森田芳光監督 鉄愛エッセイ 鉄道が「少し好きです。」

プロ野球への興味は 関西私鉄に刺激された ~サービス・設備もランクアップ  競争から共存へ~

 南海、阪急、阪神、近鉄、西鉄。こうならべると私鉄の名前だと誰だって思いますよね。僕にとっては関東地方の私鉄の名前がなくてさびしい思いをしたのですが、こうした名前のプロ野球のチームがあったのです。野球チームを作れば、必ずやその沿線の人は野球に興味を持つし、付帯の経済効果も確実に計算されます。

 それなのに、現在残っているチームといえば、阪神、そして新しく加入した西武。その西武は「ライオンズ」という名称をひきついでいます。ここが複雑。九州の野球ファンに絶対的な人気を誇った西鉄が色々身売りされ関東の私鉄会社のものとなり、大阪の渋いファンには人気のあった南海ホークスが福岡のソフトバンクホークスになるわけです。

 子供のころ、関西の私鉄への興味は野球から行ってしまったわけです。地図を片手に路線を検討すると、大阪から京都、大阪から神戸の区間が各社競争していたりするんです。野球チームは持たないけど、京都の渋いところから大阪の淀屋橋というところまでの京阪。河原町という京都の繁華街から大阪の梅田まで行く阪急。そこに当時の国鉄が既成路線で快速を走らせる。サービスの競争も激しく、スピードだけでなく、シートの快適さ、果てはテレビカーといって、テレビを車両につけサービスをした電車もあったとか聞きます。

 路線競争だけではなく、近鉄は大阪から名古屋までという長距離を走り、2階建て特急の「ビスタカー」という、すごい列車まで作り出しました。神戸方面といえば阪急、阪神、国鉄のスピード競争があり、大阪がおのおのデパートやビルを持っている電車の客層がまったく変わるという面白さもあり、大阪~神戸間の海側を走るのか山側を走るのかでも、車内の様子が違うらしいので、競争しなくてもそれぞれの需要やファンはいたというわけです。

 

 最近も甲子園に阪神の試合を観に行ったのですが、大阪駅の地下街をぬけ、立ち飲みの串揚げ屋を横目に見て歩いていくと阪神の改札口に行きつき、直通の甲子園行特急が待ち構えていると、本当に野球観戦と私鉄は結びついていると思います。

 僕ら関東の人間は、地下鉄に小田急ロマンスカーが走ると驚いていますが、鉄道の乗り入れは関西の方でも進み、神戸から奈良までがつながるということにもなりました。私鉄、JRの乗り入れはこれからますます増えていくでしょう。おのおのが競争した時代は終わり、共存する時代になったということでしょう。地下鉄がどうやって地下に入るのかという疑問を今の工法は解決しているからに違いないのです。僕個人としては環状8号線の下を通る地下鉄があったらと思いますが、いかがですか? そんな路線の夢を考えるのも楽しいですよね。

*本エッセイは森田芳光監督がご生前にご執筆されたものを掲載いたしました。

湘南電車

近鉄特急「ビスタEX」は全4両の中2両が2階建て、ゆったりした展望席を備える。


初の修学旅行電車

「テレビカー」で名高い京阪3000系は、富山地方鉄道で改造・塗装も新たにモハ10030形として活躍中。


脚本・監督 森田 芳光

1950年1月25日東京都生まれ。81年『の・ようなもの』で映画監督デビュー。『家族ゲーム』(83)で数々の映画賞を受賞し脚光を浴びる。 『それから』(85)はキネマ旬報ベストワンをはじめ、各賞を受賞。『ハル』(96)で第6回日本映画批評家大賞監督賞、第20回日本アカデミー優秀脚本賞ほか、数々の賞を受賞した。禁断の愛を描いた渡辺淳一の同名ベストセラー小説『失楽園』(97)を映画化し、大きな話題となる。以後も『模倣犯』(02)、『阿修羅のごとく』(03)、『間宮兄弟』(06)、『椿三十郎』(07)と精力的に様々なジャンルにわたり作品を世に送り続ける。オリジナル脚本として手掛けた『わたし出すわ』(09)、新しい時代劇を描いた『武士の家計簿』(10)が公開された。

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