高台の端まで行くと、海からの上昇気流がわっと体を押した。翼があれば空へ舞い上がれそうだ。約50m下、急な山の斜面を下った先には、新緑の山が囲む小さな入江と鄙びた港が見える。素晴らしい景勝地。しかもここが駅の構内というのがまた面白い。その鎧(よろい)駅で途中下車した私は、「城崎のかにずし」をほおばり、日本海の風に吹かれながら、次の列車が来るまでの約1時間半を心地よく過ごした。
大阪駅を基点に、鈍行列車で山陰、美作(みまさか)、備前路を巡るのが今回のプラン。630kmに、1泊2日を費やし、「風景」に出会ってきた。
山陰本線の竹野~餘部(あまるべ)駅間では、リアス式の海が、フラッシュバックのように目に飛び込んできた。余部鉄橋のあたりは高度感抜群で、海と山、両方の景観が次々と車窓を流れていく。
因美線での中国山地越えでは、森に分け入るようにディーゼル列車は走り、ちょっとした冒険気分を味わった。乗り継ぎ待ちの津山では「城東町並み保存地区」を散策。タイヤ屋など「今」の商売をする古い商家がいくつもあり、「生きた」町並みを感じさせた。
日本にはまだ見ぬ風景がたくさんある。それを再認識できたのは、鈍行列車旅のおかげに違いなかった。
さて、この鉄路の沿線には、有名無名合わせて10以上の温泉がある。途中下車しながら、今回は城崎(きのさき)、東郷、吉岡、八幡の各温泉を訪ねた。結論から言えば、鈍行列車旅と温泉地探訪は、なかなかの組み合わせであった。
乗り換え時間を利用して、まずは城崎温泉へ。7つある外湯の一つ、「御所の湯」を堪能した後、表に出ると土産物屋に「城崎ビール」の字が。湯上がりの地ビールは喉に染み入った。車を運転しての旅にはない悦楽。
湖畔の東郷温泉で宿泊し、翌朝は吉岡温泉へ。ここの町営吉岡温泉館の湯はとても熱かった。だから長湯できず、診療所のような小さな待合室で時間をつぶすことに。次のバスは1時間後である。自家用車の旅のほうが効率いいのかなあ、などと思っていると、おばあさんが浴場から出てきた。地元の人だという。彼女から、「この湯の熱さが、地元では普通」「湯上がりは足が軽くなる温泉」などと教えられ、話が弾んだ。そして別れ際には私のポケットに500円玉をねじ込んだ。「鳥取駅でコーヒーでもお飲み。これも縁だからね」。時間に無駄のあるほうが、旅は面白くなるらしい。
「あとは列車に乗るだけ、湯あたりしても構わない」とばかり長湯をした八幡温泉を後にして、鉄路は岡山へ。早瀬きらめく旭川が、連れ添うように隣を流れている。岡山から大阪へは山陽本線なので旅はスムーズ。しかし私は、乗り継ぎの悪さと遅さを早くも懐かしんでいた。いや、それより、さらに旅を続けたいのかもしれなかった。