01/26
三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原に数えられる虹の松原。
17世紀初め、唐津藩主が防風・防潮のためにクロマツを植林したのが始まりで、豊臣秀吉が一喝して以来、「セミが鳴かない」など、七不思議を今に伝えている。
神功(じんぐう)皇后が山頂に鏡を祀ったことから、その名がついた鏡山(写真中央)にも数々の伝説が。山頂の展望台からは虹の松原を一望できる。
02/26
創業正徳6年(1716)。
2011年「春季全国酒類コンクール」の大吟醸部門の第1位に続き、この2013年の秋季も第1位を受賞した『松浦一』。淡麗辛口の逆をいく濃醇甘口(のうじゅんうまくち)の良さを残しつつも、華やかな現代風に仕上げた逸品。
酒蔵見学もでき、代々、大事に守られてきた水神様である「河伯(かっぱ)のミイラ」にお参りもできる。
03/26
肥前陶磁を中心に九州全域の陶磁器を収集。その歴史や各時代の特徴を紹介している。
ヨーロッパの王侯貴族を魅了した古伊万里を集めた「蒲原(かんばら)コレクション」、江戸時代から幕末にかけての有田磁器約10,000点を収集した「柴田夫妻コレクション」(写真)など、見ごたえは他の追随を許さない。「柴田夫妻コレクション」は国の登録有形文化財(工芸部門)の第1号に指定されている。
04/26
POTTERY/HISTORY
泉山磁石場
有田焼の祖である李参平が率いる朝鮮人陶工集団がこの場所で陶石を発見したことから、有田焼の歴史は始まった。山肌が深くえぐられたその奇景は日本陶磁器の歴史。現在は休鉱中だが、採掘場を見学できる。
05/26
万治元年(1658)、有田焼発展のため、窯焼中がお祀りした。以来、「有田焼陶祖の神」として、有田焼および有田町民の守護神として親しまれている。
明治になって陶工たちより奉納された磁器製鳥居の美しさは見惚れるばかり。狛犬、灯籠、お守りまでも磁器製。
06/26
鍋島藩御用窯が有田南川良から大川内山に移されたのが延宝3年(1675)。工法が他に漏れるのを防ぐためという。以来、藩主に献上する「鍋島」をはじめとする伊万里焼を作り続けている。国の文化財指定を受けた鍋島藩窯跡ほかで歴史散策が楽しめ、やきものの製作過程も見学できる。
07/26
有田焼が海外輸出用や藩主用の高級磁器であったのに対し、1700年代、天草陶石を用いた磁器づくり・志田焼がはじまった。
江戸後期には大皿が人気となるが、その後、大衆向けに大量生産され、昭和59年(1984)、その役目を終えた。志田焼の里博物館は閉鎖されるまで使用していた工場をそのまま博物館にし、磁器製造の全工程が見学できる。
08/26
文禄・慶長の役以前より、大陸からの陶技が伝えられていた唐津の岸岳地方。唐津藩主・寺澤氏の御用窯を務めていた中里家は江戸時代中期、享保19年(1734)に現在地に御用窯を移し、徳川将軍家や高家(こうけ)への献上品のみを焼く窯元に。
当時、使用されていた唐人町御茶?窯(とうじんまちおちゃわんがま)が残されている他、13代、14代中里太郎右衛門の作品を鑑賞できる。
09/26
HISTORY
国特別史跡
「名護屋城跡ならびに陣跡」
東松浦半島に広がる「名護屋城跡ならびに陣跡」は、名護屋城跡とその周囲半径約3kmに広がる武将たちの陣屋跡。大陸進出という豊臣秀吉の夢に始まり、その死に終わった文禄・慶長の役(1592~98)はこの地が出兵基地となり、全国から130を超える大名が集結した。名護屋城跡には佐賀県立名護屋城博物館が隣接。
