『トレたび』は、交通新聞社が企画・制作・運営する鉄道・旅行情報満載のウェブマガジンです。
大正2年(1913)建築の上野ビル(旧三菱合資会社若松支店)は国登録有形文化財
昭和11年から50年までは、市営の貨物電車が町中を走って運搬に活躍した若松 南海岸通り
昭和43年頃の若松駅。貨物線路が張りめぐらされていた
折尾(おりお)駅から5つ目、筑豊本線25駅66・1kmの終着・若松駅に下りる。小さな駅で、町は静かだった。
若松生まれの作家、火野葦平(ひのあしへい)が『花と龍』で描いた若松はもっと騒がしかった。若松港の石炭仲仕だった玉井金五郎とマンの生涯を描いた実録小説。金五郎は四国松山、マンは広島から、いつか一旗揚げることを夢見て出て来た門司港で会い、明治39年(1906)に石炭景気に沸く若松へとたどり着く。
明治24年、若松駅開業、筑豊興業鉄道開通。筑豊炭田から運ばれた石炭の積出港として急発展した若松に、企業も労働者も吸い寄せられた。
明治39年生まれ。『糞尿譚』で芥川賞。代表作に戦地から書き送った『麦と兵隊』や、『革命前後』ほか。昭和35年、自宅にて命を絶つ。
石炭や海運の会社が事業所を建てたのが南海岸通りだ。潮風に吹かれて建つ明治・大正期の西洋建築は古色をまといつつも現役で、中には雑貨店やカフェが入居中のビルも。当時の面影をとどめた内装はどこか厳かで、建物そのものが町の語り部のようだ。
通りのシンボル、旧古河鉱業若松ビルへ。戦後生まれの若宮幸一館長は、「港にたくさんの船が集まり、絶えず機関車が炭車を引っ張り、貯炭場で野球をしていました」と振り返る。「時代の流れで残ってしまった遺産ですが、歴史や風土が見えてくる。事実を伝え残したい」。秘めた情熱が浸みた。
往時の様子は『花と龍』に詳しい。故郷に軸足を置き、若松を題材に庶民の心情を描いた葦平。ゆかりの場所もまたよき時代の若松を思わせる。
かしわ鍋(鶏鍋)を好み、部屋で執筆もしたといわれる料亭金鍋。黒漆喰の外観、中には緋毛氈(ひもうせん)やベンガラの壁が鮮やか。5代目の店主曰く「芸者姿を表している料亭建築」が艶っぽい。
豊富な資料から生涯を追える火野葦平資料館。住居だった河伯洞(かはくどう)では、同じ空間に座して、葦平の三男である玉井史太郎さんに原稿を航空便で出すために小倉へ使いに出た思い出などを聞いた。帰路、文学館の今川館長の話を思い出す。「門司港も若松もいろんな人が出入りした町。異なる文化を持つ人々が混じり合い、ぶつかり合った。そんな土壌が文学を生んだのかもしれません」。石炭で栄えた町が生んだ得がたい遺産のひとつだと思った。
港の開発に伴い、洞海湾(どうかいわん)の岸壁に沿って石炭や海運業、鉄道、商社、金融、荷役業者、商店などが集った帯状の空間。今もレトロな建物が残り、石炭積出港として栄えた名残をとどめている。若戸大橋を望む絶好のスポット。
住所:福岡県北九州市若松区本町1丁目海岸沿い
アクセス:JR筑豊本線若松駅から徒歩5分
明治28年(1895)創業。現在の建物は明治末から大正初め築の国登録有形文化財。創業時から続く名物料理は厚切りした伊万里牛を八丁味噌で炊く牛鍋。葦平がよく利用したという「葦平の間」には直筆の色紙もかかっている。
時間:11:00~15:00・17:00~22:00 不定休
住所:福岡県北九州市若松区本町2-4-22
アクセス:JR筑豊本線若松駅から徒歩3分
TEL.093-761-4531
作家・火野葦平を知るならここ。写真パネルをはじめ、日記や従軍手帳、絶筆原稿や直筆の河童絵、戦場の葦平にマンが送った手紙など、ゆかりの品3000点を収蔵。
時間:10:00~16:00
休:月曜(祝日の場合は翌日) 無料
住所:福岡県北九州市若松区本町3-13-1 若松市民会館内
アクセス:JR筑豊本線若松駅から徒歩2分
TEL.093-751-8880
河伯洞とは河童の住む家という意味で、河童好きの葦平が昭和15年から生涯を終えるまでの大半を過ごした。台所、子ども部屋などまでが当時の佇まいで残る。北九州市指定文化財。
時間:10:00~16:30
休:月曜(祝日の場合は翌日) 無料
住所:福岡県北九州市若松区白山1-16-18
アクセス:JR筑豊本線若松駅から徒歩2分
TEL.093-771-0124
北九州市観光情報コーナー TEL.093-541-4189
交通:JR筑豊本線若松駅下車
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