穏やかな瀬戸内の海に仙酔島(せんすいじま)などの小島が浮かび、港町には木格子や瓦屋根の建物が並び歴史が薫る――今回の最初の目的地・鞆(とも)の浦は、あまりにも日本的情緒をもつ港町である。この美しい港町が、龍馬率いる海援隊が乗った「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」による海難事故「いろは丸事件」の舞台だったというのをご存じだろうか? その足跡を辿るべく、まずは福山駅から鞆港の「平成いろは丸」渡船場へ。黒い船体や3本のマストなど本物の「いろは丸」を模した船に乗り、5分ほどの船旅を味わう。海から望む鞆港の町並みなどを眺めつつ、船は仙酔島へ到着。この島で寄りたいのが、国民宿舎「仙酔島」の展示室だ。龍馬のホログラム映像や「いろは丸事件」のCGアニメなどを楽しんだら、「平成いろは丸」で再び鞆港へ戻ろう。
鞆の浦には、龍馬たちと紀州藩の賠償交渉の場となった福禅寺の客殿・対潮楼が今なお残る。大きな窓で切り取られた鞆の浦の風景は、水墨画の題材になりそうなほどの絶景で、思わず見惚れてしまう。「こんな穏やかな場で、激論を交わしたのか」と、つい想像してしまった。
初日の宿「御舟宿 いろは」も「いろは丸事件」ゆかりの場。初期の交渉場所として使われていた「魚屋萬蔵宅」が、宿となって生まれ変わったのだ。実は、この宿のデザインを手掛けたのが、鞆の浦に発想を得て映画『崖の上のポニョ』を作ったといわれる宮崎駿監督! 女将の松居秀子さんが「港町として栄えた鞆の浦にはかつて色街もあり“はんなり”とした雰囲気でした。宮崎監督は、その雰囲気を宿外観などの色使いで表現されました」と教えてくれた。