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華々しいデビューを飾ったアイドル的列車カタログ JR名車両列伝1 JRスタートから24年。従来の国鉄の殻を破り、斬新なスタイルやサービスでデビューした当時のJR車両たちも、世代交代の時期を迎え、新型車へのバトンタッチ、リニューアルなどが行なわれています。最新車両の礎にもなった当時の名車両の数々にスポットを当て、歴史を振り返ってみましょう。

在来線初の130km/h運転を開始 車体は純白の「タキシードボディ」

 平成元年3月、それまでの常磐線の485系を使用した特急「ひたち」に代わり走り始めたのが、651系特急「スーパーひたち」です。JR東日本初の特急形電車であり、在来線で初めて最高速度130km/h運転を行ない、到達時間を大幅に短縮させ、たちまち評判になりました。

 眺めのよい大型の連続窓が配置された客室には、ゆったりとしたバケットタイプのリクライニングシートが並び、各席に読書灯が備わりグリーン車では2+1列配置が採用されました。シートピッチは普通車で970mmと広くなり、居住性が向上しています。カード式公衆電話も設けられ、2次車からはグリーン車に衛星放送の液晶テレビが装備され設備のグレードの高さは大変に好評でした。

 性能面では界磁添加励磁制御、交直流電車で初めて電力回生ブレーキが採用され、高速化が図られています。

 そして注目されたのは、斬新な「タキシードボディ」と呼ばれた車体です。美しい先頭形状。従来の殻を破った純白のカラーリング。最前部に輝くLED式のヘッドマークも当時は画期的でした。その流れるようなスタイルは伝統のボンネット特急電車の再来かのようで、ボンネットスタイルの未来形とも言えるでしょう。

上野〜水戸間65分の高速運転 自動解結装置で分割併合も簡単に

 651系は「スーパーひたち」として上野〜いわき、仙台間に運転され、最速列車では上野〜水戸間を65分で結び130km/hの俊足ぶりを大いに発揮しました。

 編成は、7両4M3T(電動車4両、付随車3両)の基本編成に4両2M2Tの付属編成を連結させた11両編成で、先頭車には自動解結装置を設置。分割併合が簡単に行なえます。上野〜仙台間の「スーパーひたち」では、いわき駅で分割併合を行ない、いわき〜仙台間は付属編成のみで運転するなど、威力を発揮しています。

 651系は好評のまま常磐線を離れることなく、臨時列車を除き「スーパーひたち」でのみ運転が行なわれています。

 平成12年より若干のリニューアルが実施され、デビュー当時は航空機タイプの開閉式だった荷棚がオープン式になり、間接照明が直接照明になりました。外観としては連結器カバーが付けられましたが、大きな変化はありません。

 デビューから22年。651系はサービス水準、設備、外観など、その後の特急車両に大きな影響を与え、功績を残しました。そして、今も「スーパーひたち」として130km/hのスピードで活躍をしています。

デビュー間もない頃の「スーパーひたち」。タキシードボディがまぶしく初々しい

美しい先頭スタイルで常磐線を疾走する現在の姿。連結器カバーが設けられた

リニューアル後の車内。荷棚や照明などが変更されたが落ち着いた雰囲気は変わらない

基本編成と付属編成が連結。優雅なカーブに往年のボンネットスタイルを感じさせる

 

コラム 「ひたち」のあゆみ

485系「ひたち」は多くのボンネット車が最後まで力走した

 「ひたち」は昭和38年10月、上野〜平(現いわき)間の電車準急列車としてスタートしました。昭和41年3月には急行に格上げ、そして昭和44年10月には季節運転の特急列車となります。車両は特急「いなほ」の間合い運用でボンネットのキハ81系特急形気動車が使用されました。特急となった「ひたち」は翌年に定期列車化され、車両はキハ81系のまま昭和47年まで運転されます。

 同年10月からは485系電車化され、以降、ダイヤ改正のたびに増発を繰り返し大きく成長します。急行列車の格上げなどもあり、昭和61年11月改正では下り27本、上り26本とピークを迎え、他線区から転入してきたボンネット車も加わり、活況を呈しました。

 平成元年3月に651系特急「スーパーひたち」が登場。485系「ひたち」は縮小されます。さらに平成9年10月にE653系特急「フレッシュひたち」がデビュー。485系「ひたち」は翌年、その名を新世代の後輩に譲って姿を消しました。

文・写真:斉木実 写真協力:裏辺研究所(リン)

※掲載されているデータは平成22年5月現在のものです。

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