お茶頭取を務めた上林家の長屋門。出入口の両脇に部屋を持つ宇治のお茶師の家独特の構造で、最盛期には宇治橋周辺には同じ門構えの家が16軒もあったという。現存するのは上林家のみ。
上林記念館蔵。同館には茶壺を厳重に封印する道具やルソン茶壺など、お茶壺道中に関連する貴重な史料が展示されている。開館時間:10:00~16:00 休:金曜・お盆・年末年始 入場料:200円 TEL.0774-22-2513
室町時代に義満が開かせた宇治七名園のひとつで、唯一、宇治に残る奥の山茶園。5月連休明けのある晴れた日、覆いをした薄暗い茶園では、ちょうど茶摘みが行われていた。
喜撰橋の袂から平等院参道に向かう川沿いの「あじろぎの道」は、うかい観光船乗り場や、数奇屋づくりの茶室でお点前が気軽に楽しめる市営茶室対鳳庵、茶屋の喫茶館などが軒を並べる風情ある散歩道だ。
緑道の先には、平等院の表門に続く160mの参道があり、玉露や抹茶はもちろん、抹茶風味の様々なお菓子を売る店が軒を連ねる。平等院参道は、香ばしいお茶の香りが漂うことから「かおり風景百選」に選定されている。
宇治川の中洲にある、十三重石塔が建つ宇治浮島(塔の島)に渡る喜撰橋。橋の上からは天ケ瀬方面の眺めが素晴らしい。袂の喜撰茶屋で、抹茶風味と銘菓八ツ橋がマッチした抹茶ソフト(350円)でひと休み。
かつて中山道の奈良井宿を訪れた時、毎年の宿場祭りで「お茶壺道中」なるものが再現されているという話を聞き、ずっと気になっていた。「お茶壺道中」とは江戸時代、京都の宇治で採れた最高級のお茶を将軍家へ納めるために、江戸と宇治を往還した行列のことで、その往路に中山道が使われたことにちなんだものであるという。
お茶壺道中は慶長18(1613)年、幕府が宇治茶の献上を命じる「宇治採茶使」を派遣したことに始まり、三代家光の寛永9(1632)年に制度化された。翌年、寛永10年に最初の行列が行なわれると、以後、毎年4月下旬から5月上旬に茶葉の生育状況の報告を受けて、将軍家の「お茶壺」が江戸を出発。2週間ほどで宇治に到着すると、厳重な警護のなか「茶詰め」が行われ、念入りに封印された茶壺たちは、ふたたび江戸へと旅立つのであった。
当時、宇治茶の生産者のうち将軍家の御用を務める家を「お茶師」と呼んだが、宇治の上林(かんばやし)家はその筆頭の「茶頭取」に任ぜられ、宇治におけるお茶壺道中の諸事を取り仕切っていたという。JR宇治駅から古い家並みが残る通りを数分歩くと、上林家の堂々たる長屋門があった。同家の記念館には、実際に使われた茶壺や運搬用の長棒駕籠、お茶壺道中絵巻などが展示されており、時が経つのを忘れて見入ってしまった。
行きは東海道、帰りは中山道から甲州街道を通ったお茶壺道中の一行は、茶壺の数が増えるにつれて警護人も増え、17世紀後半の最盛期には1000人にも登る大行列になった。その権威は勅使に次ぐほどのもので、「摂家、門跡と行きかうと同じく、大名行列といえども道をあけて遅滞なく通すこと」と、大名はもちろん御三家でさえも籠を降りて道を譲ることが義務づけられた。製茶の季節になると宇治橋の袂には高札が立ち、宇治郷のすべての家々では家の内外を掃除して、手桶に水を満たして火災に備えてお茶壺の到着を待ったのである。
また街道沿いの村々でも前もって道の修理が命ぜられ、農繁期でも田畑の仕事は禁止。屋根の置石や煮炊きの煙、葬式の行列までも禁止され、凧揚げや子供たちの家の出入りさえとがめられた。このため村人たちは「お茶壺さまが来たら、戸をぴしゃんと閉めて閉じこもり、道で出くわしたら土下座して行列をやり過ごす」しかなかった。今に残るわらべ歌「ずいずいずっころばし」は、このように恐れられたお茶壺道中に、幾分の風刺をこめて歌われたものだったのである。
豪勢を極めたお茶壺道中も、18世紀半ばに8代吉宗が出した倹約令により、茶壺は3個、同行役人も削減して簡略化された。そして次第に行列もなくなり、最後のお茶壺が江戸城に運ばれたのが慶応3(1867)年のことであったという。
宇治橋の西詰から三つ目の柱間に張り出した「三の間」は守護神「橋姫」を祀った名残りで、豊臣秀吉が茶の湯の水を汲ませた場所と伝えられる。今も10月の宇治茶まつりでは「名水汲み上げの儀」が行なわれる。
宇治茶道場 匠の館は、京都府茶業会議所が運営する日本茶の喫茶室。日本茶インストラクターの指導のもと、お茶の淹れ方や、闘茶から発祥したお茶を飲み当てるゲームの茶香服(ちゃかぶき)など、お茶に関する様々な体験ができる。喫茶室営業時間:11:00~17:00 TEL.0774-23-0888。
宇治上神社の創建は古く、平等院が建立された後、鎮守社となった。本殿は一間社流造の内殿3棟を並立させ、それを流造の覆屋で覆った特殊な形式。平安後期の造営と考えられ、現存する神社本殿としては日本最古の建築だ。
宇治川の西岸に出て観流橋を渡ると、右手に恵心院山門や宇治神社の鳥居が続き、ここから中洲を経由して東岸に至る朝霧橋が架けられている。朝霧の名の通り、宇治川の川霧が名茶を育てたという。
