『トレたび』は、交通新聞社が企画・制作・運営する鉄道・旅行情報満載のウェブマガジンです。
6時44分、常磐(じょうばん)線特急「ひたち1号」が品川駅を発車!
全面ガラス張りの日立駅。改札を出るとすぐ海が見えるよ。
午前6時20分。品川駅9番ホームに行くと、特急「ひたち1号」が待っていた。眠(ねむ)たそうだったきのぽんも、カッコいい列車を見て目はパッチリ。さっそく車内に入ってみた。
白や黒系の色でまとめられた車内は、なんだか大人っぽい雰囲気(ふんいき)。座席は、子どもはもちろん、大人もすっぽりと収(おさ)まる大きさのリクライニングシート。硬(かた)さもちょうどよく、長い時間座っても疲(つか)れない感じ。枕(まくら)も上下に動かせるんだ。
「あれっ、動いている!」と、きのぽんもびっくりするほど、列車は静かに走り出した。となりの席のおじさんは、座席のテーブルでノートパソコンを広げている。どうやら移動中もお仕事をしているみたい。常磐(じょうばん)線特急「ひたち」「ときわ」の車両には、ひじかけにコンセントがあり、無線LAN環境も整っているので、インターネットやメールも見られるよ。旅行でも出張でも快適な時間が過ごせるんだ。
「おじさんたち、すごいなぁ」と感心しつつ、きのぽんの関心は車窓へ。品川駅から出発した列車から、どんな景色が見られるだろう?
出発して間もなく、窓の外には高層ビルや住宅が続いていたけれど、だんだんと田んぼや畑が多くなる。土浦駅あたりでは、筑波山(つくばさん)や霞ヶ浦(かすみがうら)が見えた! その先、右手に海がチラリと見えたら、日立駅に到着(とうちゃく)。
ちなみに日立の地名は、江戸時代に茨城県北・中部を治めていた殿様、水戸黄門(みとこうもん)様こと徳川光圀(みつくに)公が、海の日の出に感動して、「日の立ち昇(のぼ)ること領内(りょうない)一」と話したことから付けられたんだって。
ものづくりの歴史を学びに日鉱記念館へ。
昔、地下から採った鉱石を運んでいた竪坑(たてこう)が残る。
大正3(1914)年頃の日立市本山(もとやま)地区の様子。
日立鉱山が開山した当時、1万人以上が暮らしていた。
鉱山で働く人や家族、子どももたくさん乗っていた鉱山電車。
日鉱(にっこう)記念館の資料館には、鉱山で活躍(やく)した機械がずらり。
日立製作所製の削岩機(さくがんき)もあったよ!
煙に強い桜の木を何年もかけて植えていった日立の山。
煙突(えんとつ)は今も、町の人たちの大切なシンボル。
日立市が本格的にものづくりの町として歩み出すのは、今から110年前の明治38(1905)年から。実業家の久原房之助(くはら ふさのすけ)さんが、「赤沢銅山(あかざわどうざん)」と呼ばれる鉱石(こうせき)が採れる山を買い取って、「日立鉱山(こうざん)」として再出発させたのが、はじまりなんだ。
地下資源を掘(ほ)り、金属などを含(ふく)んだ石のかたまりを採り出すことのできる山のこと。この石のかたまりを、鉱物(こうぶつ)という。また鉱物(こうぶつ)から、純度の高い金属を採り出すことを製錬(せいれん)という。
日立鉱山(こうざん)では多くの鉱物(こうぶつ)を掘(ほ)り集め、製錬(せいれん)して銅を採り出し、金属製品の材料として売っていたんだ。
久原さんは、いち早く鉱山の電化を進めた。たとえば、今まで人の手で岩を掘っていた作業に、岩に穴をあけることのできる機械・削岩機(さくがんき)を導入。山の地下深いトンネル内でも電気を使えるように、鉱山近くに発電所もつくった。こうして最新技術を採り入れ、日立鉱山を短期間で有名な銅山に成長させたんだ。足尾(あしお)銅山(栃木県)、別子(べっし)銅山(愛媛県)、小坂(こさか)銅山(秋田県)に並ぶ、日本の四大銅山として知られるようになったんだって。
日立鉱山は、昭和56年に閉山するまで76年間稼働(かどう)し、鉱石を産出し続けた。今はJX日鉱(にっこう)日石金属株式会社の日立事業所として、精錬(せいれん)、電子材料、環境リサイクルなど、銅に関する事業を行っているよ。そして、日立鉱山のあった本山(もとやま)地区には現在、「日鉱(にっこう)記念館」が建っている。きのぽんが訪ねると、副館長の木村政幸(きむら まさゆき)さんが案内してくれたよ。
「鉱山の電化を進めた技術者は誰(だれ)でしょう?」との木村さんの問いかけに、「小平浪平(おだいら なみへい)さん」とすぐに答えたきのぽん。「さすが!日立製作所の創業者だものね」と木村さんが笑った。日立鉱山で電気機械の研究開発をしていた人が、のちに日立製作所をつくった小平(おだいら)さんだ。
