高松と松山の2大都市を結ぶ予讃線(当時は予讃本線)では、昭和25年10月1日に登場した客車準急「せと」、昭和31年11月19日に登場した客車準急「いよ」が高松桟橋〜宇和島間を結んでいました。四国として最初の気動車準急が登場したのは、待望のキハ26形が配置された昭和33年11月1日のことでした。この列車は高松桟橋〜松山間の準急「やしま」で、四国のDC急行のルーツとなるものでしたが、昭和35年2月15日改正で準急「いよ」に統合されてしまいました。
昭和35年10月1日にはDC準急「いよ」が増発されて4往復となり、さらに昭和36年4月15日改正では松山〜宇和島間も含め6往復となりました。このうち、昭和36年10月1日改正では松山〜宇和島間の区間列車は「うわじま」に愛称が変更されました。昭和38年2月1日改正では列車名の統一を図るため、高松〜松山間を準急「いよ」、高松・松山〜宇和島間を準急「うわじま」とし、高松〜宇和島間の急行「せと」とともに予讃線の優等列車3本柱になりました。
昭和43年10月1日改正では、高松〜宇和島間の急行列車の愛称は「うわじま」に統一され、増発列車を含めて9往復の大所帯に発展しました。昭和47年3月15日改正ではキハ181系特急「しおかぜ」3往復が登場しましたが、この改正では9往復を維持してエースの座を守りました。その後は昭和61年11月1日改正のキハ185系の登場で特急「しおかぜ」が増発され、最後は松山〜宇和島間の区間列車として活躍していましたが、平成2年11月21日改正では特急「宇和海」に役目を引き継いで歴史に終止符を打ちました。
特急「しおかぜ」登場後も予讃線のエースとして高松〜宇和島間を結んでいた急行「うわじま」
昭和47年3月15日に登場した予讃線高松〜松山・宇和島間のキハ181系特急「しおかぜ」
気動車王国・四国の花形車両として各路線の急行列車で活躍したキハ58形やキハ65形ですが、昭和61年11月1日改正でキハ185系気動車特急が増発されると、予讃線や土讃線での急行列車としての活躍の場が失われるようになってきました。さらにJR化後はキハ185系の増備や振り子式の2000系気動車が投入され、四国の各路線には特急化の波が押し寄せてきました。このため、急行列車としての活躍の場を失ったキハ58形はローカル列車として第2の人生を歩むことになり、車内の座席を一部ロングシート化するなどローカル用車両への改造が行なわれました。
昭和63年8月、JR四国では国鉄色から白色と水色を組み合わせたオリジナルカラーに塗り替え、当初は急行から普通までに運用して各路線で活躍を続けていましたが、平成10年3月14日改正での急行「よしの川」の廃止で急行運用が消滅。ローカル列車用改造を受けたキハ58形と急行用のスタイルを残したキハ65形がコンビを組んで普通列車に運用されていましたが、それも平成20年10月15日で定期運用が終了しました。
JR四国オリジナルの白地に青色のツートンカラーに塗色変更されて活躍していたキハ58形
特急列車の増発により急行運用から退き、ローカル列車用に改造されたキハ58形の車内
JR四国の急行形気動車の国鉄色への復元は平成17年度から行なわれました。折からのリバイバル塗装ブームに合わせたもので、キハ65形とキハ58形の1ユニットはクリーム色と赤色のツートンカラーを採用した国鉄時代の塗色に戻されました。最後まで急行用としての活躍もあったキハ65形は、カラフルなバケットシートタイプの座席となり、快適な乗り心地で好評を博しました。
平成20年10月1日時点では、JR四国にキハ28形2両、キハ58形6両、キハ65形3両が在籍していましたが、同年10月15日に定期運用を終了。最後は松山運転所の国鉄色のキハ58形293+キハ65形34の2両編成を使用して、同年10月18日から11月2日にかけて「リバイバル列車」として四国各線で運転。10月18日に急行「阿波」「よしの川」「土佐」、10月19日に急行「土佐」「あしずり」、11月1日に急行「うわじま」、11月2日には急行「いよ」が懐かしいヘッドマークを掲げて最後の運転を行ないました。
現在、JR四国の急行形気動車は全車両が廃車となりましたが、平成21年10月10日および平成22年10月9日に開催されたJR四国多度津工場の「きしゃぽっぽまつり」では、最後を飾ったキハ58形+キハ65形の2両が工場内で展示・走行され、同工場を訪れたレールファンを魅了しました。
キハ65 34+キハ58 293の2両は懐かしい国鉄色に戻されて同系列の最後の花道を飾った
JR四国の急行用としてバケットタイプの座席にリニューアルしたキハ65形の車内
※掲載されているデータは平成22年11月現在のものです。