●佐賀県立名護屋城博物館
10/26
文禄・慶長の役の当時、秀吉や家康が食した料理を伝える史料から読み解き、現代風にアレンジ。
陣中食である「湯漬け」に当時好まれた焼き味噌を添えた「汁かけ飯」、秀吉が「黄金の茶室」で食した地元のアワビを使った創作料理「鮑の黄金焼き」(写真)など、地元旅館や飲食店がそれぞれにアイデアを競った料理が味わえる。2014年3月31日まで。
11/26
CASTLE
佐賀城
鍋島藩36万石の佐賀城跡は、今も佐賀市のシンボル。現在では本丸の門である「鯱(しゃち)の門」(写真)と続櫓(つづきやぐら)、石垣を残すのみだが、門扉には明治7年(1874)、江藤新平らが起こした「佐賀の乱(佐賀戦争)」の弾痕も見られる。国の重要文化財。
佐賀城本丸御殿の一部を忠実に復元した佐賀城本丸歴史館も併設。
●佐賀城本丸歴史館
12/26
SWEETS
丸芳露(まるぼうろ)
佐賀県を代表するお菓子。江戸時代初期(1661~72年頃)に、佐賀藩御用菓子司の横尾市郎右衛門が長崎在住のオランダ人から教わったもの。小麦粉と琉球糖を練ったものを天火で焼いた菓子は、今では卵や蜂蜜などを加えて作られるように。素朴で懐かしい味。
13/26
昭和28年(1953)創業。数寄屋造りの客室は全室、唐津湾に面し、刻々と表情を変えゆく海の景色が楽しめる。新館2階には唐津城を望む客室もある。檜造りの中・小浴場からも海が見え、麦飯石を通した湯は肌に柔らかだ。
1泊2食18,900円~。この時季お得な「暖か玄海鍋プラン」(~3月)は18,900円~(平日2名1室利用時の1名料金)。
14/26
全国に先駆け、生簀(いけす)を館内に取り入れるなどの創業以来の創意工夫と、地の食材をおいしく美しく健やかに提供する一皿に、全国からファンが集う。
唐津湾からのとれたて魚介に佐賀牛、地元産の野菜や棚田米など、並ぶのは選び抜かれたものばかり。中里太郎右衛門はじめ、唐津焼を代表する窯元の器で供されるのもうれしい。日帰り昼食・夕食プランもある。写真は秋から冬にかけてが旬な、アラ(クエ)のお造り。
15/26
客人を迎える武家屋敷門「水野の門」は、唐津藩初代藩主が名護屋城から移築したもの。資材を各地から集めて造ったため、屋根瓦のふちの模様が違うなど、文禄・慶長の役当時の内情を今に伝えている。
16/26
“日本三大美肌の湯”のひとつ、名湯・嬉野温泉。大正屋では吹き抜けと開閉できるガラス張りの壁面が開放感を演出する「四季の湯」他、姉妹宿である『椎葉山荘』の湯も楽しめる(無料・専用車送迎付)。
1泊2食15,750円~(平日2名1室利用時の1名料金)。
17/26
設計は、皇居新宮殿の基本設計も手掛けた建築家・吉村順三(1908~97)によるもの。宿泊棟は本館、離れ、東館と分かれ、それぞれに日常生活から遮断された、密やかな落ち着きを堪能させてくれる。
写真は本館10畳の和室。和洋室タイプなど、さまざまにセレクトできる。
18/26
松・竹・梅、旬の食材を生かした月替わりの会席料理が味わえる。
また、嬉野温泉名物の代名詞ともなった感のある「とろける湯どうふ」もますますの人気。大正屋では好評に応え、「湯どうふ本舗」を創業。水、豆にこだわった作りたて豆腐は優しくも深い味わい。
19/26
佐賀県の最南端に湧く太良嶽温泉が堪能できるのが『蟹御殿』だ。最上階の7階にある露天風呂からは有明海を一望。朝・夕には一面の海を、夜にはまぶしいほどの星空が湯とともに日常の疲れを解きほぐしてくれる。タイプの異なる貸切露天風呂も6カ所併設。