鉱山で余った電気は、地域の人も使えるようにした。鉱石や生活物資、従業員や家族を運ぶため、日立鉱山の製錬(せいれん)所があった大雄院(だいおういん)から日立駅まで、鉱山電車を引いたんだ。鉱山電車は毎日、通勤や通学の人でいっぱいだったんだって。
もうひとつ、日立の町の大事な歴史を教えてもらった。日立鉱山は、開山当初から環境(かんきょう)問題にも熱心に取り組んできた。鉱山では、鉱石を製錬(せいれん)するときに排(はい)ガスが発生し、まわりの山林の緑を枯らせてしまう。そこで大正3(1914)年に、当時世界一の高さを誇(ほこ)った大煙突(えんとつ)を建設。煙を薄め、まわりに悪影響を与えにくいようにした。また煙に強い植物の研究を続け、その成果として発見したスギ、クロマツ、アカシアなどを、住民とともに周囲の山に植林していった。
そうした木々の1つが大島桜だった。日立駅中央口すぐの平和通りにある桜並木をはじめ、日立市は約60種類が愛(め)でられるサクラの町なんだ。
今日は鉱山とともに生きた日立の町を知ることのできた一日。きのぽん、勉強になったね。
日立製作所の日立研究所では、エネルギー、モビリティー、生活インフラなどの研究開発が行われている。安全で省エネルギーな高速鉄道車両の設計や、がん治療(ちりょう)に利用される粒子線治療(りゅうしせんちりょう)システムなどの最新技術がここで開発され、海外でも高い評価を受けている。 日立の町で生まれた技術は今も、世界中で私たちの暮らしを支えているんだ。
詳しくは日立製作所 研究開発ホームページへ
全面ガラス張りの駅舎(えきしゃ)は、世界で活躍(やく)する日立市出身の建築家・妹島和世(せじま かずよ)さんがデザイン監修(かんしゅう)。2014年に鉄道の国際デザインコンペティション「第12回ブルネル賞 駅舎部門・優秀賞」を受賞した。海岸口方面には太平洋が広がり、一幅(いっぷく)の画(え)を鑑賞しているようだ。
住所:茨城県日立市幸町1-1-1
日立鉱山の歴史や町の暮らしを紹介。鉱石を掘(ほ)る技術の進化を伝える模擬坑道(もぎこうどう)、木造コンプレッサー室をそのまま使った鉱山資料館、鉄骨の櫓(やぐら)が残る第一竪坑(たてこう)、創業者・久原房之助(くはら ふさのすけ)が暮らした旧久原本部など、見どころが多い。
時間:9:00~16:00(受付~15:30)
休:月曜・祝日・年末年始
料金:入館無料
住所:茨城県日立市宮田町3585
アクセス:JR常磐線日立駅から車で約20分
TEL. 0294-21-8411 詳しくはコチラ
波打つ唐破風(からはふ)屋根と三角形の千鳥破風(ちどりはふ)屋根を組み合わせた外観に圧倒される。昭和42年に日立市へ贈られた後、武道館として改装され、現在は柔道や剣道場として使われている。格子(こうし)の吊(つ)り天井、玄関左右の木造階段、2階客席(非公開)などに当時の面影が残る。
時間:9:00~21:00
休:年末年始
料金:見学無料
住所:茨城県日立市白銀町2-21-15
アクセス:JR常磐線日立駅から車で約10分
TEL. 0294-22-0361 詳しくはコチラ
7年ごとに行われる神峰(かみね)神社の大祭礼や、毎春の「日立さくらまつり」で披露(ひろう)される日立風流物(ひたちふりゅうもの)のミニチュア、近現代の絵画や彫刻(ちょうこく)、戦争の資料などを通じて、日立市の歴史や文化を伝える。企画展も随時開催。
時間:9:30~16:30(受付~16:00)
休:月末の月曜・年末年始
料金:常設展無料
住所:茨城県日立市宮田町5-2-22
アクセス:JR常磐線日立駅から車で約10分
TEL. 0294-23-3231 詳しくはコチラ
JR日立駅東口直結の「シーバーズカフェ」では、水平線を眺(なが)めながらパンケーキやスイーツが味わえる。チョコレートケーキにバナナ、アイス、ホイップクリームをたっぷりのせた「ボルケーノ」(850円)は女性に人気。
時間:7:00~22:00(21:00L.O.)
休:なし
住所:茨城県日立市旭町1-3-20
アクセス:JR常磐線日立駅東口直結
TEL. 0294-26-0187 詳しくはコチラ
おみやげ選びなら、日立駅中央口の「ぷらっとひたち」へ。甘(あま)みが強く栗(くり)のようにほっくりした茂宮(もみや)かぼちゃのスイーツ、日立市の花・サクラの加工食品、日立の亀の子マークを象(かたど)った日立煎餅(せんべい)などが買える。
時間:7:00~19:00
休:なし
住所:茨城県日立市幸町1-1-2
アクセス:JR常磐線日立駅中央口すぐ
TEL. 0294-33-8103 詳しくはコチラ
JR品川駅から常磐線特急「ひたち」で最速1時間42分の日立駅下車
日立市観光物産課 TEL.0294-22-3111