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井上さんが所属する万葉古代学研究所は平成13年、明日香村にオープンした奈良県立万葉文化館に併設された研究所。『万葉集』の文学的研究に留まらず、歴史学、民俗学、宗教学、考古学、歴史地理学、さらには環境学や自然科学までも含めるという。
「万葉集の歌を文献的に研究するだけではなくて、どんな衣装を着て、どんな食べ物をどんな風に食べていたかとか、どんな発音だったとか、学問の分野を超えた連携によって、古代文化を立体的に捉えることを目指しています。明日香村の中という立地も素敵でしょう。“万葉まほろば線”の車体ラッピングに関する相談も受けました。人気になっているようなので嬉しいかぎりです」
話題になっているラッピングトレインは柿本人麻呂、額田王(ぬかたのおおきみ)、藤原鎌足といった万葉歌人の人物画が三輪山、耳成山、香具山などの風景を背景に描かれた「旅万葉」や万葉にちなんだ花などが描かれる「万葉の四季」、「万葉の四季彩」がある。どの車体にももちろん万葉の歌が書かれ、車内にはその解説があって楽しい。井上さんは研究の他、観光キャンペーンの一環として開かれる「万葉」駅からウォークのガイドも務める。
「この沿線はどこでも魅力的! 全国的にも珍しいほど見所が集中していると思いますよ。ご案内する時は素材が盛りだくさんで削るのに苦労するほどです」と語る。例えば、天理駅から長柄駅の間。物部氏ゆかりで、最近ではパワースポットとしても人気の石上(いそのかみ)神宮、内山永久寺跡、夜都伎(やつぎ)神社、大和の地主神を祀る大和神社などがある。巻向(まきむく)駅と三輪駅間には相撲神社、かつては伊勢神宮の神を祀っていたと伝える檜原(ひばら)神社、病気を鎮めると伝える狭井(さい)神社、日本最古の神社と言われる大神(三輪)神社、卑弥呼の墓と伝えられる箸墓といった神話の世界に由縁深い場所が静かに時を刻む。たった一駅の間に。邪馬台国の宮殿の可能性もあると話題になった纏向(まきむく)遺跡もこの近くだ。
井上さんがため息まじりに語る万葉まほろば沿線は車窓の風景も秀逸。
「大和三山も位置によってさまざまに形を変え、盆地の見え方も刻々と違ってきます。しかも駅名が面白いでしょう。奈良の次は京終(きょうばて)、帯解(おびとけ)、櫟本(いちのもと)、巻向、三輪、桜井、香具山、畝傍(うねび)、金橋そして高田駅。万葉集に出てくる地名が数多く登場します。万葉古代学研究所がある万葉文化館へは桜井駅からスタートして安倍文殊院、山田寺跡を経るコースや、香具山駅から香具山、大官大寺跡を経るなどのウォーキングコースを設定しているんですよ」
井上さんの“職場”である万葉文化館では、万葉集をテーマにした現代日本画家による作品も展示。「万葉集をイメージして描かれた現代日本画壇を代表する方々の絵画です。万葉歌は今でもインスピレーションを与え続けるのですからすごいと思います」。万葉集や古代文化に特化した充実した図書館では、万葉集最古の写本・桂本をパソコンの画面で見ることができる。ゆったりとしたミュージアムショップやレストラン、当時の暮らしが再現された展示室や最古のお金である富本銭のコーナーなど専門家から子どもまで楽しめるようになっている。
“万葉まほろば線”は乗客を古代へと運ぶ不思議な列車。一木一草、道端の石ころひとつに歴史を宿す万葉の故地は、ノックさえすればいつでも扉を開けてくれる。
万葉集ゆかりの歌人と歌が目を引く万葉まほろば線のラッピングトレイン
平城遷都1300年祭開催中の奈良では、JRグループの大型観光キャンペーン「奈良デスティネーションキャンペーン」を6月まで同時開催。万葉をテーマにした「万葉まほろば線」(桜井線)のラッピングトレインやせんとくんも登場する臨時特急「まほろば号」の運行、「万葉」駅からウォーク、万葉講座「万葉まほろば線に乗って」(6月26日の回では、井上さやかさんが講師で登場します!)など多彩なイベントが実施される。
宮崎県生まれ。奈良県立万葉文化館万葉古代学研究所主任研究員。「山部赤人の研究―万葉和歌史における位置―」で博士号(文学)を取得。専門分野は『万葉集』を中心とした日本文学。共著に『天平万葉論』(翰林書房)、『高市黒人・山部赤人 人と作品』(おうふう)、『万葉集の今を考える』(新典社)などがある。