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交直流車両用の多彩な国鉄色で登場[451・471・455・457系 交直流急行形電車]昭和37年10月、東北本線・常磐線に登場した交直両用の451系。今回は交直流急行形電車の歴史にスポットを当てて紹介します。(文=結解喜幸 写真=結解学)

What's 国鉄色の電車?

 特急列車から普通列車までカラフルな塗色が採用されていた国鉄車両ですが、戦前は茶系統のぶどう色(客車は1号・電車は2号)がメインでした。茶系統の塗色は車体の汚れが目立たないためだとも、全国一律に同じ塗装を施すことでコスト低減が図れたためともいわれていますが、定かな理由はわかりません。なお、戦前では京阪神間の急行電車に使用していたモハ52形の茶色とクリーム色のツートンカラーが例外的な塗色でしたが、形式や路線ごとにカラフルな塗色が採用されたのは戦後のことです。

 昭和25年に登場した80系電車に「湘南色」と呼ばれる緑色とオレンジ色のツートンカラー、その後に登場した70系電車には「スカ色」と呼ばれる青色とクリーム色のツートンカラーが採用され、国鉄の新製車両のカラフル化が推進されることになりました。昭和30年代に入ると新性能の通勤形電車101系はオレンジ色、準急形電車153系は湘南色で登場。さらに、昭和33年11月に登場した151系特急形電車はクリーム4号と赤2号のツートンカラーとなり、その後に登場する国鉄の特急形電車の基本色となりました。また、湘南色やスカ色は111系近郊形電車にも採用され、その後に登場する直流区間用の近郊形および急行形電車の標準色となっています。
 昭和35年に交直両用タイプの401系近郊形電車が登場しましたが、正面スタイルは153系と同様のため塗色による区別が必要不可欠でした。そこで、交直流電車は赤13号の車体塗色とすることが決定し、その後に登場する急行形の451・471系では赤13号とクリーム4号のツートンカラーになりました。なお、日本には交流50Hzと60Hzの2電源があるため、60Hz車はクリーム4号の帯を車体の裾に巻いて区別することになりました。

 国鉄時代は用途や電源方式によって標準色が決められていましたが、JR化後は各社のオリジナル塗色が採用されることになりました。路線や用途に合わせたカラフルな車両が活躍しましたが、リバイバル塗色として国鉄色に復元された車両も登場しています。

昭和37年10月1日改正で 451系急行「みやぎの」・準急「ときわ」が登場

 昭和37年10月1日、上野〜仙台間の急行「みやぎの」1往復と上野→日立間の準急「ときわ8号」が451系交直流急行形電車10両編成で運転を開始しました。東北本線は黒磯駅、常磐線は取手〜藤代間に交直流デッドセクションがあり、この駅および区間で直流と交流50Hzを切り替えて直通運転できる交直両用電車ならではの特性を発揮。客車列車や気動車列車が活躍していた区間に新風が吹きこまれました。

 昭和38年6月1日に上野〜仙台間の急行「青葉」1往復が451系電車化され、さらに主電動機の出力をアップした453系が増備されることになり、東北本線の急行用は4・5号車に一等車(後のグリーン車)、6号車にビュッフェ車を組み込んだ12両編成となりました。また、常磐線の準急用は4・5号車に一等車を組み込んだ11両編成で、昭和38年10月1日改正から上野〜平(現在のいわき)間の準急「ときわ」5.5往復と「ひたち」1往復が451系で運転されることになりました。

 昭和39年3月20日改正では仙台急行の453系電車化が完了し、上野〜仙台間は急行「まつしま」2往復、急行「みやぎの」2往復、急行「青葉」1往復の計5往復、上野〜福島間は急行「あづま」1往復、白河〜仙台間は準急「あぶくま」1往復が運転されることになりました。当時の451系には東海道本線の153系急行と同じ大型のヘッドマークが取り付けられていましたが、昭和40年10月1日の盛岡電化に伴う改正からオリジナルの羽根が付いたタイプになっています。

東北本線上野〜盛岡間の急行「いわて」や上野〜仙台間の急行「まつしま」で活躍する451系

50Hz区間用として増備された453系は東北本線や常磐線の電車急行で活躍

昭和38年4月20日改正で471系急行「ゆのくに」「加賀」が登場

 北陸本線金沢電化にあわせて電車急行の運転が計画され、昭和37年12月には471系42両が登場しましたが、金沢電化の遅れにより昭和37年12月から昭和38年1月にかけての冬の臨時列車や東海道本線の準急「比叡」で初営業を開始しました。遅れていた金沢電化も完成し、昭和38年4月20日改正から大阪〜金沢間の急行「ゆのくに」2往復、急行「加賀」2往復、敦賀〜金沢間の準急「越前」1往復が471系10両編成で運転を開始しました。4・5号車に一等車(後のグリーン車)、3・6号車にビュッフェ車を組み込んだ10両編成となり、先頭車両にはオリジナルの大型ヘッドマークが取り付けられました。

 北陸本線敦賀〜新疋田(しんひきだ)間の急勾配改良工事の完成に伴い、昭和39年3月20日改正から北陸急行は12両編成に増強。さらに富山電化が完成した昭和39年10月1日改正では下り「第1ゆのくに」と上り「第2加賀」が富山へ延長され、愛称名は「越山」となりました。この改正から1列車1愛称名となり、大阪〜富山間は急行「越山」、大阪〜金沢間は急行「ゆのくに」「越前」「加賀」、敦賀〜金沢間は準急「くずりゅう」となりました。

 なお、昭和40年2月に北陸急行増強用として主電動機の出力をアップした473系が増備されましたが、すでに抑速ブレーキを装備した475系の製造が決定していたため、新系列の形式としては珍しいクモハ473-1+モハ472-1の1ユニット2両のみとなっています。

北陸本線大阪〜金沢間の急行「ゆのくに」や大阪〜富山間の急行「立山」で活躍する471系

60Hz区間用として1ユニットのみ増備された473系は北陸本線の電車急行で活躍

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