20/26
プライベートな空間を満喫できる「はなれ」や、一面の海を心ゆくまで楽しめる「オーシャンパノラマルーム」(写真)など、一度泊まればまた行きたくなる個性的な客室が揃う。オーシャンパノラマルーム1泊2食13,900円~(平日2名1室利用時の1名料金)。
21/26
その名のとおり、蟹御殿の最大の売りは“日本一の味”ともいわれる竹崎カニを心ゆくまで味わえること。これからの季節は子持ちのメスが旬となる。日帰りプランもあり4,000円~。有明海産の食材や佐賀和牛も外せない。
22/26
御船山とそのふもとに15万坪もの回遊式庭園で、幕末、武雄第28代領主が創設した「御船(みふね)山楽園」の中に建つ『御宿竹林亭』。春のツツジ、夏のアジサイ、秋の紅葉、そして佐賀らしい冬の雪景色。四季折々の美しさがまるで自分のものになったかのように楽しめる。
23/26
建坪450坪の棟は、どこにいても素晴らしい景観が待ち受ける。200枚もの畳が敷かれた廊下は素足で歩く感触を楽しむためのもの。景観、湯、料理に加え、ここでは五感すべてがもてなされる。
24/26
泉質は肌ざわりのやさしいアルカリ性単純泉。2013年3月には展望露天風呂付の和洋室4室が誕生。そのひとつ「佳松」(写真)は、1泊2食48,750円~(平日2名1室利用時の1名料金)。
25/26
博多から佐賀を経由して長崎を結ぶ、長崎本線を走る特急列車。2号車のデッキ付近は、壁面を利用したアートギャラリーになっている。
26/26
普通車内もグリーン車と見まごう黒革張りで、落ち着きと高級感が漂う。座席内側のアームにテーブルが収納されており、4席向かい合わせてセットすると広めのテーブル状になるという趣向。グループ旅行にはうれしい。
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近年、乾杯をビールなどではなく、ご当地焼酎でしようという「焼酎で乾杯条例」を施行する自治体が続出している九州。「さすが焼酎王国ならでは」な、そんなニュースの一方で、佐賀県が今年2013年6月に出したのが、「佐賀県日本酒で乾杯を推進する条例」。そんな独立独歩な条例を出す背景には、佐賀県ならではの深い歴史があるのです。
佐賀といえば、邪馬台国ブームを呼んだ吉野ヶ里(よしのがり)遺跡が有名ですが、それ以外にもたくさんの遺跡や古墳群が発見されています。特に玄界灘に面する唐津市からは、大陸文化の玄関口であったことを証明するような出土品が多数、発掘されているのです。
唐津市の名所として名高い「虹の松原」。それを見下ろす鏡山の南側麓にある宇木汲田(うきくんでん)遺跡は、縄文時代晩期から弥生時代中期にかけての集落跡とされます。王墓からは青銅器など、大陸系の文化を伝える副葬品が、貝塚からは炭化した米などが出土し、日本の稲作文化の歴史を考える上での重要な発見となりました。そう、佐賀は大陸から伝来した稲作文化が、初めて根付いた地域、「日本における稲作文化のはじまりの地」であるのです。
その歴史を受け、すでに鎌倉時代には酒造りが行われるようになりました。幕末から明治にかけ、藩の財政再建のため「藩命」として酒造業が奨励されたときは、蔵元が700軒にも及んだといいます。現在は29軒ではありますが、『七田(しちだ)』『天吹(あまぶき)』『能古見(のごみ)』『東一(あずまいち)』『鍋島』『松浦一』などなど、日本酒愛好家を唸らせる銘柄が多数誕生し、「佐賀酒(さがんさけ)」ファンを全国に拡大しています。
