昭和37年10月1日、上野〜仙台間の急行「みやぎの」1往復と上野→日立間の準急「ときわ8号」が451系交直流急行形電車10両編成で運転を開始しました。東北本線は黒磯駅、常磐線は取手〜藤代間に交直流デッドセクションがあり、この駅および区間で直流と交流50Hzを切り替えて直通運転できる交直両用電車ならではの特性を発揮。客車列車や気動車列車が活躍していた区間に新風が吹きこまれました。
昭和38年6月1日に上野〜仙台間の急行「青葉」1往復が451系電車化され、さらに主電動機の出力をアップした453系が増備されることになり、東北本線の急行用は4・5号車に一等車(後のグリーン車)、6号車にビュッフェ車を組み込んだ12両編成となりました。また、常磐線の準急用は4・5号車に一等車を組み込んだ11両編成で、昭和38年10月1日改正から上野〜平(現在のいわき)間の準急「ときわ」5.5往復と「ひたち」1往復が451系で運転されることになりました。
昭和39年3月20日改正では仙台急行の453系電車化が完了し、上野〜仙台間は急行「まつしま」2往復、急行「みやぎの」2往復、急行「青葉」1往復の計5往復、上野〜福島間は急行「あづま」1往復、白河〜仙台間は準急「あぶくま」1往復が運転されることになりました。当時の451系には東海道本線の153系急行と同じ大型のヘッドマークが取り付けられていましたが、昭和40年10月1日の盛岡電化に伴う改正からオリジナルの羽根が付いたタイプになっています。