(1854)、神奈川で日米和親条約が締結されると、細則を定めるため交渉の場は下田に移された。そして同年3月末、ペリーは7人の部下と共に下田に上陸し、了仙寺にて奉行所の役人から「お茶の接待」を受けたのである。実はこれに先駆け「外国人が上陸している時は人家は戸障子を締め切り、店屋は商品を片付け、女性は外出禁止。男性も用心し見物のために外に出ないように」というお達しが下田奉行所に送られてきた。ところが当日なぜか外出が許され、了仙寺の境内は異国人をひと目見ようとやってきた群衆で溢れかえったという。
 一方、ペリー艦隊が下田湾に停泊している間に、とんでもないことをしでかした青年たちがいた。若き日の吉田松陰と同郷の長州藩士、金子重輔である。二人は下田に着くと、柿崎の弁天島の祠に身を潜め、深夜、小舟でペリーの乗る旗艦ポーハタン号をめざし、漕ぎ出した。ところがタラップに飛び移る際に、乗ってきた小舟が刀や荷物を載せたまま流れてしまった。松陰らは通訳のウイリアムズを通じて、アメリカまで乗船させてほしいと頼んだが、ペリーはその志に感動しながらも、日本の国法を無視はできないとこれを断った。二人は暗いうちに福浦の浜までボートで送られたが、密航の証拠となる小舟は漂流して見当たらず、捕えられるよりはと下田番所に自首したのである。  
さまざまな志の足あと
 松陰らが潜んだという柿崎の弁天島をめざして、まどが浜海遊公園の遊歩道を海沿いに歩く。真っ青な湾を行き来する船の向こうに半島の丘の緑がゆるやかな連なりを見せている。地元の子供たちが描いた町の歴史を描いたレリーフを眺めながら「松陰の小道」をのんびり行くと、その終点に弁天島があった。急な階段を上り頂上に至ると、背後の岩場を刳り貫くように「下田龍神宮」と書かれた古いお堂が建っていた。ちょうどその下あたりに、松陰らが身を隠した祠があるのだろう。身を乗り出して眺めると、海の青に岩場の白さがあまりにもまぶしくて、160年前、ここから二人の男が決死の思いで船を出したとはとても想像することができなかった。下田の平滑の獄に入れられた松陰はその後、江戸伝馬町の牢屋敷へ移され、さらに故郷の萩へ送られ野山獄へ入れられた。出獄を許された後は、杉家に幽閉の処分となり、久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文らを育てた松下村塾を開塾するも、安政5年(1858)、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことに激怒し、老中首座であった間部詮勝の暗殺を計画。その翌年、安政の大獄に連座し江戸で斬首刑に処された。
 国道の向かいにある柿崎の玉泉寺に、日本の初代米国領事館跡を訪ねる。寺の背後の小高い丘に登ると、日本への航海の途で亡くなったペリー艦隊の乗組員たちの墓が、遠く海を見つめて並んでいた。
●旅のスケジュール
★1日目
伊豆急下田駅→(徒歩5分)→宝福寺→(徒歩15分)→開国記念館→(徒歩10分)→了仙寺→(徒歩5分)→ペリーロード→(徒歩15分)→なまこ壁の家→(徒歩10分)→日新堂菓子店
★2日目
伊豆クルーズ→(乗船約20分)→まどが浜海遊公園→(徒歩20分)→弁天島→(徒歩10分)→玉泉寺→(徒歩5分)→工房 桜子→(柿崎神社前から東海バス10分の終点下車、爪木崎グリーンエリアからハイキングコース徒歩1時間)→爪木崎 野水仙群落→(爪木崎から東海バス15分)→伊豆急下田駅
※所要時間は目安です。休憩しながら無理のない古道歩きをオススメします。
※掲載されているデータは2015年3月現在のものです。
てくてく歩いて見つけた、ニッポンいいもの。第3回 春到来 開国史に触れて下田の町歩き|下田の「黒船祭」と「きんめ祭り」
 下田では、1年を通して自然や地元の特産物、歴史文化にちなんだ祭りが開催されている。下田最大のイベントといえば、近代日本の幕開けの功績と日米親善のために、昭和9年から始まった「黒船祭」。記念式典や墓前祭が厳かに行なわれるほか、目抜き通りの公式パレード(写真)や、ペリーロードや各商店街での開国市、了仙寺での条約調印の再現劇、黒船祭ライブ、海上花火大会なども実施され、町中が賑やかになる。2015年5月15~17日。
 金目鯛水揚げ日本一を誇る下田では、煮付けや金目鯛バーガーなど、市内の飲食店や宿泊施設で、さまざまな金目鯛の料理を味わえる。特に5~6月は脂がのった最も美味しい時期で、「下田きんめ祭り」が開催される。期間中、金目鯛150匹が当たる抽選券の配布や、毎週日曜には道の駅「開国下田みなと」できんめの握りとあら汁(写真)が振る舞われる(先着順、100円)。2015年6月1~30日。
道の駅「開国下田みなと」 開館時間:9:00~17:00 TEL.0558-25-3500 
アクセス&インフォメーション
●アクセス
JR東京駅から特急「スーパービュー踊り子号」または特急「踊り子号」で2時間29分の伊豆急下田駅下車
おすすめ観光サイト
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文:風美紫紺(かざみしこん)
PROFILE
ライター。映像制作会社スタッフ。
風土と歴史や文化があいまって作りだす「風のいろ」と出合いに、自転車を抱えて電車に乗り、日本各地を旅する。五感で風を感じながら自分の足で「道」を往き、時空を超える旅の楽しさを伝えたい。
子育てとツーリングライフを描いた著書『ママはバイクを降りない』(潮出版)など。

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