もうひとつ、佐賀で忘れてならないのが有田焼をはじめとする陶磁器の歴史。李参平を長とする朝鮮人陶工集団によって、有田で日本初の磁器が誕生したのが元和2年(1616)のこと。来る2016年は「有田焼創業400年」の記念イヤー。すでに実行委員会が組織され、マスコットキャラクターやイメージソングなど、さまざまな準備が進められています。
その他、有田焼以前に大陸から伝わった技術により独自に作られていた唐津焼、有田焼を庶民向けのものに広げた志田焼など、県内には現役の窯元やその歴史を伝える施設が多数存在。その数を見ただけで、佐賀の陶磁器の歴史の凄みを感じます。
ところで、有田焼同様、聞きなじみのある「伊万里焼」とはどんなものだかご存じですか? 江戸時代、有田を中心とする肥前地方で作られた陶磁器は、主に伊万里港から出荷されたため、消費地で「伊万里焼」と呼ばれました。17~18世紀、ヨーロッパの王侯貴族を魅了した、現在「古伊万里」と呼ばれる陶磁器は、基本的に有田で作られたもの。現在は、それぞれの自治体できちんと区別がなされています。
そもそも、これら陶磁器の歴史のはじまりとなったのが、豊臣秀吉による朝鮮出兵(1592~98年「文禄・慶長の役」)。唐津市の東松浦半島には、その出兵基地となった本陣の名護屋城跡が残ります。その周辺には徳川家康はじめ、名だたる武将たちの陣屋跡が。周辺を散策すれば、歴史がまざまざと迫ってくるはず。加えて、来年2014年3月31日まではイベント『秀吉と天下料理』が開催中。秀吉や家康が食したとされる料理が再現され、地元旅館・飲食店で味わうことができます。
また、伊万里市にある伊萬里神社には、お菓子の神様として田道間守(たじまもり)を祀る中嶋神社が。古墳時代、田道間守が大陸から持ち帰った「非時香菓(ときじくのかくのこのみ:柑橘の一種であったと推測されている)」の種を伊万里の地に植えたことが「菓子」のはじまりとされ、伊万里は「菓子発祥の地」といわれています。
だからというわけではないでしょうが、佐賀市の丸芳露(まるぼうろ)や唐津市の松露饅頭、小城市の小城羊羹など、佐賀全域で名菓は多く、「森永製菓の初代社長である森永太一郎は伊万里市出身」など、お菓子にまつわる話題にも事欠かないのです。
嬉野温泉、武雄温泉など名湯も多い佐賀。竹崎カニ(ガザミ)やアラ(クエ)、フグ、寒ヒラメ、ウニなどが旬となるこれからの季節、名旅館がそれぞれに腕をふるって待っています。
鉄道ファンの話題をさらったクルーズトレイン「ななつ星in九州」の雄姿に遭遇できるチャンスも大(1泊2日コース)。ヤマトタケルが訪れ、「此の国は栄の国と謂ふべし」と語った(『肥前国風土記』より)とされる栄(さか)えの国・佐賀に、新年初の幸運をいただきにまいりましょう。
写真協力=裏辺研究所、大川内山、御宿竹林亭、蟹御殿、唐津上場商工会、佐賀県観光連盟、
佐賀県立九州陶磁文化館、大正屋、中里太郎右衛門陶房、松浦一酒造、水野旅館
※掲載されているデータは、2013年12月現在のものです。
※イベントや催事等は変更される場合があります。事前にご確認のうえお出かけください。
文= 秦 まゆな (はた・まゆな)
PROFILE
日本文化コンシェルジュ、文筆家。歴史と伝統文化に裏打ちされた、真の日本の楽しみ方を提唱すべく、日本全国を駆け回り中。その土地ならではの食、酒、温泉、祭りが大好物。
著書『日本の神話と神様手帖 あなたにつながる八百萬の神々』(マイナビ) 。
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