慶安2(1649)年に再興された曹洞宗の名刹。宇治茶まつりでは「茶壺口切の儀」や茶筅塚で法要が行なわれる。川のせせらぎが琴の音に似ていることから命名された琴坂は、新緑や紅葉ともに美しい。
宇治上神社のさらに奥からは、標高131mの仏徳山(大吉山)へ登山道が整備されている。山道は東海道自然歩道の一部になっており、途中、興聖寺に降りる道と西笠取山方面(11.2km)に至る道に分かれる。
宇治茶がこの時代、最高級茶となるに至るまでには、どんな経緯があったのだろう。
建久2(1191)年、中国から帰国した栄西禅師は、持ち帰ったお茶の種を、京都の栂尾(とがのお)・高山寺の明恵(みょうえ)上人に送った。明恵上人はその種を撒いて茶園を作り、採れた種子を宇治や大和、伊勢、駿河、武蔵などの各地に広めたと言う。室町時代には栂尾で生産されたお茶が「本茶」とされ、他産地のお茶の中から本茶を飲み当てる「闘茶」という遊びも流行した。
一方、三代将軍の足利義満は宇治茶の栽培を奨励し、新たに「宇治七名園」を開いて将軍家専属の茶園とした。市内の高台に位置する「奥の山茶園」は、宇治七名園の現存する唯一の茶園だ。訪れてみると、覆いをした薄暗い茶園の中では、ちょうど新芽を摘んでいるところだった。抹茶の原料となる碾茶(てんちゃ)は、強い直射日光をすだれや藁で遮って若芽を育てる「覆下(おおいした)栽培」によって作られる。この栽培法は16世紀後半に宇治で考案されたもので、これにより鮮やかな濃緑色のまろやかな旨みとコクのある日本特有の抹茶が生まれた。そしていまも宇治の茶園では、伝統的な覆下栽培により、最高級の碾茶や玉露の茶葉が育てられているのである。
義満の庇護のもとに発展した宇治茶は、宇治安土桃山時代になると、信長と秀吉の茶頭を務めた千利休が茶の湯において奨励したことから、「天下茶」の地位を固めた。宇治茶をこよなく愛した秀吉は、天正19(1591)年、ここに茶摘み見物に訪れたという。
宇治橋に残る秀吉ゆかりの「三の間」に立つと、緩やかな宇治川の流れの向こうに、天ヶ瀬の山々の緑が陽炎のように揺れている。朱塗りの橋がかかる中洲のあたりが、源平の昔に「宇治川の先陣争い」があった場所なのだろうか。同じ京都でもこの宇治というところは、実にゆるやかな時間が流れる、風光明媚な土地だと思った。
橋を渡り、平安時代創業のお茶屋「つうえん」から川沿いを歩き、宇治茶道場左手の「さわらびの道」を登ると宇治神社、そして宇治上神社の朱い鳥居が見える。ここをさらに奥へ進むと、宇治十帖「総角」の古蹟から仏徳山に登るつづら折りの山道が始まった。誘われるように登っていくと、深閑とした山の空気が心地よい。頂上からは宇治川の流れと町並みが広がり、胸がすくような眺めだ。宇治は川沿いの情景もさることながら、こんな山の上から古都を見下ろすのも、また格別の楽しみだと思った。
★1日目
JR宇治駅→(徒歩6分)→上林記念館→(徒歩10分)→奥の山茶園→(徒歩10分)→喜撰橋→(徒歩2分)→あじろぎの道→(徒歩10分)→平等院参道
★2日目
宇治橋 三の間→(徒歩10分)→宇治茶道場 匠の館→(徒歩5分)→宇治上神社→(徒歩8分)→仏徳山 登山道→(徒歩30分)→興聖寺→(徒歩10分)→朝霧通り→(徒歩15分)→JR宇治駅
※所要時間は目安です。休憩しながら無理のない古道歩きをオススメします。
※掲載されているデータは2015年7月現在のものです。
宇治はまた、源氏物語の最後にあたる第三部後半の「橋姫」から「夢浮橋」までの「宇治十帖」の舞台となった地でもある。宇治の町には、江戸時代の愛好家たちによって定められた十カ所に古蹟が残され、物語にちなんだ石碑やモニュメントと出合える。
今回、歩いた行程で見つけたのは、宇治橋西詰にある「夢浮橋ひろば」の紫式部像と「夢浮橋」の石碑をはじめ、宇治川西岸の朝霧橋袂にある「宇治十帖モニュメント」(匂宮が浮舟を抱いて小舟で漕ぎ出す有名なシーンを描いたもの)、宇治神社の北側の「さわらびの道」沿いにある「早蕨」の石碑、宇治上神社の北の仏徳山の登り口にある「総角」の石碑など。総角の碑の先には
源氏物語ミュージアムもあるので、時間があれば訪れたい。
宇治市源氏物語ミュージアム
開館時間:9:00~17:00 (入館~16:30)
休:月曜、年末年始
入場料:大人500円
TEL.0774-39-9300
JR東京駅から東海道新幹線「のぞみ」で最速2時間8分の京都駅下車、JR奈良線に乗り換えて20分の宇治駅下車
文:風美紫紺(かざみしこん)
PROFILE
ライター。映像制作会社スタッフ。
風土と歴史や文化があいまって作りだす「風のいろ」と出合いに、自転車を抱えて電車に乗り、日本各地を旅する。五感で風を感じながら自分の足で「道」を往き、時空を超える旅の楽しさを伝えたい。
子育てとツーリングライフを描いた著書『ママはバイクを降りない』(潮出版)など。