宍道(しんじ)駅から南に向かうとすぐに里山と、里山の間の小さな谷に点在する美しい水田を見ながらの旅が始まる。昔話の挿絵のような透明感に充ちた集落が車窓を飾る木次(きすき)線。
『出雲国風土記』にも記されている海潮(うしお)温泉や素盞鳴尊(すさのおのみこと)ゆかりの須我神社への最寄り駅である出雲大東(いずもだいとう)駅までの時間はアッという間に過ぎてしまう。
季節運転のトロッコ列車「奥出雲おろち号」の発駅・木次は、八岐大蛇(やまたのおろち)の棲家だった天ヶ淵のある斐伊(ひい)川に沿う町。この木次駅を出ると早くもトンネル。トロッコ列車は窓がない。だから、トンネルに入ったときの風がスゴイ。いきなりの風の洗礼に「ウワァー」「ヒャァー」の声があちこちで上がる。
トンネルは備後落合までに27あるが、どれも個性的で、例えば下久野トンネルは2241mの直線だから、出口の光が針の穴ほどの大きさから次第に大きくなってくる妙が楽しめるし、反谷(たんだに)トンネルではレールの軋(きし)む音が半端ではない。車内アナウンス曰く「大蛇の叫び声です」。なるほど! 神話の世界ならではの音……か。
日登(ひのぼり)駅を出ると、車内やホームでの販売が始まる。品物はそれぞれの地域の特産物。例えば日登は「食の杜(もり)」の生みの親・木次牛乳からアイスクリームやプリンなど。仁多(にた)米と仁多牛の産地・出雲三成(いずもみなり)は仁多牛べんとう、松本清張『砂の器』で有名になった亀嵩(かめだけ)駅ではそば……等々。なかなかの人気である。
「食の杜」は半世紀も前から食の安全を唱えて有機農業をしてきた自称“百姓”たちの信念のコミュニティ。ブドウ畑を囲んで高台に天然酵母のパンを焼く「杜のパン屋」や国産大豆と天然にがりで豆腐を作る「豆腐工房しろうさぎ」がある。
「奥出雲葡萄園」も小さなワイナリーだが土をつくり、樹をつくって、まず健康なブドウを育てる。そうして醸されたワインは味・香りともに高い評価を得ているが、何より「料理に合うワイン」としてファンが多い。見るからに豊かな農場が眼下に広がるゲストルームでは、「食の杜」の農園で穫れた野菜、平飼いの有精卵、木次牛乳のチーズ等々、安全・安心な食材を使った料理とワインが楽しめる。
長い下久野トンネルを出ると標高は55mも高くなっている。中国山地の中腹であるこの辺りは寒暖の差が大きいから、秋は山も野もすべて鮮やかな色彩になり、その気候はまたここで穫れる仁多米や在来種の横田小(こ)そばを「うまい!」と唸らせる味に育てるのだ。
- 八岐大蛇を退治した素盞鳴尊と稲田姫が新居として造った須我神社
- 奥出雲葡萄園のランチの食材は有機農業の「食の杜」の農園産